7-3
男は白目をむきうつ伏せに倒れた。手から力が抜け、その両の手に持った錆びついた棒が大きな音を立てて地面に転がる。
「大丈夫…じゃあないよな。悪いけどこいつを寝かせてくれ。あと飲み水も」
イァハは倒れたその男の手を肩に乗せ、店主のもとへ引きずっていく。
「おいおい、うちは診療所じゃあねえぞ」
文句を言いつつも、店主はその介抱を手助けする。水瓶から柄杓で掬った水を寝転がった男の口元へ差し出す。
「ほら、飲みな」
イァハが男の体を半身起こすと、薄目を開けて顎を突き出しその水を啜るように飲んだ。
「どこの人間だろうか。この通り沿いの奴らなら、知らないはずがないんだけど。よそからきた、その日暮らしの放蕩者か」
南区には聖都の貧困層が集まりやすい。王宮がある北区、迷宮に面し魔獣が襲来するために要塞化している東区、そして赤河と呼ばれる水源に近く水路の多い、食品加工や製造業が盛んな西区、というように聖都は区分がはっきりとなされており、当然そこに住むことのできる身分も暗黙のルールとして決まっていた。
古代からの身分制度が形骸化した一方で、一族、親から業を相続できない者たちは、西区で資本家に雇用されるか、徴兵試験を受け衛兵になった。才知によっては騎士団への入団も稀ながらあり得た。
ただその笊の目からこぼれたものたちは、貧困窟や露店の多い南区に流れていくのだ。
「まだ若いんだ。死にはしねえだろうよ。生き倒れにしちゃあ、わりかし健康そうだしな」
「こんなことは、南区じゃ珍しくもない」と店主はあっけらかんとしている。周囲の露店の人々も、初めは好奇の目を向けていたが、次第にその興味を失っていったようだった。
薄情というわけでもなく、死にゆく人間はたいてい手足が棒切れのようにやせ細り、腹に水が溜まり、奇怪な皮膚病や失明に苦しみながら朽ち果てることを、彼らは知っていた。
「罪人でもなさそうだ」
イァハは男の首に入れ墨が入っていないことを確認しながらつぶやく。
「そういえば」
イァハは倒れた男が両手に持っていた錆びついた棒が、いまだ通りに残されていることを思い出す。
「こら、触るんじゃない」
いつの間にかやってきた、子供たちがそれを囲んで、ケタケタ笑いながら木の棒でそれをつついている。
「そんな汚いもの触ってると、『岩の人』になっちまうぞ」
子供たちは、そのイァハの脅しにみるみる顔を青くして逃げ去っていった。
「なんてね。それにしても、これはいったいなんなんだろうか」
「一応はあの男のものなのだから」と、彼はその二つを軽く持ち上げ、横になった男のもとへ手に提げていこうとする。
その瞬間、彼の動物的本能が危険信号を鳴らし、躰は反射的に訓練された通りの動きを行う。具体的には、イァハは手に持った『それ』を放すと同時に後転で宙を舞い、後方へと距離をとった。
それを見ていた店主が彼に駆け寄る。
「なんだ、いったいどうしたっていうんだ」
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