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 日が傾きはじめていた。

 聖都を囲む荒野の熱気が上昇気流を生み、押し上げられた空気は積乱雲へと変わる。いつのまにかバザールはその雲の陰に飲み込まれて、通りの露店の屋根をとんとんと雨粒が叩いた。

 舗装されていない砂地の路面は赤黒く色づいていく。


「『魔獣』の。今の感覚は、あの化け物どもの返り血を浴びたときと同じだ」 


 微かに遠雷が、湿めり気を帯びた空気を震わせると、それを合図に雨脚が強まる。

 

 イァハははじめ、その歪んだ音に耳を疑った。


『ふは、ふはははははは』

 

 嗤う声がする。

 その不気味な声に、彼は反射的に耳元を手で覆った。

 しかし、その声が遮られることはなく、雨を避けて足早に居住区に向かう人々の雑踏に紛れることもない。むしろ、先ほどよりも鮮明にその声はイァハへと届いた。


「グレゴラ。この声、聞こえるかい?」


 店主はイァハのその問いに目をしばたたかせる。


「声?いったいどの声だ?」


 両者は顔を見合わせ、互いに困惑した表情を浮かべる。


『こっちだこっち。はあ、あの男といい、人間は思念による意思疎通に難があるな。仕方ない、この一帯にいる者どもを焼き払ってから』


『なにをのたまっているんですか。はぁ。あと、そこにいる少年は、我々の声が聞こえているようですよ』


『なんだと?あれを見ろ、呆けているだけじゃないか』


『あなたの下卑た嗤い声を聞いた反応としては、ごく自然に思えますが』


『おい、聞こえているのならさっさと我らを拾い上げんか』


『そうですね。先ほどの愚行は水に流しましょう。それにしても、なぜ人間はこの聖剣を平気で投げ捨てるのでしょうか』

 

「な、なんなんだあんたらは!?」


 イァハはやっと、その声が地面に倒れたその錆びついた棒きれによって発されているということに気が付き、自らの正気を疑うように額に手を当てる。


 ただし、それは聖剣アーカーブと魔剣テネブラエの奏でる魔力の旋律のような『思念』を聞き分ける魔術的聴覚、魔力受容を持たない者にとっては降り鳴る雨音と変わりない雑音にしか聞こえない。


 しかし、運良く、ともすれば悪く、居合わせたこのイァハという青年は、並外れた魔術の才によって低い門地でありながら、加えて16歳という異例の若さで騎士団への入団を許された神童であった。


『我は魔剣テネブラエ。

 その刃は岩をも溶かし、横なぎの一閃は、かの霊獣カロスの三つ首を引き裂いたほどで───』


『長くなりそうなので、早急にあそこに横たわっている男のもとへ我々を運んでいただけますか』

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