7-2

 イァハは露店の、布を釘で打ち付けただけのような簡素な屋根のへりで、降り注ぐ日差しを避けながら歩く。そのついでに顔なじみたちに声をかけて回る。


「やあ、グレゴラ。調子はどうだい?」


 彼の伸びたゴムのような、抑揚たっぷり、愛嬌も一掴みの声で茣蓙ござの上に寝転がった店主が目を覚ました。


「なんだよ。イァハじゃねえか。

 調子はどうかって?いつも通り最悪さ。わかりきったことを聞くんじゃねえやい」


 白髪の混じった髭を蓄えた店主は、大岩でも背負っているかのような鈍重さで体を起こす。


「みてみろ、それが今日の稼ぎだ」


 胡坐あぐらを組んだ男が顎で指した先、無造作に置かれたざるの中には、くすんで鈍く光る銀貨が三枚。


 イァハはその銀貨を珍しそうに摘まみ上げる。

 店主はそれを見ながら欠伸をしている。


「これは珍しい。イシュタッド銀貨じゃないか」


 ラドミアの国々では、聖都ラドミラル近郊の造幣所で鋳造されたアシ銀貨が流通している。ラドミアの周辺地域では金が採掘されず、対して銀の採掘量は大陸有数であったため、古くからその鋳造は盛んに行われてきた。人々からしても通貨と言えば銀貨であり、その品質も高水準を保ってきた。

 これは、アシ、聖都から北にいった山間部の集落でのみ採掘から鋳造までを厳しい管理下で行っている点が大きい。

 これらの伝統と信頼を持つアシ銀貨は、聖都で使用される最も普遍的な通貨といえる。


 対してイシュタッド銀貨とは。 


「イシュタッドは、粗悪な密造貨幣に随分と手を焼いていると聞いていたけれど。ああ、ごめんなさい。物珍しくて。

 このデザインは、有名なイシュタッドの犬バラがモチーフなのかな」


「最近は特段珍しくない。イシュタッドからの行商が増えていて、それでいてこの銀貨だ。

 あまり大きな声では言えんが。あの背の低い執政官どのが、よそ者を呼び込んでいるらしい」


「ミネイ執政官か」


「騎士団のお前ならすでに知っているかもしれないが、ここみたいな貧民街なんかで、イシュタッドの奴ら何食わぬ顔で商売してやがるのさ」


「いや、それは知らなかったな。

 確かに彼は出自からしてイシュタッドの商人たちとは縁がある。

 だけど、わざわざ『』でってのは少し引っかかるかもしれない。

 なにせ新月がくれば『』から身を守らなくてはならないわけで」


「確かにそうかもしれんが、この辺りまで侵入されたのがもう何年も前だからな。

 そう思うと騎士団様には頭が上がらんよ」


「俺だってそうだろうに、どうもみんな敬意に欠ける気がするよ。

 嬉しくはあるんだけど」


 イァハは「こちら本官がお預かりしましょう」と言って、懐から出したアシ銀貨5枚と、件のイシュタッド銀貨を交換する。


「なんなら、金貨とだって構わないんだが」


「馬鹿言って。俺らの賃金だってそれほど変わりはしないさ。

 さあ、職人らしく腕を見せてくれよ」


 彼は腰に下げた美しい装飾のナイフを手に取る。

 それはサイハト・サブーフが王宮へ出向く際に、外していったのを預かったものである。


「いつも通り、ピカピカで」


◆ ◇ ◇


 店主は胡座をかいたまま、預かったナイフを針金のような先の細い器具で分解していく。

 ハンドルを外され、剥き出しになった刃を見つめながら、彼はそれを布の上に置いて白い粉を振りかける。


「目立った刃こぼれはなし。いつもながら、お前んところの大将は道具を丁重に使う。

 歪みもなし。

 あとは、鞘の先っぽ。すずのメッキが禿げてきてるな。新しくやり直して、明日の昼までには終わるだろうが。

 取りにくるか?」


「もちろん。隊舎に籠ってると肩が凝るからね」


「腕っぷし以外は、ほんとロクでもない奴だよ」


「勤勉さが売りじゃあないんでね。じゃあ、また明日、取りにくるよ」


 そういってイァハが振り返ると、通りの真ん中に、異様な装いの男が立って、こちらを見ていた。


 砂埃が舞い、蜃気楼で歪んだ視界に映ったそれは、剥き出しの、それも赤黒い、二振りのつるぎを携えて仁王立ちしている。

 ボロ布を腰に巻いただけの体は、垢と泥で浅黒く、まるでここまで長い旅をしてきたかのように精魂の尽きた表情をしている。


「おい、あんた。大丈夫か」


 イァハは剥き出しの剣に怯むことなく、と言うよりも、その二つが武器であると認識していない様子でその男に近づいた。


「聞こえてるか?言葉は通じるか?」


 その男は小さく口元を歪ませてる。それが言葉を発しているのだと気がついたイァハは、彼の口元に耳を寄せる。


 男は北部訛りの大陸共通語で「コップ一杯の水を」と呟いていた。

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