第5話 ミニチュア水処理

 退職して第二の人生を送っていたところ、小規模のめっき工場では排水処理しにくい薬剤を使っているため、処理費用が経営を圧迫し、廃業する企業が続出してきました。企業数減少を防ぐためには、めっき加工から出てくる排水を政府の規制値以下にする安価な処理が必要になって、各種の有害排水をまとめて規制値以下にする薬剤開発に取組むことにしました。

 有害なイオンにはプラスとマイナスがあり、従来別々に処理していましたが、それらを同時処理できる「排水処理薬剤」を特許出願し、シニアビジネスグランプリに応募したところ奨励賞を受賞しました。その結果、業界新聞からの取材があり、学会誌からの解説依頼では「めっき工場排水の新しい処理」と題して投稿するなどしたことで、政府の規制値対策で悩んでいる複数の工場に提供する機会を得ています。

 しかし、工場の排水ごとに政府規制値の妨げとなる、いろいろな「魔王や悪役令嬢達」が陣取っていて、処理することは一筋縄にはいきません。一か所ごとに異なる撃退戦術を得るためには、培った「無欲で取り組む分析」が欠かせません。


 中でも、通常の分析を妨害する「極道薬剤」金属キレートを扱う工場では通常の方法では基準を越えてしまいます。そのため、出来るだけ流れないように回収しており、技術力のないところでは、大量の水で希釈して基準値にしているところもあり、そこには処理してから流すよう行政指導が入ります。多くの工場では、有害な硫化物薬剤で排水を処理していますが、下水道作業者の死亡事故を引き起こしたことから、それに変わるものを使うように行政指導が出されています。しかし、市場には高額な薬剤しかありません。

 そこで、「無欲で取り組む分析」で得られた数多くの妨害対策をヒントに政府規制値を越える「極道薬剤」を廃棄できる固体の沈殿「スラッジ」に、へばり付かせる安価な独自魔術を編み出す必要が出来てきました。異世界の魔力に打ち勝つには、「無欲で取り組む分析」とともに、予測して対決する気力と魔術は欠かせません。


 すでに、ミニチュア分析でご紹介したように、Bird (1960) の提案した、“移動現象の相似則”によれば、ニュートンの粘性の法則に従って、流体の流れがあると運動量の移動が起こり,フーリエの熱移動の法則で温度差があると熱が移動し,フィックの拡散の法則で濃度差があると物質の移動が起こり、オームの電気抵抗の法則で電位差があると電荷が移動することが排水処理にも当てはまります。これらは、それぞれ物理量の時間変化を流束の発散で表すことができます。言い替えると、短時間では直線的に変化することを示しています。

 見方を変えて、短い距離で眺めてみると、短時間で、それぞれがどの程度変化するのか分かることになります。ミニチュア排水処理に応用すると、小規模になるため短時間で結果が分かることになります。


 排水処理の現場試験は通常1,000 ml程度で行われることが一般的です。しかし、事前におよその処理手順を見つけるには、分析に必要な排水処理液量があればよいので、処理液量はそれに合わせて少量で行うことにします。少量だと沈殿が採取しにくいため、不均一になりやすいですが、沈殿は処理しやすく、処理のしにくいキレート化合物などは溶液に溶解しており、処理のしにくさに対処する方法を見出すためには少量で問題ありません。

 そのため、処理前の原水を入手するに当たって、1.5 mlのマイクロチューブを使うと、郵送コストが安価で、保管も作業も場所を取らないだけでなく、処理実験で沈降する時間も短くて済むことになります。

 原水を通常の1/10,000のミニチュア規模で0.1ml採り、pHを制御しながら処理薬剤を加えていき、撹拌後10分程度放置するとほぼ沈降分離して上澄を分析用に採取できます。分析には、処理後の上澄を0.01 ml採取します。その分析結果は排水処理の現場試験を行うための指標として十分です。


 しかし、排水処理の作業が分析作業の前に入ってきたため、作業時間が長くなり、その結果、類似分析作業の勘違い、調合薬剤の劣化など想定外の事態が起きるたび「悪役令嬢」ポカがやって来て、やり直すことが途絶えなくなりました。芥川龍之介の「魔術」に登場する魔術師ミスラ君の魔術資格を取得するのは、まだまだ先にお預けです。


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