第4話 わき役
学生時代に「先生の雑談」は覚えているけれど、肝心のテスト課題と解答に必要な事柄は覚えていなかった経験ある人も多いのではないでしょうか?
これは雑談の印象が強すぎて、雑談が「周辺知識」としてあったほうが良いものとしてではなく、もう一歩踏み込んで「必要なもの」を取り込むまでの脈絡が、「悪役令嬢」ポカによって途絶えてしまった結果、「わき役」であるはずの先生の雑談は「無駄」になってしまった例と言えます。
先生の雑談による生徒を引付ける力が強すぎると、「悪役令嬢」グルグルがやってきて、生徒はそれに関連するあらぬ方向に思考を巡らしてしまい、その間に本筋の課題を先生が説明する頃には、肝心の話が「上の空」でポカっと抜けてしまうようです。
一方、クイズ番組で優秀な人は、自分で道筋を付ける訓練に長けていて、「悪役令嬢」を追い払うことが出来ると思われます。
また、自分で体験し、道筋を付けながら記憶したものは忘れません。その道筋は、実体験、理屈だけでなく、映像や仕草との抱き合わせでも、語呂合わせでも「悪役令嬢」を追い払う効果があり、無駄にはならないようです。
めっきに携わるようになったきっかけは、勤めはじめた頃に上司が引き受けてきた補助金事業でした。
その内容は、高度成長期の当時、我が国のめっき耐食性試験のJIS規格がアメリカの規格の文章を真似しただけで、日本の風土・環境に適用できるか実際に調べたものがないので確かめるというものでした。
上司は常に5,6件の書き物や講演の仕事を並行して処理していました。忙しい人に話をするには、忙しければ忙しいほど短時間で済ませる必要があります。とっつきにくい人の典型は、愛想がない、高飛車、自尊心の高い人。誰しも、自分の人生では自分こそが正しいと信じているものです。もちろん上司の場合も同じでした。
事業の内容について、本を読んでやっておけというだけで具体的な指示もなければ手順もありません。上司と話しをしようとしても、上司は書き物をやりながら生返事で、10分すると電話がかかってきて、30分もするとすぐに出かけてしまうので話になりません。上司に反発しようにも取りつく島がありません。
そうしているうちに、補助金結果報告の締め切りが迫ってきました。
仕事内容・手順を整理し、いつでもできるように文章にしていましたので、仕事に取り掛かりました。
具体的には、古いめっき自動ラインを使って試験片を作る作業です。
自動ラインと言うと聞こえはよいですが、長い間放置していたため、ろ過ポンプやチェーンや乾燥機はさび付いて全く動きませんでした。
直し方は本に書いてないので、試行錯誤するしかありません。
数か所のろ過ポンプの回転軸は油を添加してパイプレンチで思いっきり力を入れてもびくともしない状態が数日続きました。毎日やっていると、わずかですが動くようになりました。こうなれば、しめたものです。力任せにガリガリさせながら一回転させました。ガリガリは続きますが何とか二回転、さらに、三回転と続けていくとガリガリが徐々に減っていきました。そこで、ポンプの電源を入れると生き返ったように回転し始めました。
「めっきがはげる」とはことわざでよく使われますが、そこまでひどくないものに「ピット」というものがあります。これは素地には達しないが、針の先で突いたようなめっきの穴を呼びます。ニッケルめっきでは起こりやすいもので、外観が悪いだけでなく耐食性が低下するため、今回の試験片としては何としてでも防止しなければなりません。
めっき槽の液を汲んで、最適な電流範囲を知るために、向かい合った電極の距離を斜めにしたハルセル試験器という容器に入れてめっきするときれいなめっきができます。ところが、その電流密度にしながらめっき槽でめっきするとピットが発生するではありませんか。その他の外観は光沢のある良いめっきですが、何としてでもピットは起こさないようにしなければなりません。
教科書には対策として、「pH調整、前処理不良、有機不純物、空気撹拌を調整する」としか書いてありません。書いてあることを何度繰り返しても同じことで、調整しても治りません。上司に聞いても、答えが返ってきません。
めっき液は濃い緑色なので、上から眺めただけでは中の様子が分かりません。そこで、めっき槽からめっき液をくみ出してみました。
するとどうでしょう。最初にめっき液を建浴するときにはない、下の隅に膨らんだ箇所があります。液を加温している間に膨れてきたに違いありません。
膨れた部分を掻きとって燃やしてみると、焦げ臭く煙を出すではありませんか。「有機不純物」以外の何物でもありません。
どうやら、めっき槽を移設する際、角をぶつけて内側の黒い耐食性皮膜が割れたので、そこに、黒い有機系接着剤を塗ったようです。
従来、実験棟で使っていた古い装置を、作業棟に移設したときに、移設引受会社が槽をぶつけてひび割れした内張りを修復したもので、移設後初めて使うことになったものでした。
その槽を使うのをやめて、別の槽でめっきしたところ、何の問題もなくきれいなめっきができました。
これらのことは、なかなか解決できなかった苦い思い出となりました。
なお、試作した試験片は、銅、ニッケル、クロムの装飾用の試験片、耐食性のあるマイクロポーラスめっきの試験片、亜鉛めっきのユニクロームとクロメート処理する試験片で、それぞれの膜厚を5段階変え、10枚ずつ合計ざっと1,000枚をほぼ一か月かけて作り終えました。最後の頃は、時間との戦いで、自動ラインは時間がかかるので、手動に切り替えて、一番長く時間が係るめっきを行っている間に前処理や後処理を手動で行うことで、どうにか切り抜けました。
最終的に、評価協会が試作した試験片を使って、どれだけ耐食性があるか調べる試験を行いました。屋外暴露試験と同じ条件でめっきしたものを、塩水噴霧などの促進試験と比較しました。その結果は、のちに我国の自動車メーカーが規格としている促進試験基準に採用されました。
その経験を生かして、我国が技術立国と言われていた現役時代には、各種工場などで“ものづくり”をしているところに、異世界から舞い降りて忍び込む「悪役令嬢」トラブルやグルグルの起こすめっき不良対策や腐食解析等の原因解析に明け暮れる日々を過ごしていました。その後、退職するまで、これらの経験が役立ち、相談の話を聞いただけでめっきの情景が浮かび上がって、技術支援にも活かすことができました。
ちなみに、“めっき”はひらがなで書くのは奈良の大仏の時代から、めっきということばがあって、当時、大仏は水銀アマルガム法による金めっきが施されていたことによるもので、当用漢字に、“鍍金”の鍍がないことからひらがな表記となっており、JIS規格や学術用語となっています。ただし、特許は検索の必要性から未だに“メッキ”としています。“鍍金”は古い屋号で使われています。ひらがなで書いていないと、上司から“おまえは、JISも知らないのか”と活を入れられたことを思い出します。
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