第48話 第2回諸侯会議 改訂版

※この小説は「続 政宗VS家康 秀頼公諸国巡見記」の改訂版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。


 空想時代小説


 秀頼の伏見での最初の仕事は秋に開催される諸侯会議の準備である。諸侯に書簡を送ることが大事な仕事となっていた。だが、それ以上に課題があった。参謀の登用である。今までは大助が行っていたが、それに代わる人材が必要であった。

 そこで、京都守護の細川忠利(44才)に相談することになった。忠利の父忠興(67才)は存命であるが、細川三斎と名乗るほどの風流人で、病気をきっかけに隠居し、息子忠利に家督を譲っていた。忠利の母は明智光秀の娘ガラシャ夫人である。第1次関ヶ原の戦いの前に、石田三成側は諸大名の奥方を人質にしようとした時に、家臣に命令をして斬られるという壮絶な最期を迎えたのである。その時、忠利は14才であった。父と母が信仰のことで仲たがいをしていたのは知っている。忠利も壮烈な時代を見てきたのである。

 忠利に参謀のことを相談すると

「そういうことであれば、うちの若い者の中にいいのがいます。ただ斎藤利三殿の血筋ですが・・」

「明智家の参謀の斎藤利三殿ですか。出自は問いませぬ。大事なのは見識と力量でござる」

 早速、その者と会うことになった。客間にやってきた若侍は

「斎藤歳三(としぞう)と申します。京都見回り組に属しております」

「うむ、今いくつになるか?」

「はっ、20才になりまする」

「家光殿のところの春日の局と縁戚だそうじゃな」

「はっ、伯母にあたります」

「それでは、今の京をどう思う?」

「京ですか・・・華やかさともろさを両方もった町だと思います」

「ほう、それはどういうことじゃ?」

「京の町屋は人が多く、にぎやかです。しかし、一歩奥に入ると流れ者やこじきがたむろしています。すりやかっぱらいは珍しいことではありませぬ」

「そうか、それでお主はどうすればいいと思っておる?」

「そういう者たちに仕事を与えられればいいと思っております。ですが、今の京では限られた仕事しかありませぬ。どこか開拓できる土地があればと思うのですが・・」

「開拓できる土地があればよいのか」

「それがあれば、そこに移住させられます」

「うむ、それならば瀬田川を越えたところに向島というところがある。毎年、川の氾濫で困っているところだそうだ。そこを干拓できないか」

「そういうところがあるならば、ぜひ、させていただきとうござる」

「では、お主に取締役を命ずる。これよりわれの元で働いてくれるか」

「はっ、殿の命で秀頼公のお役に立てと言われております。喜んで」

 ということで、秀頼の側にいることになった。これで参謀の候補の一人が決まった。次は勘定方である。これは大坂の人間がいいということで、大野治友(30才)に相談した。すると、堺の商人あがりで大野家に仕えていた松野主膳(30才)が派遣されてきた。力量は未知数であるが、世話になっている大野の紹介では無下には扱えない。しばらく様子を見ることにした。秀頼の領地は京都南部の5万石である。小大名と大差ない。権力の基盤としては、はなはだ乏しいとしか言いようがないが、この世を武力でおさめるわけではないし、金の力でおさえつけるわけでもない。生活していくだけなら5万石で充分なのかもしれない。と秀頼は思っている。


 秋になり諸侯会議が開催された。諸侯会議のねらいは日の本全体にかかわることが案件となる。今回の案件は、「年に一度の諸侯会議の定例化」である。それと、諸侯会議の参加者が入れ替わったことで、日の本平穏の方針の再確認である。

 諸侯会議の主な参加者は

 奥羽探題 千代忠宗     30才

 関東管領 上杉定勝     26才

 北陸探題 前田利常     36才

 甲信探題 真田幸昌(大助)  31才

 東海探題 大野治國     29才

 畿内探題 大野治友     31才

 京都守護 細川忠利     44才

 中国探題 毛利秀就     35才

 四国探題 長宗我部益親   19才

 九州探題 加藤忠広     29才

 の他に、10万石以上の有力大名が集まっている。その中には福島や島津、黒田といった大大名をはじめ、徳川家光・上田義慶というかつての秀頼の配下もいる。この二人とは前日に幸昌も加えて旧交をあたためている。

 まずは参加者の紹介である。一言で終わっている者もいれば黒田みたいに長々と話す者もいた。話好きというか、くどい性格なのだ。

 紹介が終わり、本題の諸侯会議の定例化の話し合いが始まった。ところが、諸大名からの反応が芳しくない。日の本全体に関わることがそんなに多いとは思えないからである。黒田忠之から質問がでた。

「秀頼公、そんなに諸侯会議を増やす理由を教えていただきたい。改易や転封をそこで話し合うという巷の噂がたっているが・・」

 秀頼は、やはりその質問がきたかと思い、一呼吸おいてから話し始めた。

「前回の諸侯会議は徳川家再興の話であった。これからもお家再興の話や、後継ぎ問題がでてくると思われる。実は長宗我部家の相続の件も本来ならば諸侯会議の案件にあげるべきであった」

 益親(ますちか)は盛親の養子である。盛親に子がなく、縁戚の者を養子として昨年後継者となっていたのである。

「となると、養子縁組を組む際は諸侯会議の了解を得なければならないということか?」

 と忠之が重ねて聞いてくる。

「子がいなければ改易となる。それを防ぐためには諸侯会議で後継ぎを決めておくというのは大事ではないかと思うが・・」

「改易を防ぐための諸侯会議ということか、それならば話がわからんわけではない。だが・・」

 と忠之は歯切れが悪い。そこに、島津家久が口を開いた。諸侯会議の長老格である。

「黒田殿は、参勤交代みたいになると思っておるのじゃ。参勤交代は遠方の大名には負担が大きい。手間も日数もかかるし、なにせ金がかかる」

 の声にうなずく大名が多かった。これには秀頼も思いが及んでいなかった。そこに加藤忠広が助け船を出した。

「それでは、諸侯会議を持ち回りにしてはどうか。なんなら来年の諸侯会議を熊本でやってもよいぞ。毎年開催では細川殿も大変だろうからな」

「いやいや、来年は仙台においでいただきたい」

 と忠宗も言い始めた。遠方の大名はよほど京に来るのがいやらしい。そこに真田幸昌(大助)が口を開いた。

「それではくじで決めたらいかがかな。さすれば、毎年違った場所に行ける。自分の領地だけでなく、他の土地を見るのもいい経験になりまする。拙者も秀頼公とともに諸国をめぐったのは無駄ではなかったと思っておる」

 ということで、くじ引きとなった。その結果、来年は江戸になった。皆、江戸の堀造りを思い出し、複雑な気分になってしまった。


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