第49話 諸侯会議その後 改訂版

※この小説は「続 政宗VS家康 秀頼公諸国巡見記」の改訂版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。


 空想時代小説


 諸侯会議を終えて、ひと段落していると、勘定方の松野主膳がやってきた。

「殿、干拓の金がかかり過ぎております。このままでは、藩の財政が破綻してしまいまする」

 と訴える。取締役の斎藤歳三が必要以上に人足を雇い、その者たちへの給金がかかり過ぎているというのである。そこで歳三を呼び、3人で話し合いをもった。

「干拓はすすんでおるか」

 と秀頼が聞くと

「はっ、計画どおりに進んでおります。冬までには堤防が出来上がり、春からは田んぼづくりができます」

「となると、米がとれるのは2年後か」

 そこに松野主膳が

「そこまで藩の財政がもちませぬ」

 と言い切る。

「と、主膳が言っておるが、歳三何か考えはないか?」

 その問いに、歳三がしばらく考えて

「人足たちの中から瀬田の川で魚を捕らせ、京で売ることはできまする。ただ、その分工事が遅れることになりますが、よろしいか?」

「いた仕方ないな。堤防は夏の大雨までに間に合えばいいのだからな」

 ということで、瀬田の川に簗場が造られ、人足が魚を追い込み、それを京で売る手配をした。そこは元京都見回り組なので、つてがある。人足の中には土方よりもそういう方がいいという者もいて、藩の財政危機を脱することができた。


 正月を越えて、秀頼に大きな訃報が届いた。四国探題の長宗我部益親(20才)が亡くなったのである。まだ若いので後継ぎは決まっていなかった。前回の諸侯会議で案件にあがった相続問題が現実問題として持ち上がったのである。

 そこで四国探題の件は、武家監察取締あずかりとなった。秀頼は早速土佐に向かった。

 土佐に行くのは8年ぶりである。地震や津波の影響はだいぶ少なくなっていた。さすが土佐の民は力強い。高知城下に入る前に旧知の春馬に会いにいった。

「殿、お久しうござる。すっかり天下人でござるな」

「なんの、権限がない天下人じゃ。諸侯会議を主宰しているにすぎん」

「そんなことはござりませぬ。殿がおられるから日の本がまとめられるのでござる。戦のない世の中になったのは殿のご尽力ではございませぬか」

「うむ、浪人を作らないようにしてきたからな」

「奈良では高取城にいた落ち武者どもをつれて、伊賀上野に国をたてたというではありませんか」

「うむ、3年かかったがな」

「義慶殿が城主というのは、ちと笑ってしまいますが・・」

「この前、諸侯会議で会った時はそれなりの風格がついていたぞ。お主もわれと一緒に旅をしていれば、城主になれたかもしれなんだがな」

「いや、わしは人の上にたつのは苦手じゃ。こうやって田舎で百姓をやっている方が似合いまする。好きなおなごと一緒にいられますし、二人の子にもめぐまれたしな。殿のお子は?」

「春に産まれる」

「奥方は大助殿の妹ごとか?」

「そうなのだ。それで酒が入ると、急に兄貴風をふかす。困ったもんだ」

「酒癖が悪くなりましたか。城主になって不満がたまっているのでござろう。諸国巡見をしていた時は日々大変でしたが、充実はしておりましたな」

「そうか、大助も子ができて奥方は子につきっきりのようだ。それで不満がたまっているのかもしれんな。おなごは子ができるとかわるからな」

「いや、うちの家内はかわりませんぞ」

「おお、のろけているではないか。ところで土佐の領主をどう思う?」

「そのことでござりますか。わしは民の立場でしか言えませぬが、盛親殿なき後、土佐の復興に尽くされたのは盛親殿の妹ごでござりました」

「妹ご?」

「出家して春来尼(しゅんらいに)と名乗っていましたが、還俗して長宗我部春来として、益親殿の後見役をしておりました。土佐の者たちはおなご城主と呼んでおります」

「して、治世の方は?」

「復興のほとんどは春来殿の力によるものと言えます。尼さんの時から各地に出向き、その地で指図をしていた。なかなかのおなごでござりまする」

「そうか、会うのが楽しみだの」

「年は殿より上でござるぞ。それに酒に強いという話です。まちがっても酒飲み競争はされない方がいいと思います」

「おなごに酒で負けるわけがなかろう」

 と言っているうちに、酒がまわって寝てしまった。


 翌日、高知城に出向き、長宗我部春来と会った。家老の3人も一緒である。

「秀頼公、遠方まで出向いていただき誠にありがとうございまする。私が益親の後見役をしておりました春来と申します」

「うむ、話は聞いておる。土佐の復興はそなたの功績だということもな」

「おそれいります。ですが、益親を守ることができませんでした。熱病にあい、苦しんでいった姿が目にやきついております」

「そうか、いた仕方ないことだ。病には勝てぬ」

「それで後継ぎの件ですが・・3人の候補がおりまする」

 ということで、3人の経歴の説明があった。皆、盛親の血筋であるが、年が幼く結局は後見人がつかねばならぬことは明白だった。そこで、秀頼はそこにいる者たちが予想しなかったことを口にした。

「年が幼い者を城主にするよりは、経験ある者が城主になった方がいいのでは?」

「と言いますと?」

「春来殿、そなたがすればいいのではないか」

「わ、わたしがですか? おなごでござるぞ」

「おなごで何が問題なのだ。戦国の世でもない、われはおなごでも大きな力をもっていた者を知っておる。裏であやつるより表にでてみないか?」

 大きな力をもっていたおなごとは、秀頼の母であることは皆すぐにわかった。

「しかし、長宗我部は四国探題の職にありまする。土佐だけの問題ではござらんが・・」

「うむ、そこは四国の大名たちをわれが説得すればよいだけのこと。大名たちが問題を起こさねば、探題の出番はない。その間に優秀な後継ぎを育てればよいのではないか」

 その言葉に春来だけでなく、家来たちも涙ぐんでいた。

「ただ、このことはわれだけの判断で決めるわけではない。次の諸侯会議で判断される。否決されれば長宗我部家の名はなくなる。別の者が城主として入る可能性がある。ただし、家臣は慰留されるようにするがな。統治はその地の者に任せよ。というのが大原則だからの。それでよいか」

 4人は顔を垂れて、了承した。


 その後、秀頼は四国各地をめぐり、四国探題の後継ぎについて説得してまわった。宇和島の秀宗(40才)は快く了解してくれたが、讃岐の生駒高俊(24才)は即答しなかった。家臣と相談するとのことであるが、旧徳川家の家臣がいるので、高俊自身が探題の座をねらっていると思われる素振りがあった。他の小大名たちはおおむね秀頼の考えに賛同してくれたが、諸侯会議にでられるわけではない。参加できるのは四国では秀宗と高俊だけなのだ。諸侯会議が荒れることが予想された。

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