2.記憶の欠落。








 ――赤い眼の少女は、今までに見た誰よりも美しかった。

 腰まで伸びた紫色の髪に、陶磁のように白くきめ細やかな肌。目元には僅かばかり鱗のような模様が浮かび上がっている。小柄で細い身体に純白のワンピースをまとう姿は可憐だが、漂う妖艶さから彼女が人間でないのは理解できた。

 しかし、それ以上に本能的な部分が刺激される。

 こちらに傅く少女を見て、俺は思わず生唾を呑み込んでいた。



「キ、キミは……?」



 それでも何とか理性を保ち、歩み寄りながら名を訊ねる。

 すると少女は、静かに面を上げながら言った。



「私の名はラスト。貴方様に仕え従う罪人にございます」

「ラスト……罪人、だって?」



 俺が思わず首を傾げると、彼女――ラストはおもむろに立ち上がって頷く。

 背丈は俺の胸くらいまでだろうか。思った通り、小柄な少女だ。



「はい、左様でございます。私は貴方様がここへ戻られるのを待っておりました。会田エイトとして新たな世界で生を受け、ここへ辿り着かれる日のことを……」

「えー……あの、話が見えないんですけど?」

「無理もございません。貴方様はまだ、お戻りになられただけですから」

「……はぁ、さいですか」



 彼女は何を言っているのだろうか。

 俺が怪訝そうに顔色をうかがっていると、ラストもそれに気付いたのだろう。ゆっくりと手で俺の頬に触れて、微かにだが目を細めた。

 そして、どこか熱のこもった声色で言う。



「やはり、簡単ではありませんね。……記憶の欠落が、著しい」

「記憶の欠落って、記憶喪失みたいなこと……?」

「似て非なるものですが、そのように考えても差し支えないかと」

「……なるほど?」



 つまりラスト曰く、俺こと会田エイトの記憶には欠損があるらしい。

 もっとも俺自身にその自覚症状がないので、彼女の言葉をそのまま鵜吞みにすることはできなかったが。それでも不思議なことに、少女の言葉が嘘偽りではない、ということは感覚的に分かった。

 そうでなければ、今ごろ会話する間もなく場を後にしている。

 もっとも、この少女から逃げられたら、の話だが。



「……おそらく、魔素の不足によるものでしょう。魔族たる者、純粋な魔素の供給なくして能力は発揮されません」

「魔素? それだったら、ダンジョンにはいっぱいあるんだろ?」

「いいえ、これには不純物が多い。貴方様に必要なのは、より混じり気のない純粋な魔素そのものです」



 などと考えていると、ラストはどんどん話を進めていった。

 俺もなんとか気持ちを取り直して訊ねると、少女は首を左右に振って答える。そして何を思ったのか、唐突に俺の首へ腕を回して――。



「え、ちょ……!?」



 ――口づけを交わす。

 それは一瞬の出来事だったのか、数分にわたる出来事だったのか。

 たしかに行われた舌を介しての唾液の交換。離れた際にラストは恍惚とした眼差しを向けながら、頬をしっかりと紅潮させていた。そしてゆっくりと、俺の首筋に細い指先を這わせて、このように語る。



「いま、私の中にある魔素をお送りいたしました。これによってきっと、貴方様の中に眠る記憶、そして力の呼び水になることでしょう」――と。



 しかし俺は、それどころではない。

 小柄な少女とはいえ、相手は人間離れした魅力の持ち主だ。口づけをして、さらには身体を密着させられると、否が応でも身体の芯が熱くさせられる。欲望が溢れ出そうになるのを必死に堪えながら、俺はラストに訊ねた。



「記憶は、いつ頃に戻るんだ……?」

「そのようなこと、些事では?」



 話題を変えようにも、しかし少女は離してくれない。

 だが、ここで本能に負けたら駄目だ。



「いや、今日は家に戻るから。……明日また、ここにくるよ」



 奥歯を噛みしめ、俺はラストに告げる。

 すると、彼女もようやく諦めてくれた様子だった。

 名残惜しそうに俺の身体を解放すると、一つ頷いてからこう言う。




「おそらく、今宵。……貴方様が、お眠りの際に」――と。




 

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