第5話 居住区のおしゃべり
「……先生、何を考えてるんですか?」
ローラがドミトリに訊ねた。
そんなつもりは無かったが、自らの考えに耽っていたらしい。
ローラは覗き込むようにして、彼へ顔を近づけた。
「アイツの事、考えてるんですか?」
「妙に気になってね……」
ドミトリの頭の中に、首枷の男が居座っていた。
その不敵な笑みが彼を見据えていた。
––あんたの手は汚れない––
その言葉が耳にこびりついていた。
法化手術––この世界の住人達はその言葉を知っている。が、その言葉の内側に潜む悲惨さについて知る者は少ない。
それは人間が魔法を使えるようにする手術––魔法を生来の物とするエルフに対抗する為に生み出された知恵であり、長い年月の中で試行錯誤された技である。
その詳しい内容については––ドミトリ自身もよく知らなかった。
法化手術には前提として魔法の使用がある。つまり、法化手術には魔術と医術の両方が必要となる。
ドワーフには魔法に関する適性が全く無い。過去の術例に、法化手術を成功したものはなく、魔法を持って生まれてきた例もない。
故に、法化手術は人間の為だけの医術と言ってよかった。
ただ、父から伝え聞いたことがあった。
その
それを想像することすら難しいが、医者としては、その為にどんな風に血を浴び、肉を切り開くかは予想できた。
「ねえ、ドミトリ先生は法化手術について詳しく知ってるんですか?」
ローラが神妙な面持ちで訊ねた。
「いや、詳しくは知らない」
「ドミトリ先生でも知らないんですか……」
ローラは肩を落とした。
彼女自身、やはりトッドの言葉が気になっていたのだろう。
マーケットの先は居住区域になっており、細い道が多い。子供達が笑いながら走り去るのを、2人は重い足取りで避けていく。
互いに口を開くことはなかった。いや、開けなかった。
この先には農業区画が続き、その外れに診療所は有る。
口火を切ったのはローラだった。
「師匠に聞いても教えてくれないんです」
ローラは粘っこく、まとわりつくような歩みを止めた。
彼女は心の中で決めたのだろう。診療所へ着く前に、決着をつけてしまおうと。
「だろうね。ドワーフには無用の技術だ」
「でも、師匠は人間です。でも、言うんです。知らないって、私にはわからないって」
彼女の目は
彼女を近くのベンチへ誘い、ドミトリはその隣に腰を下ろした。
「人間だからといって法化手術に明るいとは限らない。第一、知識があったとして経験が無いだろう。そんな技は使い物にならないし、弟子へ教えることもしないよ」
「ドミトリ先生はシズカ先生の癖って知ってます?」
ローラの目は真っ直ぐにドミトリの目を見据えていた。
何故かはわからないが、かわすべきではないとドミトリは思った。はぐらかすべきではないと。
「知らない」
「先生は嘘をつく時、必ず笑うんです。それはいつもの笑い方と違って、悲しそうな……泣きそうな笑顔を作るんですよ」
彼の脳裏にシズカの笑みが浮かぶ。
目を細め、口を大きく開けて笑う顔。
偽りもなく、心の底から出ている声。
快活で、明るくて、まるで朝顔のような––ドミトリはいつもそう思っていた。
「師匠はずるいなあ……」
困惑した顔で俯くドミトリを見て、ローラは天井を見上げた。
「……つまり、彼女は法化手術について何か知っていると」
「……はっきりとはわからないけどね。でも、あのトッドって奴について話してるとね、笑うんだ……師匠……」
雲母のように明るいローラの顔に陰が差していた。
「……人は誰もが秘密を抱えている」
ドミトリは己の手を抱えながら呟いた。
「ドミトリ先生も?」
「ああ、僕もだ」
それはローラを慰める為の言葉のはずだった。だが、まるで自分に言い聞かせる為の言葉になっていた。
「そっか……正直者のドミトリ先生にも秘密はあるんだ……」
「もちろん」
そう、きっと、俯く
「だから、この話をシズカの前でするのは、よそう」
ドミトリはローラへ顔を向けた。
「うん……」
「ただ––」
不安げなローラの肩に手を置き、ドミトリは力強く言葉を継いだ。
「トッドの事は注意深く見ておこう。彼の処遇は治安委員会が管理するんだろう?君の方から少し手を回してみてくれないか?彼が自由に動き回れないような……何らかの処置を」
ドミトリの言葉にローラは黙って頷いた。その目には再び力が戻っていた。
「監視役をつけるように頼んでみるね。奴が大人しくここから出て行ってくれれば良いんだけど……」
ローラは溜息をついた。
彼女自身、それが希望的観測であると理解していた。
「僕達に出来る備えはしておこう……それと––」
ドミトリのガラスのような目がローラの顔を正面から刺す。
「これは僕達2人だけの秘密だ。考え過ぎかもしれないが、シズカの秘密に関わることかもしれない。大事にはしたくない」
「2人だけの……秘密……」
ぼんやりと呟くローラ。
「……わかりました」
それが、ローラの精一杯の答えだった。
「よし、つまらない話はこれでおしまいだ。頭の片隅にだけ置いといてくれ」
彼はそう言って立ち上がり、ローラに手を差し出した。
「君の口から話を聞かせてくれ。何か面白い出来事は他にあったかい?」
ドミトリには気付かれぬ程の、一瞬のためらいの後、ローラはその手を取った。
柔らかく、繊細な動きを見せる手––。
ローラはその手を心から尊敬していたのだ。
「それがですね、さっきの治安委員長のメッシーナさん。この間、トイレでやらかしましてね––」
ローラはその手を強く握ろうかとも考えた。
だが、考えただけで、結局止めることにした。
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