第4話 アイル坑道へようこそ Part2

 アイル坑道の頸動脈ともいえるエレベーターはアイル坑道の心臓部ともいえる市場マーケットへと降り立った。

 

 鋼鉄の床を敷かれた円形の広場を中心とし、同心円状に宿屋や飲食店、服屋に食料品店などが階層を成している。


「ひょっとしてドミトリ先生かい?」

 

 広場の人々は懐かしき来訪者に気付き、次々と声をかけていく。


「久しぶりだねえ!ドミトリ先生!」


「ドミトリ先生、またうちのポークチョップ食べっとってくれよ!」


「えー!ドミトリせんせー、きたのー?ねー、ねー、あそぼーよー!」

 

 四方八方から声が飛び、群衆がドミトリへと集まる。

 

 1人1人丁寧に対応しようと努めるが、ドミトリはあっという間に飲み込まれてしまった。


「ちょっと、ちょっと、皆さん!ダメですよ!ドミトリ先生は1人きりしかいないんですから!あっ、ほらっ!あっ!ああーーーーもう!」

 

 ドミトリを中心とした交通整備が始まった。

 

 手を振り、指を差し、声をかけつつ、ローラは巧みに人々を仕分けていく。

 

 混沌が人の波となって秩序だって引いていく様に、ドミトリは嘆息たんそくした。

 

 同時にローラの持つ才にも––。


 そんな中、乾いた笑い声がマーケットに響いた。


 「人気者は辛いねえ!」

 

 今度は声の先に、皆の視線が集中する。

 

 マーケットのど真ん中––光無き世界に1日をもたらす時計塔––

 

 その隣に据えつけられた晒し台。

 

 滅多に使われることの無い、この刑具へ今日は人間の男が嵌め込まれていた。


 赤みの強い茶髪はほとんど手入れがされておらず、髪の毛と同じ色の髭が口の周りを覆い始めていた。

 

 そういった特徴を差し置いて、彼を惹きつけたのは男の眼だった。

 

 悲しげな目、闇をたたえたような––黒真珠のような瞳––


「君は?」

 

 思わず近付いていた。

 

 男はドミトリの問いかけには応えず、ただ、彼の水晶のような目玉をじっと見ていた。

 

 一瞬、2人が静寂に包まれた––そんな錯覚をドミトリは抱いた––

 

 それは男も同じだったのだろう。


「トッドだ。流浪のトレーダーでギャンブラー」

 

 かすれた声だった。


「そうか、トッド。僕はドミトリ。ドミトリ=テーヴァッサー。医者だ」

 

 ドミトリは握手をしようと手を上げかけて、すぐにそれが無理なことに気付いた。


「ケックック、すみません先生、俺のような小悪党に紳士として振る舞って頂いたのに……」

 

 意地悪く笑い、首枷くびかせめられた手をヒラヒラと動かすトッド。

 

 申し訳なさそうにドミトリはうつむいた。


「先生、コイツにそんな風にすることないよ」

 

 ローラがトッドの髪を引っ張り上げる。

 

 トッドの頭は本来なら彼の腰の高さまでの身長しかない彼女と、今や同じ高さになっていた。


「コイツはね、盗人なんだ。最悪のね。診療所に忍び込んで薬を盗み出そうとしてたんだ」


「そいつは誤解ですよ。お弟子殿、俺の目当ては薬じゃない––あの医師せんせいさ」

 

 ローラの右手が走った。

 

 痛烈な高い音と共に、トッドの左頬が赤くなる。


「へへ、痛え。首枷コイツを外してもらったら、先生に診てもらわなきゃ……それともあんたが診てくれるかい?」


「コイツ!師匠に情けをもらって––!」

 

 再び振り上げられた右腕をドミトリが止めた。


「止めておきなさい」

 

 ただその1言––ドミトリは発した。

 

 若々しく柔和な風貌から、落ち着いた威厳のある言葉が発せられる––

 

 そういった瞬間のドミトリをアイル坑道の人々は時たま見ていた。


 ローラは何も言うことなく、手を下ろした。


「ありがとうよ。ドミトリ先生」

 

 トッドは皮肉めいた笑みを浮かべる。


「誤解するな。彼女に手を汚して欲しくなかっただけだ。手は医者の命だからな」

 

 その言葉を受け、トッドは高らかに笑う。


「先生!安心しなよ!あんたらの手は汚れない!あんたらじゃあ法化手術は無理だからな!でも、は違うだろ」


「何を––!」

 

 トッドへにじり寄ろうとするドミトリを今度は周りの人々が止めた。


「ドミトリ先生、先生の言う通りだよ。先生達2人が手を汚すことはない」

 

 銘々めいめいにすりこぎやフライパン、金槌などを手に動けないトッドを囲む。

 

 そんな状況でもトッドは動ずることなくわらい続ける。


「そうだよドミトリ先生!早く行った方が良い!じゃないとアンタまで……へへ、殴られちまうぜ!」


 ドミトリとローラは晒し台を後にした。

 

 トッドという男は恐らく死ぬだろう––。

 

 誰にも思われることの無い流れ者––。

 

 それが1人、この世から消え、世界は何事も無かったかのように進んでいく。

 

 この世界では当たり前のことで、何回もそうした情景をドミトリは見てきた。

 

 ただ、彼の眼だけが、やはり引っ掛かってはいたが––。




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