第3話 アイル坑道へようこそ
そのドワーフの男の口は左耳近くまで裂けていて、擦り潰された歯が露出していた。
ドワーフの男というのは髭を蓄えることを好むが、彼は伸ばし切りにはせず、綺麗に切り揃えていた。
髭で傷を隠すこともできたはずだが、彼はそうしない。その傷を誇っているのだ。
彼は誇り高い男だ。
ドミトリはそう考えていた。
自らの傷を誇り、老いたといえども未だ壮健な身体を誇り、彼が手綱を握るこの街
を誇っている。
ドミトリの視界に父親の姿が浮かぶ。
男から薦められた席に座り、傷の男と穏やかに談笑する父の姿が––。
そんなドミトリを高らかな声が現実に引き戻す。
「せーんせ♪何ボーッとしてるんですか?」
「え?ああ、最初にアイル坑道に来た時のことを思い出してたんだよ。ローラ」
傷の男の斜向かいの席で、クセの強い栗毛が跳ねた。
「最初に来た時〜?あーーウチが8つの時かー。もう、そんなになるの〜?」
ローラがキラキラと喋る間に、ドミトリは席についた。
アイル坑道の最高責任者、ジュールスと相対する為に。
「管理官自ら審問とは」
ジュールスと向かいあうと背筋が伸びる。
旅の中で、ドミトリは往々にして、そういう男達と出会う。そして、そういう男達がドミトリは嫌いではなかった。
「相変わらず仕事のし過ぎだと思いますよ」
ジュールスの目を見据え、ゆっくりと言葉を継いだ。
「私も思い出していたんだよ––」
席につきながら、ジュールスは懐からパイプを取り出す。
「叔父さま!」
ドミトリの隣から鋭い叱責が飛ぶ。
「煙草を止められないのなら、せめて控えるように申し上げたはずですが……本日3回目ですよ!」
ローラの斬りつけるような目に、ジュールスは慌ててパイプを仕舞いこんだ。
「やれやれ……こいつが無けりゃドワーフの生き甲斐など無いというに……」
ぼやいてはいるが、ジュールスの目は緩んだように細くなった。
時が進むということは、生きている者それぞれに別の意味を与える。
感心と寂しさのようなものが、自分の中へ湧き上がったようにドミトリは感じた。
「まあ、とにかく……今更、審問などしない。皆に会ってやってくれ!」
ジュールスは苦し紛れに、審問の終了を告げる。
「いいんですか?形式的にもある程度はやっておいた方が……」
ドミトリは慌てたようにとりなしたが––。
「いいんです!叔父がこれ以上何か詰めるようなら、私が叔父さまを
ジュールスではなく、ローラが毅然と言い放った。
「いいから、行ってくれ!姪っ子に弾劾されちゃ敵わん」
ジュールスの言葉に背中を押され、ローラの後ろへと続く。
「悪いよ、ローラ、こういうのは一応きちんとやっといた方が良い」
ドミトリはローラの背中へ静かに語りかけた。
「いいんですよ、ドミトリ先生、いいんです」
強引にそう言うと、ローラはドミトリの手を取り、審問室のドアを開いた。
審問室の外はバルコニーになっていて、一気に視界が開ける。
「先生は善い人だから良いんです」
バルコニーから続く階段を降りながら、ローラは振り返ることなく言った。
「善い人?僕は善い人なんかじゃないよ」
目を伏せながらドミトリは答えた。
「いいえ、善い人です。師匠もそう言ってます。ここに来た時から……ドミトリ先生のお父さんが亡くなっても、師匠のお父さんがいなくなって師匠が辛い時も、ドミトリ先生は変わらずお医者さんでした。そんな人が悪い人な訳ありません」
ローラの声は坑道に強く響く。
「でも、人は変わるよ。体も心もね」
カツカツと階段を踏む音だけが2人の間を通り抜けていく。
少し肩を落としたようなローラに気まずさを感じ、ドミトリは目を背けた。
ここからはアイル坑道––ドワーフ達が造り上げた地下居住施設のほぼ全てが一望できる。
眼下に点在する光は定命の者達がいるという証拠、立ち昇る煙は彼らが生きているという証拠だ。
本来、ただ鉱石を採取するだけであった空間をドワーフ達は拡張し、削り、
壁面でまばらに反射する鉱石1つ1つをドミトリはじっくりと眺め、息を呑む。
「ドミトリ先生は変わらないよ」
いつの間にか2人の歩みが止まっていたことにドミトリは気付いた。
少し先を歩いていたローラは気付かぬうちに彼の隣に立って、同じ景色を見ていた。
––何故、そんなことが言える?––
ローラの顔がそんなセリフを止めた。
愛おしげにか––。悲しげか––。
ドミトリには彼女の
「ここの景色が1番好きなんだよね。先生」
ローラは歩き出していた。
「えっ?」
情けのないことに、ドミトリの口をついて出たのはその1言だった。
構わずに進むローラへ追いつこうと、ドミトリも再び足を動かす。
「先生、自分で気付いてるかわかんないけど––」
そう言いながら、ローラはクスクスと笑い出す。
「先生、わかりやすいんだ。顔にね、全部出る。先生は気に入ったものを見た時、聞いた時、そういう顔してるんだ。言葉に出さずにね」
2人はエレベーター乗り場に到着した。
ドミトリは自らの顔に触れた。
全く考えたことも無かった。
自分の表情––見た時、聞いた時、触れた時、話している時––
自分がどういう顔を作っているのかを––。
「そんなね、深く考えないでよせんせっ!ウチが勝手に勘違いしてる可能性もあるんだし。とにかく––」
ローラは無邪気に笑い続け、エレベーターの操作レバーを倒す。
「おかえり。ドミトリ先生」
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