第2話 4つの門
アイル坑道が何のための鉱山だったのか?
それを覚えている者はもうほとんどいなくなってしまった。
でも、アイル坑道の過去に何の意味があろうか?
大事なのは、今、アイル坑道は人々の避難所になっているということ。そして、一生の住処になっているということだ。
ドミトリは鋼鉄の門の前に立った。
たちまち、門の表面を水が走り、巨大な鏡面のようになる。
「顔をよく見せろ」
門から声がした。
ドミトリは言われた通り、フードを脱ぎ、口元のマスクを外す。
黒髪の、人形のように端正なドワーフの青年の顔が現れた。
「おお!ドミトリ先生!今から開けますんで」
門の声色が喜びに変わり、門が大きな音をたてる。
中に入ると、もう1つ、門が姿を現した。
表の門と似たような普通の門––その真ん中に栓のようなものがあるのを除けば––
「じゃあ先生!いつも通り、真ん中に立って下さいよ」
栓が抜かれ、鉄の籠手がひょっこりと姿を現す。
「いきますよー、構えて下さいね」
籠手から突風が吹く。
衣がバタバタと慌ただしい音打ち鳴らす。
足下の砂や小石が巻き上がり、1つ目の門の彼方へ飛び去っていく。
第1の門が閉まり、2つ目の門の先に、背の高い男達が2人、背の低い男達が多数、姿を現す。
「久しぶり。ドミトリ先生」
背の高い、重ね着に重ね着を重ねた男がしゃがみこみ、ドミトリの肩に手を置いた。
「久しぶり、ガルヴァさん。元気でしたか」
ドミトリはふと彼の右耳に目をやる。本来なら長く尖った耳の先端が欠けていた。
「こいつか」
ガルヴァは耳の断面に手を添えた。
「やられたよ。油断した訳じゃないんだが……野盗ども、トレーダーに化けてたんだ。グロッグが気づいてくれたからよかったが。
「先生にはそんな必要ないから、楽でいいや」
全身をフルプレートの鎧で覆った男が朗らかに言った。
「とはいうものの、初めて先生たちを見た時は、ちょーーー怪しかったけど」
鎧の男はガルヴァの肩をポンポンと叩き、立ち上がらせた。
「流浪のドワーフの
鎧の男が笑った。
「確かに、グロッグ、お前が最後まで1番怪しんでたな……先生の鞄に手を突っ込んで––」
ガルヴァが鎧の男をこづく。
「底なしの鞄に腕を無造作に突っ込んだもんだから、引きずり込まれそうになって……鞄に落っこちるなんてシャレにならんよなあ」
グロッグは愉快そうに頭を叩いた。籠手と兜がカンカンと良い音をたてる。
「その警戒心が大事なんですよ。あなた方2人、見張りの皆さんがこの地下居住地の安全を守ってるんです」
ドミトリは淡々と応えた。
グロッグが顔を門の方へ向ける。軽快な男の目は兜の
「俺たちはエルフだ。ここにいる大半の奴らより長く生きられるが––」
兜の下の顔をドミトリは想像することができなかった。
一方、ガルヴァの方はうつむき、相方の言葉を待っていたが。それが発せられないとみるや、静かに言葉を継いだ。
「盗賊連中に殺されるかもしれないし、もっと最悪な……くそッ!」
自分の脳裏に浮かんだことを必死に否定するように、ガルヴァは強く頭を振った。
「せめて、人間が増えてくれたらな……なあ、先生、あんた法化手術は出来ないのか?」
「出来ない」
ドミトリは即答した。
ガルヴァは少し肩を落とし––わかっていたはずだ––といった様子で微笑んだ。
「そうか……そうだよな……ああ、先生こんなところで引き留めて悪かった。みんな……待ってるはずだ。みんなのところへ行ってくれ。シズカ先生も––待ってる」
それでも少しショックだったのだろう。
ガルヴァは少し弱々しく、ドミトリに告げた。
門から続く渡り廊下へと向かうドミトリ。
そんなドミトリにグロッグが努めて明るく告げた。
「ああ、すまないが先生。あんたといえど手順は守って中へ入ってくれ」
地下居住地というやつはそれぞれに構造の差異はあるが、入り口の造りはどこも似ている。
外門と内門、守衛の間・検査室・
守衛の間を通り抜けたドミトリは検査室へと向かう。
「手術道具に、ナイフ、火打ち石、あと紐の切れ端のようなもの2本か……あと、干し肉にパン。肉の種類もお願いしますね––」
グロッグともう1人のドワーフは慣れた手つきで目録を作成していく。
「薬草は本当に助かりますよ。貴重品ですからね。盗難には気をつけて下さいよ」
グロッグはドミトリの指示通りに薬草を選別し、次々と別室へ運ばせていく。
「だいたいこんなところのはず……僕の手帳に書き漏らしが無ければね」
ドミトリは呆れたように呟いた。
「底なしの鞄も不自由なもんですね」
グロッグは仇敵を見るかのように鞄を見つめ
「先生、わかってると思いますが、コイツは預からせていただきます」
ドミトリに笑いかけた。
身につけていた物(もちろん服も)全てを運営委員会に渡すと、薬湯の間へ送られる。
薬湯の張られた浴槽とかけ湯の区切り。
ドミトリは浴槽のへりに腰かけ、足をつける。定命の者全てが潜れるように作られた浴槽はドワーフにしてみると少しばかり大きい。
へりに手をかけ、ゆっくりと全身をつける。
薬湯といっても、薬草などを煎じて作った訳ではない。
ただ真水にツキミ草、センブリ、炒ったオーカシの実、メーシナ、
これらの植物は特に〈闇〉と反応しやすい。〈闇〉は不水溶の性質を持つため、これによって、体に付着しているかもしれない〈闇〉を取り除くのである。
10秒の潜水を30回繰り返した後は、かけ湯の区切りへと向かう。
分厚い作業着を着た男のドワーフ達がブラシのついた棒で、ドミトリの体を洗い、水をかける。
「この仕事は冬が最悪なんですよねー」
1人の男がそう言うと全員が笑った。
体を拭き、充分に乾かしている間に、簡素なツナギの服(これのせいで地下居住施設への来訪者と居住者、その見分けは恐ろしいほど簡単だ)、検査に通った自分の荷物が次々と用意されていく。
ドミトリは髪が乾くのを待ちながら、グロッグに持ってきてもらった手紙やカルテを読む。
目を細めたり、口角を上げたり、眉をひそめたり––ゆったりと時間は過ぎていく。
やがて、ドワーフの若者がドミトリの目の前に現れ、声をかける。
「ドミトリ先生、審問室までどうぞ」
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