顔が好みだった騎士を婚約者にした。なお、仲は悪いと評判です。
夕山晴
顔が好みだった騎士を婚約者にした。なお、仲は悪いと評判です。
「何よ! 顔だけの男のくせに!」
「なんだと! そういうお前は家柄だけの女だろうが!」
一応エスコートの格好だけは取り繕いつつ、パーティーに入場してきた男女はずっと憎まれ口を叩き続けた。
「ふん、何でこの私が、こんな男なんかと!」
「それはこっちのセリフだ。俺を何だと思ってる!」
入場が終わるや否や、さっと手を離して解散する。
男は騎士家系が集う場所へ足を向け、女の方には必然的に人が集まってきた。
「ジュリエッタ様! 今日も素敵ですわ」
「今日こそは私とダンスを踊ってくれるだろうか」
共に入場してきた婚約者のことには関心がないように振舞う人々にも慣れていた。
不仲な婚約者のことを口にして、不快な思いをさせたくないという思いが透けて見える。
そんな危険を冒したくないという保身のためだろう。
そうして女──ジュリエッタはというと、男女問わず集まってきた人々の顔を見比べていた。
(普通、普通、可愛い、まあ綺麗、普通、ブサイク、ブサイク、綺麗、ブサイク、普通……)
もちろん笑顔のままだ。
外見ばかりが気になるなんて身分ある人間としてあってはならない。だからこそ、気取られてはいけなかった──なのに。
腕をつんと突かれ、顔を向けると、お淑やかに笑う美人がいた。
「ジュリエッタ様、少しよろしいでしょうか」
瞳の奥に有無を言わさんばかりの意志が見えた。ジュリエッタも軽く応じる。
「まあ、お久しぶりですね。ええ、ではあちらでお話しましょうか、セリーヌ嬢」
人の輪から外れ、バルコニーの隅。
人から見えないことを確認すると、ジュリエッタはセリーヌに抱きついた。
「もう! 遅かったじゃないの! 楽しみにしてたんだから!」
「ふふ、今日もなかなかのいがみ合いだったわ」
入場のことを指したのだろう、ジュリエッタは小さく頬を膨らませた。
セリーヌはジュリエッタのことを知っている──知られてしまったのは偶然だった──から、臆せず婚約者のことも口にする。
「最初から見てたのね。どんなに合わなくても婚約者だもの、仕方ないでしょ?」
「そんなに嫌なら解消だってできるでしょう?」
「う……意地悪ね。そうできないのは、知ってるくせに。もう! もっと早く声をかけてくれたって良かったじゃない、待ってたのよ」
セリーヌはわざとらしく目を伏せた。夜風で前髪が揺れ、長い睫毛が見える。
「そうは言うけど、ジュリエッタはどこでも人気者だもの。なかなか近づけないわよ。他の方だって挨拶くらいしたいでしょうし」
「人気者って……そりゃあ公爵家の私を無視できないでしょうよ」
でもそれだけだ。
公爵家という立場上、知識はある。が、それは人より多くの時間を勉強していただけのこと。
凡庸で特出した才もなく、欲しかった美貌があるわけでもなく。
目の前のセリーヌのように笑えば周りがほっとするような、もしくは凛として美しく誰もが一目置くような、そんな容姿を持っていたらどんなに良かったか。
「まあまあ、拗ねない拗ねない。こんなものを簡単に手にできるなんて、それこそ公爵家だからでしょ」
手渡されたのは布に隠された平らな板のようなもの。
「まあ! 今日も楽しみだわ」
「ええ、一級品間違いなしよ。帰ってから楽しんでね」
「いつもありがとう。あなたのおかげ」
「私からすれば、公爵家の財力のおかげなんだけどね」
ジュリエッタは、セリーヌと会えばいつもこの板を持ち帰った。
正確には購入しているものだが、ジュリエッタはプレゼントだと思っている。
プレゼントを受け取った後のジュリエッタはそればかりが気になって、パーティーも程々に帰路に着く。
屋敷に着いたジュリエッタが、板を抱きしめたまま、真っ先に向かったのは特別な部屋。
中に入ると掛けられていた布をばっと外した。
「まあ……! 今日のも、素敵……!」
現れたのは男性の絵だ。
凛々しい顔に、鍛えられた体つきも、まさしく一級品。
それをひとしきり眺め楽しむ。その表情は光悦としていた。
ジュリエッタは美しい姿に目がなかった。
男性であれ、女性であれ、綺麗なものは美しく、目が離せなくなる。
セリーヌはそんなジュリエッタのために──もちろん自分のためでもある──絵画を調達してくれるのだ。
セリーヌは芸術品に目のない伯爵の娘だった。
幼い頃から芸術に触れて育った彼女は、美人に声を掛け、モデルを頼み、完成した絵画を売っていた。美しい人物絵を見たいという、趣味の一環として。
そうして絵師の知名度を上げつつ、モデルとなってくれた美人には高い報酬を支払う。絵師もモデルも、そして自分もうまみを得る素晴らしいサイクルだ。
その絵画の一つをジュリエッタが熱心に見つめていたところ、セリーヌと出くわした。それから二人の関係は続いている。
元々セリーヌの趣味だったが、意気投合したジュリエッタのおかげで資金が増え、ますます美人探しに精を出すようになった。
つまり、絵画の数も増えていた。そして厳選した一級品を、ジュリエッタに渡してくれる。
ジュリエッタの特別な部屋には一級品たちが飾られていた。
見渡す限りの美人ぞろいだが、一枚、一際立派な額に飾られた絵画がある。
これまた男性の絵だった。
短い艶やかな黒髪、通った鼻筋。程よくついた筋肉に、少し日に焼けた肌。まるでこちらを見透かしているような深緑の瞳には何度見ても心奪われた。
自分の空想で作り上げた幻のごとく、彼は理想そのものだった。
もちろん実在する。ジュリエッタの婚約者テオだ。
会えば睨み、口を開けば言い争い、微笑み合ったことは初対面の一度きり。
今日もいがみ合ってきたばかりの、あの婚約者。
「本当……顔だけは、いいのよ……好き」
他の一級品が霞んでしまうほど。
だからジュリエッタは婚約を解消できない。したくない。
この顔の隣にいられるのなら何だってできる、と自信をもって言えた。
テオは騎士だった。
田舎にある寂れた子爵家の三男で、その身一つが資本。
鍛錬を重ね、力をつけ、王宮が抱える三つの騎士団の一つ、その副団長にまでなった。
実力はある。知名度もある。ただ、後ろ盾が足りなかった。
団長となる素質も気概もあるのに、家名だけが邪魔をした。
そこへジュリエッタは付け込んだ。
初めて訪れたセリーヌの店で、思わず彼の絵画を購入した。
その顔の傍に居られるのなら、と婚約者に立候補したのだ。
「願いは叶ったのに、なかなかうまくいかないものね」
テオは顔がいい。
それは周知の事実で、婚約者候補に名乗りを上げた女性は何人もいた。
その中でジュリエッタが選ばれたのは、一番地位が高かったからだ。
公爵家を断れるほどテオの家に力はなかったし、テオ自身も高い地位が、それこそ喉から手が出るほど欲しいものだったから。
お互いに利害が一致して。
めでたく婚約となったのだが。
「……どうしていつもああなっちゃうのかしら?」
ジュリエッタは喧嘩をしたいわけじゃない。
できるなら大人しく隣で美しい顔を堪能したい。
それができないのは、ジュリエッタのせいだった。
照れて顔を赤らめないよう常に気を張っていたし、直視して挙動がおかしくならないようそっぽを向いたりした。
自分では気づいていないが、テオに緊張しまくっていたからだ。
「やっぱり……あの言葉が原因よね。でも上手く謝れないんだもの」
挙句、願ってやまなかった婚約を「公爵家の名前が欲しかったのね」と言い放ち、彼のプライドを傷つけた。
後悔はしていた。謝りたいとも思っている。
が、やはり気づいていないが、緊張のせいで、つっけんどんな態度になってしまうのだ。
上手くコントロールできない自分自身を嘆きつつ。
ジュリエッタは今日もまた何も言わずに見つめてくれるテオを見つめ返すのだった。
◇◇◇
毎年恒例の行事で、騎士団員たちの力試しとなる練武会がある。
トーナメント形式で行われる一対一の決闘により、一番力のある騎士を決める大会である。
皆に親しみを覚えてもらうことも目的としているため、観客として見ることもできる。
「今年も始まるのね……」
観客席に座り、ジュリエッタが思い浮かべるのは、テオの試合だった。
副団長の地位にあるテオもまた、この練武会によって成り上がった人間だ。
大した後ろ盾もなく名を挙げるには、うってつけの大会だった。
もちろん力が無ければ記録にも、誰かの記憶にも残らない。ある意味、非情な行事なのだが。
テオにはその美貌があった。
逞しい顔つき、がっしりした体つきの──ジュリエッタの認識の中ではブサイクとも言える──騎士が多い中、テオの顔は観客の目を引いた。
たとえ力が無くても記憶に残るような……そんな美貌に、騎士仲間たちは敵対心を覚えていたようで、他よりも当たりが強かったように見えた。
もしかしたら日常茶飯事なのかもしれない。
だからこそ強くならざるを得なかったのかもしれないが、圧倒的とも言えるような力で相手をなぎ倒していく様は見ものだった。
過去の思い出にうっとりしていたが、ジュリエッタは我に返った。
なんとテオは今年、トーナメントには参加しないのだと言う。
何のために、見に来たのだと思って……!
副団長となって数年、十分に力のある存在となったテオは、トーナメントを勝ち進んできた勝者一名と戦うことになっているらしい。
残念に思いながらも、もしかしたら他にも収穫(美しい顔)があるかもしれないと気を持ち直した。
そんな時だった。
令嬢たちの話が聞こえてきたのは。
「あの副団長……ほら、子爵家の」
「あ、あの顔がやたらと良い……」
「そう! 今年は出場されないそうよ」
同じ思いを抱いているのね、と耳をすましたが、どうやら違ったらしい。
「良かったじゃないの、勝てるチャンスが増えたってことでしょ」
「そうなのよ、いつもいつも私の家の騎士が邪魔されて。悔しいったらなかったわ」
そんな令嬢たちを横目に、ジュリエッタはうんうんと頷いた。
そうよね、強いもの。戦ったら負けちゃうものね。強くて顔も良かったら、勝てるところ、ないものね。
邪険に思うのも仕方ないと思っていたが、ついに聞き流せなくなった。
「たかだか子爵家のくせに。ほら公爵家のジュリエッタ様と婚約されたでしょう。あれって、後ろ盾が欲しかったからとのことだけど」
「ええ、いくら強くても人をまとめる立場にはなれないものね、子爵家程度では」
「でも、ほら、ジュリエッタ様とは不仲……いえ、上手くいっていないと有名でしょう?」
自分の名前が出てきたからだ。一層、耳を傾ける。
「そりゃあそうよねえ。いくら顔が良くたって、格下相手。剣ばかりしていたと言うし、ろくにエスコートもできないようじゃ、ジュリエッタ様だって嫌になるわよ」
「顔ばかりだとジュリエッタ様も仰っているし」
「ふふ、飽きられて捨てられる、なんてことになったら面白いかしら。そうなったら今の副団長の位もはく奪されるかもしれないわ。路頭に迷うことになれば私の家が拾ってあげてもいいけれど、ふふ」
「まあ……! ふふ、誰かに聞かれたら」
堪えられなかった。だって自分以外の人間が彼を貶している。
「──そう、聞かれて困るのはあなたたちよ。その口を閉じなさいな」
声を上げると、その声の主を探るように彼女たちは見回した。
そうしてジュリエッタの姿を目に留めると、さっと青ざめた。
「……ジュリエッタ様……!」
「私の婚約者を侮辱することは許さないわ」
ジュリエッタは有名だ。
高位な家柄ということもあるが、怒ると容赦はないということでも知られている。
家のおかげで、人脈もあり金もある。気に食わないことが起きた時、どんな手を使ってでも対処できたから。
社交界の中心の一人、そのジュリエッタを敵に回したくないと、多くの人が媚びへつらった。
「え、でも、ジュリエッタ様も……」
「──あなた、彼の顔は嫌い?」
「はい!? いえ、とても素敵だと思います……わ」
「でしょう。それに剣もとても強い。あなたの家系……騎士が多いのでしょう? 騎士が強くなるための要領も十分に把握しているはず。それでも彼には勝てない。どういうことかお分かり?」
ジュリエッタにすれば、十分に優しい言葉だった。
が、驚いた彼女たちは、びくびくと声も上げない。
そんなに怖がらなくたっていいじゃない。次は無いけど。
「努力を、しているの。あなたの家の騎士たち以上に。あなたが想像もできないくらいのよ」
ジュリエッタの彼に対する態度が、悪評に繋がっていた。許せなかった。
テオは正当に評価されなければ。
「私はそれを認めているし、知っているの。私が彼を貶すのは、唯一の弱点である家系だけ。でもそれも私と婚約したことで、だいぶ……それこそあなたたちよりは格は上がっていると思うわ。婚約を解消するつもりもありませんし……だから何かあっても彼があなたの家にお世話になることは無いかしら」
とどめとばかりに少しだけ馬鹿にして。
つん、と顎を上げたジュリエッタは満足していたが。
近くにあった太い柱の裏に一人、隠れていたことには気づかなかった。
◇◇◇
「久しぶりね」
「……ああ」
嫌々ながらも返事をしてくれる、その顔の造形に内心ときめいた。
相変わらず顔がいい。
絵画とは違う角度から見ると、また違った格好良さが発見できて、動揺しっぱなしだ。
ジュリエッタはふん、と顔を逸らす。
テオとジュリエッタの婚約が決まってからというもの、二週間に一度顔を合わせる日を作っていた。
少しでも仲良くなるため、という名目だったが、一向にそんな気配はない。
なぜなら、ジュリエッタはいつも不機嫌そうにそっぽを向くし、テオはそれを見て不機嫌になった。
不機嫌な二人は、口を開けば喧嘩になるから、互いに口を噤むように心がけるようになった。
結果、無言のデートである。といっても屋敷内の庭園や温室、美術鑑賞をするだけではあるが。
今回も極力口を開かないように、と国内屈指の有名洋菓子店から大量のお菓子を仕入れていた。
好みはわからないが、種類もある。どれか一つでも口に合えば嬉しいし、もし好みがわかればそれも嬉しいし。
食べている姿を堪能できるし、話さなくても場は持つし、完璧だとジュリエッタはほくそ笑んだ。
どのお菓子に一番に手を伸ばすのかと眺めていたが、テオは動かなかった。
ちらりと顔を窺えば、その深緑の瞳で──いつも絵画で見ているその瞳で凝視されている。
「な、なに?」
「先日の、練武会にきていたな?」
「え、ええ、悪い?」
「……いや、俺はトーナメントには出なかったから」
「別にあなたを見に行ったわけじゃないから! けど最後には出てたじゃない」
トーナメントを優勝した騎士と、戦っていた。
勝敗はもちろん、テオが勝った。
その姿を食い入るように見ていたのだから、今も鮮明に思い出せる。
何を言いたいのかと首を傾げた。
テオはいつもとは違い、どこか所在なさげで落ち着かなかった。
口を噤むための菓子にも手を付けず、むしろ自ら口を開いて。
「……どうかした?」
ジュリエッタの言葉に、テオはとうとう顔を覆った。
「は? え? どうしたの?」
顔を隠さないでよ、唯一の楽しみが!
狼狽するジュリエッタも気にならないようで、テオは独り言のように話し出した。
「練武会の日……俺は暇を持て余していた。戦っていれば時間も忘れるのに、トーナメントが終わるまでは俺の出番はない。だから本当にたまたま歩いていただけだったんだ、決して覗き見なんてしてないし」
「はあ?」
「そうしたら聞こえたんだよ。いつもの俺への悪口だ。まあ力と家格が合っていないから、それはいつものことだ。しかしそれに反論のようなことを言う珍しい女がいてな、それも聞き馴染みのある声で」
顔を上げたテオの視界に入った途端、カッと体温が上がった。
思い当たる事はある。
え、何、聞かれてたの? この前のあれ?
あの子たち絶対に許さないんだから。
そもそも反論する女が珍しいってどういうこと? みんなしなさいよ!
こんな美しい顔の持ち主を貶すなんて考えられないわ!
貴族たちの間でテオの悪口が蔓延ったのは、間違いなくジュリエッタの態度が関係していたが、まるっと棚に上げて、ジュリエッタは怒った。
乱雑に席を立ち、そして──逃げだした。
くるりとスカートを翻し、公爵令嬢としてはあるまじき動きで、全速力で。
「は? ちょっ、待て、お前!」
「待つわけないじゃないの!」
恥ずかしかった。
どんな顔でテオを受け入れればいいのかわからなかった。
地の利を生かして、俊敏に動き回る。
一目散に逃げて、助けを求めて、そして入った部屋は。
一番馴染み深いテオのいる、絵画の部屋。
失策である。
「ここかぁ!」
騎士団の副団長を出し抜けるはずもなく。
走ってきたテオの目に晒されたのは、ジュリエッタが集めた絵画──美人画。
あんぐりと口を開けたジュリエッタの隣で、テオもまた口を大きく開けた。こちらは目も。
いくつもの美しい人物の絵画の中で、一際立派な額縁に飾られた自分の姿がある。当然だ。
「は? あ? なんだこれ、俺……?」
「ちが……」
違わないので、言いかけた口を噤んだ。
「わ、わるい!?」
誤魔化すように言ったが、テオの耳には届いていないようだった。
「なんで、これがこんなところに……金に困ったときの……」
今でこそ副団長の座についているが、テオがまだ一騎士団員だった時、誰の支援も受けられないテオは生活費にすら困っていた。
そんな時、セリーヌに声を掛けられモデルを引き受けたのだ。
ただ座っているだけで大金がもらえたのだから幸運だとすら思っていたが。
まさか再び出会うことになろうとは思ってもいなかった。澄ました顔でこちらを向く若かりし自分の顔に。
「なんでお前の家にあるんだ!」
「……買ったのよ! 売ってたから!」
「なんで買ったのかって聞いてんだよっ」
「………………顔だけの男の顔を飾ったっていいじゃないの。売ってたんだし!」
何も悪いことはしていないと開き直った。
テオは動揺を隠せない様子だったが、一度深呼吸し、なんとか持ち直したようだった。
「……お前、俺の顔が……好きなんだな?」
「はあ? そう言ってるでしょう、最初から。顔だけの男だって。信じてなかったの?」
「だが、いつだってお前は俺から目を逸らしていた」
ジュリエッタにはそんなつもりはさらさらない。
大きく首を傾げた。
「え……? わりといつも凝視していたと思うけれど」
「凝視」
互いに首を傾げたところで、ジュリエッタははっと気づいた。
もしかして今がチャンスではないの!
いつもとは違って会話になってる今が! 謝るチャンス!
そう思うや否や、しおらしい顔を作って、ずっと後悔していたことを告げる。
「……あのとき『公爵家の名前が欲しかったのね』なんて、言って悪かったと思ってるの。婚約者相手に面と向かって言うことじゃなかったから」
しかし予想とは違い、初めての謝罪はうまくいかなかった。
「別にそんなものは事実だからな、謝る必要もない」
冷ややかな返答は、予想と違っていた。もう少し同意を得られるものと思っていた。
口をつぐんだジュリエッタに目もくれず、テオは強く自身の手を強く握りしめた。
「俺は名前が欲しかった。誰にも馬鹿にされない、自分が本当の力を発揮できる家の名前が。縁談はあった。それなりの家名……あの頃の俺からすれば喉から手が出るほど欲しかった家からいくつか。──その中で君と婚約したのは」
「一番高位だったからでしょう」
「いいや、格下相手の俺を、その実力を認めてくれていたと聞いたからだ。俺が欲しかったのは名前だが、装飾品のようなお飾りの夫になるつもりはさらさらなかったからな」
ギロリと睨むテオは、目の前の肖像画よりも数段美しく。
清廉な造形に目を奪われる。
「だが会ってみればお前は俺を貶すばかりでこちらを見ようともしない。騙されたと思ったね。それでも、欲しかった名前は手に入るわけだし、文句を言いはしたが、決められた結婚なんてものはこういうもんだろうと思い始めていたんだ」
饒舌なテオは初めて見た。
夢のような会話は、自分が作り出した幻なのではないだろうか。
「だからさ、練武会でお前の話を聞いたときは、驚いたんだ。本当に俺の実力を認めてくれていたのかって」
「……テオ」
「しかも、ははっ、なんだよこの部屋。俺の顔まで飾ってある。顔だけの男だって言ってたのも、実は、顔はすげぇ好みだったとか。笑える」
粗っぽい話し方が夢ではないことを証明した。
「俺はようやく婚約したのがお前で良かったと確信した。早く結婚しよう」
「……な! あなたは早く名前が欲しいだけでしょ。それに私ではなくお父様に言わないと」
そう言いつつ、ジュリエッタには一つ、心配があった。
ジュリエッタの顔は、普通だった。もちろん金に物を言わせた結果、一般的な女性と比較すれば肌も髪も輝いていたし、スタイルも美しい。
ただ、顔の造作は変えられず、そんな自分がテオの隣に立つのは見栄えが悪いのではないだろうか。
「結婚すれば、私の隣にずっと立つことになるわよ。大して美しくない私の横で着飾って、家格のために身体を売ったと言われ続けるかもしれないわ」
「なんだ。天下のジュリエッタ様がしおらしいと気持ち悪いな。そんなことどうだっていいんだよ、俺は名前がもらえるなら。他のことはどうにだってできる」
「……ちょっと、そんなことない、くらい言ったらどうなの」
「嘘は苦手なんだよなー」
「何よ! 私がブサイクみたいじゃないの!」
「いやいやそこまでは。美しくはない、程度で。ほら、俺に比べればさ」
そう言われてしまえば、ぐうの音もでない。テオは屈指の美貌を持つ。
「そんなこと言っていいのかしら。私が婚約を解消すると一言言えば、あなたは元の、権力のないただのテオに戻るのよ」
「でも、お前は俺の顔が好きだろう? だから手放せないはずだ。練武会で言ってたな、婚約を解消する気もないんだろ? それにだ。お前の気が済むのなら、俺は装飾品にだってなってやれる。ちゃんと実力を認めてくれるお前になら」
だから何も問題はないと言い放つテオの顔は自信に満ち溢れていた。
それがただ少し悔しい。
「……ふふ、そうね。あなたの顔が好きなのは認めるわ。けれどね、それがいつまで続くかしら。人って老いるのよ。その時に後悔したって遅いわよ」
「そうだな、こんなもの今まで不要かと思っていたけど」
テオはするりと自分の顎を撫で、ジュリエッタは驚いて目を丸くした。
え、この顔が不要ですって?
むしろ逆よ。顔以外が不要なのよ。
でも騎士だもの。戦うことがお仕事。
傷を負うことだってあるかもしれない。もし、顔を傷つけられたとしたら……!
……その相手は、只では置かないわ。
復讐まで誓ったところで、笑い声で遮られた。
初めて見る満面の笑みは、目が潰れるかと思った。
「お前のそんな顔を見なくて済むように、顔には気を付けることにするよ」
「……せいぜい美容にでも精を出しなさいな!」
その顔を守るためなら、金も権力も惜しまない。
──もし、ありったけを注ぐなら。
「そうね。私はあなたの顔を守る義務があるわ。私たち結婚しましょう。お父様にも話をしておくわ」
真面目に思案したジュリエッタのすぐ横で、テオがまた楽しそうな声を上げるものだから。
美しい顔を凝視したいのに、できない、厄介な気持ちに悩まされるのだった。
◇◇◇
「本当に後悔しないわね?」
「何を今さら。身分が低い男の実力を認めてくれていたってところに、けっこう感動したわけ。お前こそいいのか? 身分も良くない、礼儀も知らない、エスコートもできない男だぞ」
「でも顔だけは良いの」
断言すると、テオは吹き出した。心外だ。
「いーい? 私はあなたの顔が好きで、あなたは私の名前が好き。だから結婚してあげる」
「ああー、うん」
本当にわかっているのか疑いたくなるような生返事だが、構わなかった。
今までは遠慮していて直視できなかった正装姿が目の前にある。
「どうだ、気に入ったか?」
自信満々の姿が憎らしい。
が、文句なしに美しかった。
「何よ! 顔だけの男のくせに!」
「そういうお前は家柄だけの女だろうが。あっと違った、俺の顔が大好きな、だったな」
そんなやりとりを見せられたジュリエッタの父親──バルテン公爵。
結婚したいと告げてきた婚約中の二人に対して、娘に激甘で親バカなバルテン公爵は、ニコニコ顔で結婚を許してくれた。
「え、本当によろしいのですか、お父様。テオ、ですよ」
娘を溺愛する父が簡単に結婚を許してくれるとは思っていなかったのだ。
しかもあろうことか目の前で無様な罵り合いを繰り広げ。
ジュリエッタに吐いたテオの暴言を聞いたのに、だ。
「ああ、副団長の、テオだろう? 私が婚約を許したんだぞ、もちろんわかっておるさ」
「身分も良くない、礼儀も知らない、エスコートもできない男ですのよ」
バルテン公爵は笑った。
ジュリエッタに向ける眼差しは優しく、娘を想う父親そのものだ。
「彼の冗談を真に受けるとは、ジュリエッタもまだまだ可愛らしいな。礼儀を知らない男が副団長にまでなれるわけがなかろう。それに、副団長ともなればパーティーへも参加する。エスコートなぞとっくにマスターしておるさ。身分はすぐにでも騎士団長の肩書を得るだろう。私が婚約を許可した男だぞ。もちろん全て調査済みだ。のう?」
テオを見て冷ややかに目を細めたバルテン公爵は、やはり怒っていたのだろう。
「ジュリエッタへの口の利き方は、なっていないようだが」
射殺しそうな勢いで睨まれても、テオは何も感じないらしい。さすが次期騎士団長とも呼ばれるだけはある。
「申し訳ございません。ご気分を害してしまったようで。ジュリエッタとはもう気心知れた仲なので、ついうっかり」
「ジュリエッタがお前に飽きれば即、婚約破棄してやろうかと思っていたのだがな。残念だ。だがまあ結婚したとしても離婚の手続きは簡単だからな、精々嫌われないようにすることだ」
怒りに震えるバルテン公爵にも臆すことなく、にっこり微笑んだ。
「結婚を認めてくださり、感謝します。お義父様」
「誰がだ!!」
後から聞いたことだが、バルテン公爵は元々テオの剣の腕をいたく認めており、面識も付き合いもあったようだ。
公爵にもジュリエッタにも惚れ込まれるテオは魔性の男なのかもしれない。
二人の結婚式は盛大に行われた。
公爵家の地位もあり、親バカ公爵の嘆願もあり、国王も協力を惜しまなかった。
大勢の参列者が見守る中。
「公爵令嬢の夫になれてよかったわね」
「いいや、お前が国を守る騎士団長の妻なんだろ」
「そんなこと私に言ってもいいのかしら」
「おおっとそうだった。嫌われるわけには行かないな。愛していると言っておこうか?」
「うそでしょう」
「嘘なもんか。それに、この顔に言われたら嬉しいかと思って。愛してるさ、公爵家のジュリエッタ」
「……っ!? くれぐれも顔は、大切にすることね!」
結婚式の主役だというのに相変わらずの憎まれ口を披露した二人だったが、纏う二人の空気感がこれまでと違うことに気づく者は少なくなく。
公爵家の機嫌を損ねないよう空気を読み、つんけんとした二人の態度にずっと気を揉んでいた貴族たちは、真っ先に安堵した。
驚き戸惑いつつも、たくさんの祝福の拍手で埋め尽くされたのだった。
それから、結婚のお祝いにと、セリーヌが一番腕の良い絵師を寄越した。
描いてもらった二枚の絵は、ジュリエッタの絵画の部屋に飾られた。
今のテオの姿絵と、テオとジュリエッタが並び立つ姿絵である。
二人が笑い合う絵は、それはそれは美しく、一級品の絵画だったという。
顔が好みだった騎士を婚約者にした。なお、仲は悪いと評判です。 夕山晴 @yuharu0209
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