第46話 甘えさせて(最終話)



 街は薄暗い色に包まれ、気温もぐっと下がった夕方。


 優斗が気を利かせて帰るように告げたことで、病院をあとにした芽衣は、そのまま蒼に手を引かれて蒼の部屋に向かった。


 本当は一度自分の部屋に帰ろうとした芽衣だが、手を掴んで離さない蒼に、引きずられるようにして連れて行かれたのだった。


 それから部屋に入った途端、蒼は柔らかい笑みを浮かべて芽衣を見下ろした。


「ねぇ、芽衣」


「な、何よ」


「甘えていい?」


「……約束したもんね」


 芽衣が告げると、蒼はそんな芽衣を強く抱きしめる。


 匂いを嗅ぐような仕草をする蒼から逃げようとすると、ますます強く抱きしめられたので——芽衣は諦めたように脱力した。


「もう、やっぱり蒼は甘えん坊なんだから。でも優斗くんが元気になってよかったね」


「ああ、一時は出血多量で怖かったけど。……それより、もっと甘えていい?」


「もっと? 何するつもり?」


「そうだな……」


 言いながら蒼は、不意打ちで芽衣に口付ける。


「キスとか?」


「な、なな……する前に言ってよ!」


 赤くなったり青くなったりする芽衣に、蒼は歯を見せて笑う。


「言ったら止めるだろ?」


「当たり前だよ。もう、帰るよ」


「ダメ。まだだよ」


「これ以上、変なことしたら怒るよ」


「変なことって何? 何を期待してるの?」


「……期待なんかしてない。それ以上近づかないでよ」


「無理だな。俺は芽衣のことが好きだから」


「ちょ、ちょっと!」


「何?」


「こんなところで告白とか」


「もっとロマンチックな場所が良かった? 観覧車とか?」


「違うよ。いきなり告白とかしないでよ」


「だって、芽衣が気づかないフリするから」


「気づかないフリなんかしてない」


「でも優斗が言ってただろ。あいつ、そういう勘はいいから」


「知らない」


「じゃあ、思い知らせてやるよ」


 言うなり、蒼にまた唇を奪われた芽衣は、大きく見開いた。


 深い口づけに動揺していると、蒼はため息とともに唇を離した。


「……はあ、やばい」


「な、何がよ」


「こんな楽しいこと、なんでもっと早くにやらなかったんだ」


「はあ!? 私、蒼のこと好きだなんて一言も言ってないんだけど!?」


「じゃあ、なんでそんな顔してるんだよ」


「そんな顔ってどんな顔よ」


 芽衣が両手で頬を押さえると、蒼は楽しくて堪らないといった雰囲気で笑った。


「好きって顔」


「そ! そんなはずないんだから!」


「もっとすごいことすれば、もっと楽しいのかな?」


 蒼が艶っぽい目を向けると、芽衣は青ざめて仰反のけぞる。


「ええ!?」


 蒼の豹変ぶりについていけない芽衣は、ちらりと背中のドアを見る。


 いつでも逃げる準備は出来ていた。


「あは、ビビってるビビってる」


「変なことするのはダメだからね!」


「だから変なことってどんなこと? 何を期待してるの?」


「期待なんかするわけないでしょ!」


「そういえば、芽衣の気持ちを聞いてないけど」


「今さら!? キスする前に聞いてよ」


「でも芽衣も同じ気持ちだろ?」


「その自信はどこから……」


「ねぇ、俺のこと好き? 好きだよね?」


「好きだよね、じゃないよ! 全然好きじゃない」


 肩を怒らせて訴える芽衣に、蒼はしおらしく泣き真似を始める。


「ひどい」


 だが、そんなことで芽衣がほだされたりはしなかった。


「ひどいのは蒼だよ! 私の気持ちを確認せずに勝手に進めて」


「だって、芽衣のOKを待ってたら、ジイさんになりそうだし」


「な」


「だから認めろよ」


「認めない」


「なんで?」


「私が許したのは、甘えることだけだから」


「その時点でOKみたいなものだろ」


「だから、なんでそうなるの?」


「甘えてもいいなら、もっと甘えさせて」


「ダメ」


「さっきはいいって言ったのに」


「だって、蒼が……」


 言いかけたところで、芽衣は蒼に耳を噛まれた。


「ひゃあ」


「変な声」


「やめてよ! もう……」


「ドキドキした?」


「ドキドキなんてしない!」


「えー、じゃあもっといいことする?」


「しない!」


「優斗も俺たちの子供期待してるし、ここは頑張らないと」


「優斗くん……覚えてなさいよ。変なことしたらセキュリティアプリ使うからね」


「じゃあ、好きって言えば何もしない」


「……好き」


「やっと言った」


 同意のつもりはなく、つられて言っただけだった。そうと知りながらも、芽衣が好きと言った途端、蒼がまた芽衣の唇に食いついた。


 今度は口づけというほど生易しいものではなかった。


 さすがに背筋がゾッとしたので、蒼の胸板を突き飛ばすと——蒼は不服そうに芽衣を睨んだ。


「なんでダメなの?」


「なんでいいと思ったの?」


 暴走気味の蒼に半ば呆れる芽衣だったが、蒼はこれ以上もなく嬉しい顔をして、芽衣を抱きすくめた。






 ***






 それから一ヶ月後の早朝。


 蒼と芽衣はマンションを出て住宅地を歩き出したところで、優斗の姿を見つけた。


 すると、優斗は曇りひとつない顔で手を上げる。


「おはよう、山路、蛍原」


「おはよう、優斗くん」


「おう」


「今日の帰りはどうする?」


 優斗が訊ねると、芽衣は考えるそぶりを見せる。


「うーん。どうしようかな。優斗くんも一緒だと嬉しいな」


「芽衣……優斗の前でイチャイチャしたいなんて、大胆だな」


「違うわよ! イカのゲームするの!」


「またまた〜、芽衣も好きなくせに」


 芽衣と触れ合った日から、やけに浮かれるようになった蒼は、芽衣の言葉など聞いていなかった。


 そんな風に頭に花でも咲きそうな蒼を見て、呆れた優斗が思わず口を開く。


「なんだか蛍原、酔って絡むうちの父親みたいだ」


「全部優斗のおかげだからな。優斗には礼を言わないと」


「やっと告白できたの? おめでとう。ついでに初キスもおめでとう」


「なんでわかるんだよ」


「さあ、なんでだろう」


 優斗が笑顔で答えると、芽衣が話を変えた。


「それで、今日はイカのゲームするよね?」


「ごめん、やっぱり……今日は総馬の墓参りに行こうと思うから」


 優斗が言いにくそうに告げると、蒼は水臭いとばかりに優斗を肘でつく。


「なんだよ、それを早く言えよ」


 蒼の言葉に、芽衣も微笑みながら頷く。


「そうだね。どうせなら、みんなで行こうよ。あと、香川くんも誘う?」


「なんで芽衣があいつの連絡先知ってるんだよ」


「蒼、何を怒ってるの?」


「男のナンバーは今すぐ消せ、全部消せ」


「蛍原、山路がひいてるよ」


「なんでだよ。彼氏の特権だろ?」


「蛍原は石器時代の人なの?」


「私、蒼の彼女になった記憶ないけど」


「なんだと!?」


「あはは」


 あくまで認めない芽衣に、蒼が怒る中、優斗はふいに笑顔を消して振り返る。


「どうした? 優斗」

 

「ううん。なんでもない」


こうして三人の日常は、再スタートしたのだった。







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