第45話 執着の先(蒼)


 新しい人質として天久あまひさ透子とうこの元にやってきた蒼は——学校で合流するなり、優斗の手を引いてその場を逃げ出した。


 そして不意打ちで一瞬、呆けていた透子も、慌てて廊下に飛び出したのだった。


「待ちなさい! 撃つわよ」


 透子は警官から奪った拳銃を構えるもの、廊下の先にいる蒼が止まることはなかった。




「——優斗に当たるかもしれないのに、撃つわけないだろ」


 余裕がない状態ながらも、そう吐き捨てる蒼に、優斗が不安そうな顔を向ける。


蛍原ほとはら


「なんだよ」


「ここんとこ、ほとんど寝たフリで過ごしてきたのに、走れるの?」


「心配するところそこかよ。俺の脚力をなめんな」


「でも出口は天久先生が、テープで封鎖してるから逃げられないよ」


「トイレの窓も時間がかかるしな——とにかく、どこかに隠れるか?」


 それから蒼は校舎の中を駆け回り、出口ではなく屋上へと向かった。


 さすがの透子も十代の足には追いつけず、蒼たちは逃げることに成功した。


 こうして透子の視界から完全に消えた蒼は、屋上の倉庫に身を隠しながらホッと息を吐く。


「ふう、なんとか隙をついて逃げられたな」


「ごめん、蛍原……俺のせいで」


「はあ? お前のせいじゃないだろ」


「総馬にも蛍原にも、迷惑ばっかりかけてるし」


「そういう時は謝るんじゃなくて、ありがとうって言えよ。全部終わったら、奢ってもらうからな」


「……なんで蛍原はそんなに優しいの」


「芽衣も心配してたぞ」


「……」


「友達だから心配なんて当たり前のことなんだよ」


「これからどうするの?」


「そうだな……逃げ回るにも限界があるだろうし」


「やっぱり俺……天久先生を止めてくる」


「バカなこと言うなよ。もう先生は誰にも止められないんだよ」


「じゃあ、どうするの?」


「そうだな……学校から脱出するしかないか。どっかに隠し扉でもあればいいのに」


「非常口は?」


「先生に見つからずに出られるか……?」


「一番下の階まで猛ダッシュして出口に向かえば……」


 思いついたままに蒼が話していた、その時だった。


「——見つけた優斗くん」


 天久透子がドアの隙間から顔を覗かせて、不気味な笑みを浮かべた。


 その瞬間、優斗は真っ青になるが、蒼はやれやれといった雰囲気でため息を吐く。


「おいおい、もう見つかったのかよ」


「先生は悪い子を探すのが得意なの。もう逃げられないわよ。覚悟しなさい」


 嬉しそうに拳銃を構える透子に、蒼は身構えるが——。


「天久先生、もうやめなよ」


 蒼をかばうようにして、優斗が前に出た。


「優斗くん、そこをどいてちょうだい」


「いやだよ。俺はどかないよ」


「あなたにも死んでもらうことになるわ」


「いいよ。じゃあ、蛍原と一緒に総馬のところに行くよ」


「なんであなたの周りの子たちは、私の邪魔をするの?」


 口惜しそうな透子に、蒼は指摘する。


「先生さ、優斗を恐怖で縛り付けたところで、本当に優斗が手に入ると思ってるの?」


「恐怖で縛りつけたりなんかしないわ」


「今だって、銃でおどしてる」


「これは逃走に必要な武器よ。優斗くんには使わないもの」


「本当に?」


「ええ、私は優斗くんと一緒にいるために悪い人たちと戦うの」


「先生……」


「ねぇ、優斗くん。だから一緒に行きましょう。二人で幸せになれる場所に」


「ごめん、先生」


「優斗くん?」


「俺は先生とは一緒に行けない」


 そう言った次の瞬間、優斗は天久透子に襲いかかる。


 そして拳銃を奪い取ろうとする優斗に、透子も抵抗して暴れた。


「優斗!」


「天久先生、その拳銃を渡して」


「優斗、やめろ!」


「どうして? 優斗くん」


「拳銃は俺がもら——」


 透子と揉み合っていた優斗の手元で、ふいに銃声が響いた。


「……あ」


 口から血を吐き出した優斗を見て、蒼の顔色が変わる。


「優斗!」


 蒼が叫ぶ中、透子も口を押さえて瞠目する。


「……優斗くん? 嘘……」


「優斗のバカやろう」


「さすがに……痛いな」


 その場にゆっくりと座り込んだ優斗に、慌てて駆け寄った蒼は、優斗の傷を凝視する。暴発した銃は、脇腹のあたりを撃ち抜いていた。


「喋るなよ」


「どうしよう……優斗くんが死んじゃう」


「おい、待ってろ。きっと外には救急車も待機してるはずだから」


 蒼が汗をかきながらスマホを手に取る中、優斗は透子を見上げた。


「ねぇ、先生……大切な人の死に直面するってどんな気持ち?」

 

「お前、何バカなことを——」


 蒼は止めようとするが、優斗は顔を歪めながら続けた。


「胸が痛いよね? みんなそうなんだよ。だから、人を殺したりしちゃダメだ……よ……」


 とうとう崩れ落ちる優斗を見て、蒼はこれ以上もなく見開く。

 

「優斗!」


「優斗くん!」


「——父さん! ちょっと、早く来てよ。優斗が撃たれたんだ」


 蒼が外で控えている父親に連絡していると、呆然と見ていた透子が機械のように単調な声で独りごちる。


「私……私が撃っちゃった……優斗くんを」


 ふらふらと歩き始める透子を、蒼は睨みつける。


「お前、逃げるつもりか? おい!」


「私も、優斗くんのところに行くわ」


「は? お前——」


 そして天久透子は、屋上から飛び降りた。






 ***






 ————それから三週間後。


「おい、優斗。見舞いに来たぞ」


 寝たフリをして入院していた総合病院に、今度は見舞客としてやってきた蒼は、個室に入るなりケーキを持ち上げて見せた。


 蒼の笑顔の向こうには、病衣の優斗がベッドに座っていた。


「ありがとう。すごく退屈してたんだ」


 天久透子と揉み合って暴発した銃に撃たれた優斗だが、内蔵の損傷も少なく、手術はしたもの、命に別状はなかった。

 

 だが天久透子の自害により、事件が全て明るみになったことで、周囲が騒がしくなり、優斗とまともに会えたのは、人質事件以来だった。


 少し照れくさい顔をする優斗に蒼がケーキを手渡す中、蒼の後ろから芽衣も頭を覗かせる。


「優斗くん、調子はどう?」


「山路も来てくれたの。嬉しいな」


「おい、怪我人だからって調子にのるなよ」


「蛍原のために怪我を負ったのに、ひどい」


「そうだよ、蒼。優斗くんは蒼を助けるために怪我を負ったんでしょ? 優しくしなきゃ」


「芽衣は……こいつが好きなのか?」


「優斗くんのことは好きだよ。だって友達だし」


「そういう話じゃなくて」


 蒼がもどかしさいっぱいで告げる中、傍観していた優斗が、どこか寂しい笑顔を見せた後——いつもの調子で言った。


「山路、いい加減、気づかないフリはやめなよ」


「気づかないフリってなあに?」


「本当は、蛍原のことわかってるんでしょ?」


「……」


「そうなのか?」


「俺のことはもういいから、さっさと二人で帰ってイチャイチャしなよ」


「優斗くん、なにを……」


 狼狽える芽衣を見て、何かを悟った蒼は不敵に笑う。


「わかった。じゃあ、俺たち帰るわ」


「そうそう、子供ができたら、最初に抱っこさせてくれる?」


「はあ!?」


「ゆ、優斗くん!」


「まあ、今の反応を見ると、道のりは長そうだけど」


「お前ってやつは……」


 蒼が呆れた目を向けると、優斗はこれ以上もなく嬉しそうな顔で笑った。








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