第44話 逃走(蒼)



 ようやく平和が戻った朝。


 蒼が芽衣に着替えを頼んでいた最中、蒼の部屋に栄一が血相を変えてやってくる。


 邪魔者と化した父親に、蒼は煩わしい目を向けた。


「何でそこで父さんが出てくるんだよ」


「着替えで揉めてる場合じゃないぞ」


「聞いてたのかよ」


「そんなことより、優斗くんが——」


「優斗がどうしたんだ?」


「天久先生に捕まったらしい」


「捕まった? 天久先生って逮捕されたはずじゃ?」


「それが、勾留中こうりゅうちゅうに逃げたみたいだ」


「あの教師はどこまで……」


 衝撃を通り越して、呆れる蒼の傍ら、芽衣が焦ったように訊ねる。


「それで栄一さん、天久先生は今どこにいるんですか?」


「優斗くんを連れて、学校に立てこもってる」


「学校?」


「警官の拳銃を奪ったらしい。だから下手に近づけないとか」


 栄一がため息混じりに告げると、蒼はきつく眉間を寄せる。


「最悪の状況だな」


 そして誰よりも心配そうな顔をする芽衣が、泣きそうな声を放つ。


「どうしよう、このままじゃ優斗くんが……」


 全てを言わなくとも、芽衣の懸念は伝わったようで、栄一は暗い顔をして告げる。


「そうだな。天久先生の考えていることはわからないから、優斗くんを殺して自分も死ぬとかいう可能性もあるだろうな」


「それで父さん……優斗がどの教室にいるかはわかる?」


「どうするつもりだ、蒼」


「俺、学校に行くよ」


「無茶なことを言うな。殺されるぞ」


「そうだよ。蒼に何かあったら、どうするの?」


「優斗を連れて立てこもってるってことは、警察に何か要求するつもりなんだよな」


「警察に要求?」


「ああ、ただ優斗と逃げたかったら、立てこもる必要もないし」


 蒼が仮説を立てると、栄一も別の方向から考える。


「警察に追い詰められて学校に逃げ込んだ可能性もあるぞ」


「そうだな……うーん、一度天久先生と話してみないとわからないな」


 蒼の言葉に、芽衣はぎょっとする。


「天久先生と話すと言っても……無理じゃない? 立てこもるほど切羽詰まってるみたいだし」


「だからって、このまま優斗を犠牲になんてできないだろ」


「じゃあ、蒼が行くなら、私も行く」


「は? 芽衣、何をバカなことを——」


「だって、優斗くんとは友達だもん」


「芽衣」


「心配かけられるくらいなら、一緒にいたほうがいいし」


「ダメだ」


「じゃあ、蒼も行かないで」


「なんでそうなるんだよ」


「私が行くって言った時、どういう気持ちになった?」


「……」


「心配になるでしょ? 私も同じだよ……だから、蒼も行かないで」


 芽衣が真剣な顔で告げると、蒼は暗い顔のまま俯いた。


 そんな二人を見て、栄一は苦笑する。


「蒼も芽衣ちゃんには敵わないね」


「じゃあ、どうすればいいんだよ」


「優斗くんを信じて、待とうよ」


「相手は拳銃を所持してるんだぞ?」


「だからって、蒼が殺されたら、私も優斗くんも立ち直れないよ」


「そうだぞ、蒼。ここはおとなしく、警察の対応を見守ろう」






 ***






「先生、どうしてこんなことするの?」


 高校の校舎に天久透子が立てこもる中、教室で行動を共にしていた優斗が、透子に向かって訊ねた。


 すると透子は甘えるように告げる。


「だって、みんな先生と優斗くんの仲を邪魔するんだもの。だから誰もいない場所に行かなきゃ」


「でもここ、学校だよ? 立てこもってたら、どこにもいけないし」


 透子に従うふりをしながら、優斗は考えを巡らせる。


(なるべく先生の気持ちを逆なでしないようにしないと……でもそんなこと、できるかな?)

 

 だが慎重な優斗とは違い、透子はまるで旅行のような感覚だった。


「そうね。だから警察に飛行機の手配をお願いしなきゃ」


「そんなことしても、逃げられないよ」


「そんなことないわ。遠くに逃げれば、きっと警察も諦めてくれるわ」


「先生……」


(ダメだ、完全におかしくなってる。逃げられるわけがないのに。かといって、余計なことを言ったら、何をするかわからないし……どうしよう)


「ねぇ、優斗くん……優斗くんは私のこと好きよね?」


「……うん、好きだよ」


「そうよね。やっぱりあんな子より、私のほうがいいに決まってるわ」


「……」


「そうだわ! ついでにあの子を殺しちゃいましょう」


「先生……?」


「私がこんな風に逃げなきゃいけないのは、あの子のせいだもの」


「先生、やめて」


「どうして? 優斗くんは私の味方でしょう? あの子がいなくなるくらい、どうってことないわよね?」


「でも先生にはこれ以上罪を重ねてほしくないんだ」


「……なんですって?」


「……」


「私は罪なんか犯していないわ! 全部あの子のせいよ! 私をこんな風に陥れるなんて、全部あの子が悪いんだわ!」


(やばい、変なスイッチが入ったみたいだ。このままじゃ……)


 目の色を変えた透子を見て、焦る優斗だったが——透子は止まらなかった。


「だからあの子もここに呼ばなくちゃ。そしてこの手で——」


「先生、もう蛍原のことは忘れなよ。どこか遠い場所で、二人楽しく暮らして行こう?」


「優斗くん……嬉しいわ。でもあの子を忘れることなんてできないのよ」


「先生」


「とにかく、最初の交渉であの子を連れてきてもらいましょう」


「……」


(ごめん、蛍原……こんなことに巻き込みたくないのに)






 ***






「え? 先生が俺を連れてこいって?」


 自室のベッドに座りながら、テレビのニュース映像を見ていた蒼は、驚きの声をあげた。


 警察との最初の交渉で、透子は蒼を連れて来るよう告げた。


 透子の行動が予想できないだけに、警察もお手上げだと言う。


「そうだ。どうやら先生はお前のことをどうにかしたいらしい」


 栄一が苦々しい口調で告げると、芽衣はますます泣きそうな顔をする。


「そんな……どうしよう」


 だが蒼は軽く笑って立ち上がった。


「仕方ない、行ってくるよ」


「蒼!?」


 芽衣がぎょっとした顔を向けると、蒼は笑みを消した。


「さんざん俺が煽った結果だろ。あいつはきっと、俺を殺さなきゃ気がすまないんだな」


「蒼、行かなくていいぞ」


「父さん、悪いけど……要求されたからには行ってくるよ」


 瞠目する栄一の傍ら、芽衣が怒ったように声をあげる。


「蒼!」


「芽衣、戻ったら今度こそ甘えさせてくれよな」


「そんなこと言って……フラグなんて立てないでよ」


「フラグか——そんなもの、俺がへし折ってやるよ」






 ***





 それから単独で学校におもむいた蒼は、警察が止めるのも聞かず、トイレの窓から校舎に忍び込んだ。


 本当はドアから入るつもりだったが、どのドアも透子がテープで封鎖しており、唯一入れたのが、男子トイレの小さな窓だった。


 そして校舎に入るなり、堂々と廊下を歩いた蒼は、透子たちのいる教室を探した。


 彼らを見つけるのは簡単だった。


 人の声が漏れる教室を発見した瞬間、蒼は笑みを浮かべる。


 それは、優斗のクラスだった。


 ドアを開けっぱなしにしている教室に蒼が踏み込むと、背中を向けていた透子が振り返る。 


「——あら、どうやって来たのかしら?」


 自ら罠に飛び込んだ蒼に、透子は心の底から嬉しそうな顔をしていた。


 だが、無鉄砲な蒼を見て、優斗はきつい口調で告げた。


「なんで来たんだよ、蛍原」


「要求されたからには、応えるしかないだろ」


 言いながら、蒼は一歩、また一歩と優斗に近づく。


 拳銃を所持している余裕からか、蒼が優斗に近づいたところで、透子が警戒する様子はなかった。 


「これからどうやって遊ぼうかしら? あなたをめちゃくちゃにするのもいいけど、早く消えてほしいわ」


 まるでオモチャを手にした子供のように無邪気な透子に、蒼は緊張しながらも軽い口調で告げる。


「そうだな。じゃあ、追いかけっこなんてどう?」


「追いかけっこ? そんなことするわけ——」


 馬鹿にしたように笑う透子だったが、蒼は彼女がひるんだ瞬間を見逃さなかった。


「優斗!」


 声を上げたと同時に優斗の手を引いた蒼は、そのまま弾丸のように教室を飛び出した。






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