第39話 教師の言い分(蒼・栄一)


 

 夜に落ちる手前の、朱に包まれた総合病院。


 父親の計らいで、目を覚ましながらも入院を続けていた蒼の元に、香川かがわれんからの着信があった。


『俺や弟が天久あまひさ先生に脅されて目撃情報を変えたことを警察に伝えてきたよ』


 通話口から聞こえた声は気軽な様子だったが——その意外な言葉に、蒼はスマートフォンを耳につけたまま瞠目する。


「え? マジで? それ大丈夫なの? 偽証罪ぎしょうざいとかになるんじゃ」


『弁護士さんが任せろって言ってた』


「警察内に天久先生と通じてる人間がいるかもしれないから、気をつけろよ」


『お前の父親が安全を確保してくれるって』


「え? 父さんがお前に何か言ったのか?」


『ああ。病院に行った帰りに相談したら、栄一さんが懇意にしてる刑事さんを紹介してくれた』


「……へぇ」


『お前の父親すごい人なんだな』


「無駄に人脈があるだけだよ。元演劇部の人脈が」


『元演劇部? 晴翔はるとみたいだな』


「そういや、晴翔はるとは演劇部をやめたって聞いたけど、もしかして喫煙事件のせいか?」


『ああ、違うんだ。受験勉強に専念するんだってさ。天久先生を暴けるような検察官になりたいって言ってた』


「そうか。けど、あいつが大学に行くまでに天久先生のことは解決するけどな」


『自信あるんだ?』


「さあな」


『お前って意外と面白いやつだな』


「何がだよ。それより、お前の弟、大丈夫なのか?」


『大丈夫じゃないけど……それでも、人が亡くなってる事件だから……仕方ない。俺の弟も覚悟を決めたよ』


「お前の弟、男前だな。ツンデレ兄貴と違って」


『誰がツンデレだよ』


「じゃあな。そろそろ会いに来るやつがいるから切るぞ」


『……今までごめんな』


「何がだよ。だから急にデレるのやめろよ。気持ち悪い」


『お前! 人がせっかく謝って——』


 蓮が全てを言うまでに、蒼は通話を切った。


 それから蒼は窓際で歩き回りながら、考え込む。


「香川蓮の弟が目撃情報を覆したところで……眼鏡の女性ってだけじゃ、天久先生と断定できるものじゃないしな。やっぱり現行犯が一番手っ取り早いか」


 などと、独りごちていると、ふいに病室のドアが開いた。


蛍原ほとはら


 面会時間ギリギリに現れたのは、優斗だった。


「優斗、どうした?」


 まだ制服のままの優斗は、元気な蒼を見てため息を吐く。


「蒼の担任の先生が明日ここに来るって言ってたよ」


「天久先生の刺客か?」


「たぶん……違うと思う」


「どうしてそう思うんだ?」


「先生、どうしても蒼に会って謝りたいって言ってた」


「お前……俺が目を覚ましたこと、担任に言ったのか?」


「言ってないよ」


「……あの先生は良くも悪くも気が弱いからな。俺が目覚めたことを天久先生に報告されても困るし……父さんに対応してもらうか」






 ***






 ————翌日。


 蒼の父親——栄一えいいちは、病院にやってきた担任の男性教師を、蒼のいる個室ではなく、休憩室で迎えた。


 栄一が休憩室のテーブルの一つにお茶のペットボトルを置くと、担任の男性教師は頭を下げた。


「あの……こんにちは」


「先生、よくお越しくださいました。もうお身体は大丈夫なんですか?」


 蒼の代わりに毒を飲み、しばらく入院していた担任だが。栄一が体調を確認すると、担任は苦笑した。


「ご心配には及びません。それより蒼くんのお父さん……蒼くんは、まだ目を覚ましそうにないですか?」


「ええ。少し打ち所が悪かったようで……いまだ目を覚まさないんです。蒼に何か用ですか?」


「実は……蒼くんに謝りたいんです」


「蒼に、先生がですか?」


「……はい。私はとんでもない罪を犯すところでした」


「もしやそれは、先生が毒を飲んだ件と何か関係が?」


「ええ。あの……事情がありまして。落ち着いて聞いていただきたのですが」


「はい、なんでしょう?」


「実は……とある人物が蒼くんの命を狙っています」


「……そうですか」


「驚かないのですか?」


「蒼の遺書が先生のカバンから発見されたということは、そういうことでしょう」


「……やはり、言い訳が苦しかったでしょうか」


 蒼が自殺するのを止めようとして代わりに毒を飲んだ、という担任の言い分には、さすがの栄一も呆れるしかなかったが——本人も下手をしたと思っているようだった。


「そうですね。蒼は全部わかっているようでした」


「実を言うと……私はとある人物に頼まれて、蒼くんに毒を飲ませるよう脅されました。でも、どうしても出来なくて……」


「誰にどんな風に脅されたのですか?」


「その人物を言えば、おそらく蒼くんのお父さんに迷惑がかかりますから……言えません」


「ですが、犯罪でしょう? なぜ警察に届けなかったんですか?」


「伝えました。私が毒を飲んで運ばれれば、警察も話を聞いてくれると思ったんです。ですが……用意されたのは、メンタルクリニックの医師でした。彼女が入手した毒を提出したにも関わらず、全ては妄言だと決め付けられたのです」


「……警察内に、あなたに毒殺を依頼した人物の内通者がいるってことですか」


「……はい」


「その毒殺依頼人の毒は、お持ちですか?」


「警察に押収されました」


「わかりました。では、こちらでその毒物の出所を確認しましょう」


「どうやって?」


「なに、私にもちょっとした刑事の知り合いがいるんですよ」


 栄一が恐ろしいほど美しい笑みを浮かべると、担任は目を丸くした。






 ***






「で、父さんはどうするの?」


 蒼の担任から家庭訪問の真相を聞いた栄一は、その足で蒼の病室にやってきた。

 

 そしてベッドに座る蒼に今後のことを聞かれると、栄一は短い逡巡のあと、笑顔で告げた。


「警察に回収された毒を、改めて調べてもらうつもりだ」


「そんなことできる?」


「もちろん、内密にな。他の人間に揉み消される可能性があるしな」


「そんなことして、平気?」


「まあ、友人が少々上から叱られるかもしれないが……なんとかやってくれるだろう。毒の入手ルートさえわかればこっちのものだ」


「でも毒と天久先生を関連づけるには、やっぱり毒を使うところで捕まえないと……」


「先生が再び毒を使うよう、とことん煽るしかないな」


「結局そうなるよね」


 蒼がため息混じりに言う中、病室のドアが勢いよく開かれる。

 

 栄一がぎょっとした顔をドアに向けると、そこには息をきらした優斗の姿があった。


「蒼!」


「どうした? 優斗」


山路やまじがここに来るよ!」


「え? 芽衣が!?」


 優斗の報告に、蒼は大きく見開く。


 蒼が会いたくてたまらないのは変わらないが、目を覚ましたことがバレるわけにはいかなかった。


 すると、栄一が慌てて指示をする。


「蒼、早く寝てるふりしろ」


「わかってるよ。父さんは出てってよ」


「じゃあ、俺は?」


「優斗はどっちでもいい」


「どっちでもいいってなんだよ」


「とにかく、頑張ってくれ」


「もう、仕方ないな」







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