第37話 櫻総馬の足跡4(過去編・終)
一ヶ月後。
職員会議の日を狙って職員室に忍び込んだ
綺麗に整頓された机は、余計なものなど一切なく、かえって不気味な印象だった。
そして引き出しを一通り見た総馬は、周囲を気にしながらパソコンを立ち上げる。
ゴミ箱から総馬の遺書を発見したこともあり、透子のパソコンに何かあると見た総馬だが——。
「これは……文字の癖を読み取って、文章を作る年賀状ソフト?」
不審なタイトルを開いてみれば、それは直筆で書いたように見せかける年賀状のプログラムだった。
総馬はさらに年賀状ソフトで作られた文書を確認する。
年賀状の文面には校長の名前が入っていた。透子が校長から頼まれたのだろう。
「……ただの年賀状ソフトか」
ソフトの発行元は〝未来コンポーネント株式会社〟となっていた。
先日、透子のゴミ箱から見つけた名刺の会社だった。
「……遺書とは関係ないよな——あ」
年賀状に興味はないので、ファイルを閉じようとした総馬だが。
咄嗟に年賀状ソフトのコピーファイルも開いていた。
そして目に入ったのは、よく知る文字で書かれた文章だった。
「これ……俺の遺書だ」
やはり遺書は透子が作ったものだと、総馬の予想は確信に変わる。
————が、その時。
「あら、見つけちゃったのね」
背中から甘ったるい声が聞こえて、総馬は心臓が止まりそうになる。
振り返ると、すぐ後ろには天久透子が立っていた。
だが透子は驚いた様子もなく、笑みを浮かべていた。
「おかしいと思っていたの。ゴミ箱のゴミがごっそりなくなっているんですもの」
「先生は……このプログラムで俺の遺書を作ったの?」
「ええ、そうよ。年賀状を作るついでに、試しにいじってみたら面白いことになったわ」
「これ……警察に届けます」
「届けても、私は誰も殺していないじゃない?」
上品に笑う透子からは、余裕が
透子は確かに年賀状ソフトを改ざんしただけで、総馬に何かしたわけではなかったが——それでも遺書を作ったことに理由があるとすれば、放っておくわけにはいかなかった。
「でも、遺書を作るってことは……俺を殺そうとしてるってことじゃないの?」
一つの仮説だった。
本気でそう思っていたわけではなかったが、なにげなく可能性を口にした瞬間、透子が顔色を消した。
その様子は、まるで総馬の考えを肯定しているかのようだった。
(……え? ほんとに? そんな……まさか……俺を殺すつもりでこの遺書を作ったのか?)
「あなた、気に入らないのよ」
さきほどまでの余裕はどこへやら。態度を変えた透子に対して、総馬は焦りを覚える。
殺意を持つ相手と対峙することほど、恐ろしいものはなかった。
「……どうして」
咄嗟にそんな言葉が、総馬の口をついて出る。
すると、透子は当然のように告げる。
「優斗くんがあなたの言葉で傷つくのは見たくないのよ」
「……あんただって優斗を傷つけてるくせに。誰よりも」
「それは愛があるからいいのよ」
「愛?」
開いた口が塞がらなかった。
透子が完全に狂っていると知ったのは、その時からだ。
だが相手は社会経験豊富な大人ということもあって、総馬が勝つには何もかもが足りなかった。
「とにかく、遺書だけじゃ、なんにもならないわよ」
「……優斗は先生のこと、大嫌いだよ」
全てにおいて不利な状況下で、総馬に言えるのはそれだけだった。
透子の余裕を見て、総馬はその笑みを崩さずにはいられず。
そして総馬の思惑通り、透子は苦々しく唇を噛んだ。
————翌日、総馬は〝未来コンポーネント〟という会社に連絡をとった。
最初は門前払いをされそうになったが、校長と天久透子の名前を出したことで、なんとか話をすることができた。
だが年賀状ソフトで遺書を作っていることを告げたところで、本気で信じてはもらえず。
仕方なく総馬は、賭けに出た。
「あの、もし……俺が死んだら、天久先生に殺されたと思ってください」
電話先でそう告げると、通話相手の社員は呆れた様子で口を開く。
『何を言うんだい? キミは』
「そのために作った遺書だと思うから……だから、もし俺が殺されたら警察に届けて欲しいんです」
『キミねぇ、大人をからかって楽しいかい?』
「いいえ。楽しくなんかありません。俺は……殺されるかもしれないから」
総馬が本気で言ったところで、信じてもらえるとは思えなかった。
だがきっと、ことが起きれば、嫌でも信じるだろう。
(俺が死ぬ……かもしれない)
そんなことを考えると、ふいに総馬の目から涙がこぼれた。
電話先で泣いている総馬を心配しているのか、担当の人間は黙ってしまった。
だが——。
『……その遺書とやらを、見せてもらえないかな?』
ようやく総馬の話を信じてもらえた瞬間だった。
そして担当社員は個人的な電話番号を告げた。
総馬は慌てて相手の電話番号を遺書の裏に鉛筆で書き込むが——その直後に会った〝未来コンポーネント〟の社員は人柄が優しく、総馬の遺書を見て、たいそう驚いていた。
ようやく、これで反撃ができる——そう思った矢先だった。
「三番ホームに入ります電車は八両編成で……」
人がまばらな駅のホームの、先頭に立っていた総馬は、ふと思い出して学生カバンの中を探った。
「あ、やば。遺書の裏にある番号を消しておかないと」
〝未来コンポーネント〟の社員とやりとりした証を、天久透子に見られてはいけないと考えた総馬は、遺書の裏に消しゴムをかけた。
強く消しすぎて紙にシワが出来たことを、しまったと思うもの——それでも消さないよりはマシだと思い、総馬はそのまま遺書を再びカバンに戻した。
そして何気なく振り返ったその時————。
「あなたが悪いのよ」
総馬が人生最後に見たのは、天久透子の歪んだ笑みだった。
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