第35話 櫻総馬の足跡2(過去編)


 生徒に絡まれているところを優斗が助けて以来、担任の天久透子は優斗や総馬によく声をかけるようになった。


 若い女の先生だけに生徒の関心が優斗に集まる中、冷やかされたところで優斗はどこ吹く風だった。


「天久先生はどこ出身なの? ちょっとなまってるみたいだけど」


 短い休み時間。体育館の隅にいた優斗や総馬の輪に、透子も混ざっていた。


 いつの間にか気さくに話せる存在になっていた透子に、優斗が何気ない声をかけると、透子は複雑そうに答える。


なまってる? ほんとに? 私、こっちに来てから長いんだけど」


「ふとした瞬間にちょっとだけ声低くなるよね」


「それはなまりとは関係ないんじゃない?」


「そうかな? 発音が独特な気がするけど」


「えー、どこが」


 透子と優斗は、目に見えて仲良くなっていった。


(まあ、優斗も男だし、女の先生に気にいられて悪い気はしないだろうな)


 かといって、優斗は総馬から離れるわけでもなく、三人で一緒にいることが多かった。



 ————そんなある日のこと。



「優斗、どうかしたのか?」


「……え?」


 暖かい夕日が差し込む、放課後の教室。


 いつもより口数が少ない優斗を珍しく思って総馬が声をかけると、優斗が肩をびくりと揺らした。


「なんかお前……挙動不審だな」


「そ、そんなことないよ」


 優斗はわかりやすい人間だった。


 素直で明るい性格に加え、飄々としているのが優斗の良いところだと思っていた総馬だが、その時はまさか——透子と関係を持っているとは思いもよらず。


 ただ素直に様子がおかしいことを、総馬は不思議に思っていた。


「今日は天久先生、こっちに来ないんだな」


「……先生がどうかした?」


「いや、天久先生が優斗のところに来ないなんて珍しいと思って」


 優斗の強張った顔。いつもと違う様子に気づいた総馬だが、優斗は困ったように笑みを浮かべるばかりだった。


「ちょっと……ね」


「喧嘩したのなら、仲直りは早くしておいたほうがいいかもな。そのうち採点とかに影響が出るぞ」


 などと、総馬が冗談めかしたところで、優斗は一ミリも笑わなかった。

 



 だが、数日に一度は優斗が挙動不審になり、ようやく総馬は優斗のことを本気で心配するようになった。


 つきあいがそれほど長いわけではないが、優斗のことを総馬もわかっているつもりだった。


 それから総馬は優斗のことをなんとなく放ってはおけず。密かに観察するようになった。


 これまで気軽に話しかけてきた透子が、いつの間にか来なくなったと同時に、優斗が透子の存在を怖がるようになっていることが総馬にはわかった。


 優斗が怖いと言ったわけではなかったのだが、総馬には、透子を怖がっているように見えていた。


「なあ、優斗……ちょっといいか?」


「な、なんだよ……」


 教室内で、総馬が気合いを入れて話しかけると、優斗は目に見えて怯えた。


 今まで総馬に対してあれだけ気さくだった優斗が、あきらかに様子がおかしかった。


(俺がいったい何をしたんだ? それとも先生が優斗に何か言ったのか?)


 だが考えてもわかるはずもなく、総馬は優斗に訊ねた。


「俺、お前に何かしたか?」


「総馬? ……いったい、なんのこと?」


「なんのことじゃない。お前あきらかにおかしいだろ」


「俺、どこかおかしい?」


「なんかまともに目も合わせないし……俺、何かしたか?」


「……総馬は何もしてないよ」


「じゃあ、なんなんだよ」


「何が?」


「最近のお前、妙によそよそしいし」


「そんなことないよ。変に見えてたらごめん。すぐに元に戻るから、もうちょっと待ってほしいんだ」


「元に戻るってなんだよ……それって、お前が今、大変な状況にいるってことなのか?」


「え?」


 図星だったのか、優斗は固まった。


 総馬は勘が良いほうだった。かといって、優斗の状況を把握できるような超能力は備わっておらず。助けられるかどうかもわからないため、総馬はそれ以上追及するのをやめた。


「すまん、お前の家庭の事情とか知っても、俺がどうにかできるわけじゃないもんな。さっきの言葉は忘れてくれ」


「……」


 総馬がそう言った瞬間、優斗は心底ほっとした顔をしていた。



 ――——その数日後。



 少しずつ元に戻り始めた優斗を見て、総馬はすっかり安心しきっていた。


 以前よりも放課後の付き合いが悪くなった優斗を寂しく思うもの、何か事情があるのだと総馬は察していた。


 そんな中、総馬は久しぶりに屋上で昼寝を楽しんでいたが——気づけば辺りは暗くなっていた。


 いつもなら優斗が起こしにくるところだが、用事でもあったのだろう。少しだけ恨み言をつぶやきながら教室に向かって歩き始めたところ、近くの教室から何やら人の声が聞こえた。


 大家族の長男とは言っても、まだ中学生で好奇心がそれなりにある総馬は、怪しい声が聞こえる教室が気になり——こっそり覗いてみることにした。


 そして、光が漏れる教室のドアの隙間を静かに覗き込んだ総馬だが。


 まさか、教室にいるのが知り合いだとは思いもよらず。総馬はその場で声をあげそうになり、慌てて飲み込んだ。


 しかも廃教室にいるのが透子と優斗だと知り、総馬はさらに動揺した。


 総馬は思わず邪魔をしないようその場を立ち去ろうとするが、次の瞬間、背筋が凍った。


『……先生……やめて。お願いだから』


『何を言ってるの。まだこれからよ』


『俺は……嫌だ……嫌なんだ』


『そんなことを言って、本当に可愛いわ』

 

 その声を聞いた瞬間、総馬は全身の血液が逆流しそうになった。


 すすり泣く優斗の声が耳について、胸に痛みを覚えた総馬は、そのまま教室に乱入するか悩むが——。


 できなかった。


 その場に乱入して、一番ショックを受けるのは優斗だろう。


 総馬は怒りを抱えながらも、血が滲むほど拳を握りしめて、その場をあとにする。


 優斗の名誉を守るには、退くしかなかった。


 だが優斗の闇に触れてしまった総馬は——その日、一睡もできなかった。





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