第34話 櫻総馬の足跡1(過去編)


 

 ————四年前。


 蒼の住むマンションの隣県——その中心に位置する中学校に、彼はいた。


「こら、さくらくん。またこんなところでサボって! ちゃんと授業を受けなさい!」


「うるっせーな」


 登校すれば教師に追いかけられ、叱られてばかりの毎日だった。


 一年生のさくら総馬そうまわずらわしい大人たちから逃げては、屋上で寝転がり、空を見て過ごしていた。

 

 不思議と空を見ている時は気分が良かった。


 誰の介入も許さない時間。


 この時までは一人でいることが一番楽しかった。


 ――——が。


「……ねぇ、いつも何見てんの?」


 夏に差し掛かったある日、総馬は仲良くもないクラスメイトに声をかけられた。


 その突然の出来事に、総馬は動揺する。


 なぜなら悪い噂ばかりの総馬に良いイメージはなく、近づきたいと思う人間などいない——はずだったからだ。


 そして話しかけられて困惑した総馬は、思わず黙り込むもの、相手はなぜか、しつこく食い下がった。


「ちょっと、無視すんなよ~」


「なんだよ、話しかけるなよ」


「俺さぁ、総馬と話してみたかったんだよね」


「呼び捨てかよ」


「いいじゃん、同じ学年なんだから」


 そう言って、彼——仲間なかま優斗ゆうとは綺麗な顔で笑った。

 

 おそらく、総馬の噂を知らないのだろう。


 喧嘩が好きなわけではないが、派手な金髪のせいか、喧嘩を売られることが多く、普通の生徒は総馬を遠巻きに見るのが常だった。


 だが、優斗だけは総馬といることを気にする様子がなかった。


 それから毎日飽きもせずに声をかけてきた優斗は、いつしか当然のように屋上にやってきては、隣に寝転がり、一緒に空を見るようになった。


「ねぇ、空ばっかり見て楽しい?」


「……」


 授業をサボタージュして一緒に寝転がる優斗に、総馬はどう接して良いのかわからず、無言になることが多かった。


 それでも優斗は、総馬の反応を気にもせず、独り言のように喋り続けた。


「もうすぐテストだよね。総馬は理数系が得意だから、X高校とかが合うんじゃない?」


「なんで俺の得意科目がわかるんだよ」


「あ、喋った」


「……」


「知ってるよ。総馬って七人兄弟の長男なんでしょ? すごいよね。子育て手伝うとか、俺には想像できない」


「だから、なんで知ってるんだよ」


「だって、近所に住んでるから。自治会にも顔を出したりしてるでしょ? うちの母親が感心してたよ」


「……お前、俺をバカにしてんのか?」


「違うよ。総馬ってカッコイイなと思って」


「どこがだよ。ジジババしかいない自治会に参加して、最高にダサいだろ」


「なんで? 家族のために働いてる総馬はカッコイイよ」


「お前まさか、俺のバイト先も……」


「知ってるよ。お花屋さんで高校生のふりして働いてるんだよね?」


「お前……ストーカーかよ」


「いつも目に入る場所にいるだけだよ」


「それで、俺のことを尾けまわして何がしたいんだ?」


「だから、ストーカーじゃないよ。俺がよく通る場所に総馬がいるだけだよ」


「信じられるかよ。強請ゆすろうとでもしてるんじゃないのか?」


「総馬は人間不信なの?」


「別に」


「じゃあさ、友達になろうよ」


「……俺といたって大して面白くもないだろ」


「面白いよ。だって、一時間も空を見てる同級生、他にいないし」


「お前やっぱり、バカにしてるだろ?」


「お前じゃない。仲間なかま優斗ゆうとだよ」


 それから優斗は、学校にいる間は総馬の横にべったりと張りついてきた。


 末っ子だけあって人に甘えることに慣れているのだろう。


 最初は鬱陶しかったが、そのうち総馬は優斗がいることにも慣れていった。




「今日はどこ行くの?」


 いつものように勝手に寄ってきた優斗が、総馬に訊ねる。


 市街地に向かっていた総馬は、諦めたように息を吐く。


「今日はゲームの発売日なんだよ」


「ゲーム? 総馬ってゲームやるの? 意外だね」


「イカのゲームのバージョン2が出るんだよ」


「イカのゲーム、名前だけ知ってる」


「じゃあ、うちでやるか? 弟たちも一緒だが」


「やる! 教えてよ、イカのゲーム」


「お前はなんでも楽しそうだな」




 それから総馬の兄弟にも気に入られた優斗は、総馬の家に頻繁に出入りするようになり、家でも学校でも一緒にいることが多くなった。


 人の良い優斗がそばにいるせいか、いつの間にか総馬の悪い噂は消えて、周囲にも恐れられなくなっていた。


 そしていつしか少しずつ大人になり、髪を染めることをやめ、普通の生徒と同じように授業も受けるようになった総馬。


 友人ができたことで、総馬は今まで窮屈だった教室も楽しい場所として認識できるようになっていた。



 そうこうするうち、学年も上がり、総馬たちは中学二年生になるが——。



「今日からあなたたちの担任になります、天久あまひさ透子とうこです。皆さん、仲良くしてくださいね」


 優斗と総馬の持ち上がった学年に、新しい担任がやってきた。


 教壇に立った教師は、大きなメガネが印象的で、いかにも優しそうな顔をしていた。


 男子校では若い女の教師というだけで、注目の的だったが、総馬や優斗はとくに何を思うでもなく、その後もいつも通り過ごしていた。



 そんなある日のことだった。



「あなたたち、なんですか」


 担任の教師が複数の男子生徒たちに囲まれているところを、総馬と優斗が見かけた。


「先生って、あっちの経験あるの?」


 誰もが目にする廊下で、失礼な言葉を吐く生徒に、担任はうんざりした顔をする。


「何バカなことを言って……」


「先生は大人だから、俺たちと違って経験豊富だよな」


「そこをどきなさいよ」


「クスクス……嫌だね。先生、俺たちに勉強以外も教えてよ」


 真面目な人間に限って、何を考えているのかわからないものである。


 優等生グループに絡まれている教師を見て、総馬はうんざりした気持ちになる。


 彼らは普段の行いが良いだけあって、少々悪さをしても咎められないのだ。


 たとえ総馬が助けに入ったとしても、逆に総馬が悪者扱いされることだろう。

 

 人生はそんなものだと、総馬はよわい十五にして悟っていた。


 実際、えん罪で反省文を書かされたことは数しれないからだ。


 だから総馬は気にはなりながらも、知らないふりを決めていた。


 だが優斗は違った。


「——おい、やめろよ!」


 気づくと優斗が、担任の女教師に駆け寄っていた。

 

「なんだこいつ?」


 優等生の少年が眉間を寄せる中、優斗はスマートフォンの画面を見せつけた。


「いいのかな? そんなことして。今喋ってたこと全部スマホに録画してるし、これSNSに上げるとどうなると思う?」


「……なんだよ、お前。いい子ぶりやがって」


 優斗の機転で、優等生たちは散っていった。


 残された教師が目を丸くする中、優斗は小さく笑う。


「先生、大丈夫? もう怖くないよ」


「……ありがとう」


 その時は、優斗の行いを誇らしいとさえ思った総馬だが。


 天久透子の心の変化など知るはずもなく。


 ちょっとした親切心が、幸せだった日常を壊すことになるとは——優斗も総馬も、思うはずもなかった。







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