第33話 櫻総馬の遺産(芽衣・蒼)


「……どうして」


 蒼が捕まえた短髪の看護師は、信じられないという顔で蒼や栄一えいいちの顔を見比べていた。その後ろにはスーツを着た男女の姿もあり、看護師が逃げられないよう、囲んでいた。


 そして動揺する看護師に対して、蒼は企むような笑みで告げる。


「悪いけど、俺は最初から起きてたんだよ」


「ええ!?」


 声を上げたのは芽衣だった。他の人間は知っていたのだろう。蒼が掴んでいる看護師以外、動揺する者はいなかった。


 そんな中、栄一えいいちは液体の入ったバイアル瓶を見せつけて、声高に告げる。


「それであなたが持っていたこの液体は、なんですか?」


 何がなんだかわからず、芽衣がバイアル瓶を見つめる中、看護師は視線を逸らした。


「私……知らない」


 すると、栄一は厳しい口調で詰め寄った。


「とぼけても無駄ですよ。私が設置したカメラにも映っていますから」


「私……私は……」


「さあ、答えてください。あなたに蒼を殺すよう頼んだのは誰ですか?」


「それは——」


 看護師が言いかけたその時、人だかりを掻き分けるようにして、眼鏡の女性が現れる。


 天久あまひさ透子とうこだった。


「こんにちは……あら、お取込み中でしたか?」


 何食わぬ顔で登場した透子に、栄一は鋭い目を向ける。


「諸悪の根源の登場ですか」


「なんのことですか?」


「どうせ全部見ていたのでしょう? なら、おわかりのはずですよ。あなたはもう逃げられません。自分の手を汚さず他人に頼ることで、証拠を増やしすぎたんです」


「何をおっしゃっているのか、よくわかりませんが」


「あなたが看護師さんに依頼した犯罪ことは、もうわかっているんですよ」


「本当に……何を言っているのかわからないので、きちんと説明してもらえませんか?」


「仕方ありませんね……刑事さん、お願いします」


 栄一はため息混じりに告げると、スーツの男性が手錠を取り出し——そして天久透子の腕に嵌めた。


「あなたを、殺人未遂教唆さつじんみすいきょうさの疑いで逮捕します」


「……え?」


 刑事の言葉に続き、栄一が告げる。


「あなたが蒼に執拗に張り付いていたことはわかっていました。ですから、あなたが行動するこの瞬間を待っていました」


 すると、透子は弱々しい声で否定する。


「殺人だなんて……そんな」


 だが栄一は決して油断したりはしなかった。


「ただのお見舞いだなんて、そんな言い訳は通用しませんよ。あなたがそこの看護師に殺人を依頼したことは明白ですから」


 栄一の言葉に、最初は弱者を演じていた透子も、鼻で笑うような仕草をする。


「そんな憶測で私を捕まえられるかしら」


「毒の入手経路をおさえてあるので、言い逃れはできません。蒼や権田ごんだくんの遺書をあなたが作成したこともわかっているんです」


 栄一が指摘すると、透子は何かを考える仕草をした後、落ち着いた様子で告げる。


「……少し、電話をよろしいですか?」


「弁護士を用意するなら構いません」


 栄一の言葉には答えず、透子は通話を始めるが……。


「もしもし、お父様? 私だけど」


『お前は! ……これ以上は無理だと言っただろう!?』


「……え?」


 電話から怒鳴り声が聞こえ、透子がぎょっとした顔をする。


 それを見た刑事の一人が、息を吐くようにふっと笑って説明する。


「申し訳ないですが、あなたのお父様も闇献金に関わった疑いで任意同行をお願いしている最中でして」


 その言葉に、透子は瞳を揺らした。


 追い詰められた教師を見て、栄一は清々しいほどの笑みを浮かべて告げる。


「残念でしたね」


「あなた……一体なんなの?」


「私はただのしがないサラリーマンですよ」


「何を言ってるんだよ、父さんは」


 蒼が呆れたように言う中、芽衣は目を白黒させていた。






 ***






 もう遅いこともあり、蒼の父——栄一えいいちに送られながら、芽衣は夜の市街地を歩いていた。


 蒼が最初から目を覚ましていると知って、安心した反面、事情を聞かずにはいられなかった。


「天久先生が優斗くんや香川くんに何をしていたのか、ようやく知りましたが……天久先生がこんなスムーズに捕まるなんて……いったい、どうなってるんですか?」


 芽衣が訊ねると、栄一は小さく笑って告げる。


「遺書のせいだよ」


「遺書の?」


「AIで筆跡を取り込んで文章を作成するプログラムを、業者に頼んでたらしいんだ」


「AIで!? じゃあ、反省文を書かされていたのは……」


「そうだよ。AIに取り込むには条件があるから、形式を指定して反省文を書かせていたんだよ」


「優斗くんの中学のお友達——さくら総馬そうまさんも?」


「どうやらさくら総馬そうまくんは天久先生がAIで生徒の遺書を作っていたことを知って、そのプログラムを作った業者にコンタクトをとったようなんだ」


「え? 櫻総馬さんが?」


「ああ。それから業者が天久先生のことを警察に相談したらしい。だから天久先生は警察からずっとマークされていたんだよ。父親が警察内部や黒い繋がりをつかって証拠を揉み消していたから、なかなか尻尾を掴めずにいたらしいけど」


「じゃあ、今回の逮捕って……」


「時間はかかったけど、櫻総馬くんの功績だよ」


「じゃあ、優斗くんを蒼から引き離したのは……?」


「事件から手を引いたように見せかけただけだよ」


「……そうだったんですか。良かった」


「芽衣ちゃんには心配ばかりかけたね」


「いいえ。蒼なら大丈夫だと思ってたから。それで、蒼は今どうしてるんですか?」


「優斗くんと一緒にいるんじゃないかな?」


「そうですか」


「芽衣ちゃん、ありがとう」


「……いきなりなんですか。私は何もしていませんよ」


「蒼にはもったいないなぁ」


「え?」


「どうかこれからも、あの子のことをよろしくね」






 ***






 天久透子が逮捕された後、ようやく病衣から私服に着替えた蒼は、病院の休憩室に足を踏み入れる。


 すると、自動販売機と椅子しかない休憩室には優斗の姿があり、蒼を見て苦笑した。


「優斗、天久先生が捕まったぞ」


「うん」


「これで晴れて自由の身だな」


「うん」


「お前の中学の友達、すげぇな」


「うん」


「なんだよ、泣いてるのかよ」


「……うん。総馬はどうして俺に言ってくれなかったんだろう」


「そりゃ、優斗を守りたい一心で動いてたんだろ」


「あいつ……俺が先生と付き合ってるって言ったら、めちゃくちゃ怒ったんだ。俺はてっきり、総馬が先生のことを好きだと思っていたんだけど……」


「優斗には、先生と別れてほしかったんだな」


「だったら、どうしてハッキリ言ってくれないんだ?」


「事情があったんだろ。言えない事情が」


「こんな風に助けられるなんて……俺はどうすればいいんだろう」


「櫻総馬の分まで幸せになれとは言わないぞ。優斗が幸せになることで、櫻総馬が幸せになるかっていうと、そうでもない。だって、櫻総馬はもうこの世にはいないからな。けど、優斗が助かったことで、思いは遂げられただろうから、これでいいんだよ。お前は何もしなくていいんだ」


「蛍原……ありがとう」


「ああ。頑張ったから、ご褒美くれよな」


「あはは、何が欲しいの?」


「そうだな……優斗に合コンでも開いてやろうか?」


「なにそれ。全然ご褒美じゃないよ」


「お前は女嫌いを治さないと」


「俺は別に、女の子嫌いじゃないよ? ただ、山路以外は苦手なだけで」


「それが問題なんだよ。芽衣がお前に惚れたら大変だろ? だから、今から手を打っておくんだよ」


「それより、蛍原こそ早く山路と一緒にならないと大変だよ」


「なんで?」


「蛍原のことを好きなのは、山路だけじゃないってこと」


「俺はよそ見なんてしないから、大丈夫だよ」


「ほんとに?」


「ああ、ホントだ」


「じゃあ、試してみようかな」


 優斗はスッと笑顔を消したかと思えば、蒼に接近する。何やら異様な雰囲気を感じ取った蒼は、少しずつ後ずさるが——そのうち背中が壁にぶつかった。


 すると、優斗はそんな蒼の首元の壁に手をついた。


 休憩室の壁に追い詰められた蒼は、息を飲んだ。 


                          






           →次回、過去編へ


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