第31話 別離(蒼・透子)



「あんたたち……なんだよ」


 天久あまひさ透子とうこによって生徒指導室へと連れて行かれた蛍原ほとはらあおいだが——。


 何を言うでもなく退出した透子の代わりに現れたのは、複数の男子生徒だった。


 どこかで見たことのある生徒たちは、蒼の肩を掴むなり下品な笑みを浮かべた。


「なんだよって、これからいいことする相手だよ」


「またか! ワンパターンだな」


「この間は邪魔が入ったが、ここなら助けを呼んでも誰も来ないからな」


 ドアの方からガチャリと金属音が聞こえた。


 鍵を閉めたのだろう。


 蒼は静かに固唾を飲む。


「さあ、今度こそイイ声聞かせてくれよ」


「誰がお前たちの相手なんかするかよ」


(こういう時は警備会社のアプリを……げ、圏外だと?)


 蒼は使えないスマートフォンを見て、みるみる青ざめる。


 そんな蒼を見て、男子生徒たちは可笑しそうな顔をしていた。


「スマホは使えないぞ。この部屋は不思議と電波が入らないんだと。いいことするにはうってつけの部屋だよな」


「指導室の教員はスマホなしでどうやって生活してるんだ」


 蒼はなんとか男子生徒たちの手を振り切って逃げ出すもの、途中で取り押さえられる。どうにも逃げようがなかった。


「おいおい、逃げるなよ」


「やっぱり柔剣道が必要なのか」


 蒼が自分の弱さを痛感していると、体格の良い男子生徒がさらに告げる。


「お前、幼馴染に着替えを手伝ってもらってるんだろ? 今日は特別に俺たちが手伝ってやるよ」


「気持ち悪い雰囲気だすなよ」


(くそ、どうする。ここは二階だから、最悪は窓から——)


 蒼が暴れると、男子生徒たちが押さえにかかった。多勢に無勢だった。


「大人しくしろ!」


「触るな!」


 複数の手にシャツを引き裂かれてボタンが飛んだ。だがシャツの下にさらにTシャツを着ていた蒼は、あえてシャツからすり抜けると、差し出された腕に思い切り噛み付いた。


「こいつ、嚙みつきやがった!」


「俺に指一本でも触ったら、殺す!」


 蒼はじりじりと後ずさるうち、窓に背中がぶつかった。それ以上逃げ場がないのを見て、蒼は唇を噛み締める。だが男子生徒たちはそれさえも楽しむように、嫌な笑みを浮かべていた。


「強がっても可愛いな。おいお前ら、手足おさえろ」


「だー! 寄るな!」


(やばい、捕まったら終わりだ。それならいっそ——)


 蒼は身を翻すと、窓を開けて外に飛びこんだ。


「あいつ! 窓から!」


 そして一階の生垣になだれ込んだ蒼は、薄れゆく意識の中で、芽衣の笑顔を思い浮かべていた。






 ***






「……それで、うちの子がどうして窓から?」


 病院の長い廊下で、蒼の父親——蛍原ほとはら栄一えいいちは刺すような視線を恰幅の良い校長に向けた。


 隣には県警からやってきた刑事も控えている。だが説明したのは、校長だった。


「遺書がありますので、自殺未遂かと」


「そんなはずはないでしょう? 制服のボタンが飛んでるのはなぜですかね?」


「男子たちと遊んでいたんじゃありませんか?」


 まるで他人事のような校長の物言いに、栄一はやや尖った声で返した。


「男子と遊んでいたのに自殺未遂? ますますわかりませんが?」


「とにかく、遺書があるので、目が覚めたらカウンセリングを——」


「カウンセリングは不要です」


「頑固な親御さんですね」


 校長がハンカチで汗を拭う様を、栄一はきつく眉間を寄せて見つめていた。




「——栄一さん、蒼は大丈夫なんですか?」


 栄一が病院から出たところで、山路やまじ芽衣めいが待ち構えていた。


 蒼の幼馴染であり、幼い頃から見知っている存在だけあって、栄一はホッとした顔をする。


「ああ、芽衣ちゃん。落ちたといっても二階だからね。命に別状はないよ」


「でもまだ目を覚まさないんでしょ?」


「だから検査をしなきゃいけないんだ。でもきっと大丈夫だから……それより、お願いがあるんだ」


「お願いって?」


仲間なかま優斗ゆうとくんに会わせてくれないかな?」


「優斗くんに?」


「うん、できれば蒼が個室に移ったあとに」


「わかった。伝えておくね」

 

 芽衣が快く返事をすると、栄一は大きなため息を吐いた。





 ***




 蒼が病院に運ばれた五日後。


 蒼を襲った男子生徒たちを生徒指導室に呼び出した天久透子は、咎めるような目で男子生徒たちを見る。


 だが決して、蒼を襲ったことに対して、叱りつけるために呼び出したわけではなく——失敗したことに対して指摘する。


「あなたたちにはがっかりよ」


「けど、言う通りにしたからな! 俺たちのバイトは……」


「いいわ。バイトくらいさせてあげる。親のいないあなたたちからバイトを取り上げたら、大変ですものね」


「……じゃあ、俺たちはこれで」


 指導室を嬉々として去る男子生徒たちを尻目に、天久透子は窓に視線を向ける。


 優斗と一緒にいるためには、蒼を壊す必要があった。だが男子生徒をけしかけたところで、一度も成功することはなく。内心は苛立ちが募るばかりだった。


「……あの子、しぶといわね」


 そんな風に苦々しく呟く中、ふいにノックの音が聞こえた。


 透子は慌てて来客用の笑みを浮かべて、ドアの方に視線をやる。


 すると、やってきたのは、最愛の少年だった。

 

「天久先生」


「あら、優斗くん。あなたから声をかけてくれるなんていつぶりかしら? 先生、嬉しいわ」


 優斗から声をかけられて、すっかり機嫌を直した透子だったが、優斗の方はというと、いつも以上に暗い顔をしていた。


 そして優斗は、いつになく強い眼差しで透子を見つめる。


「俺は天久先生を絶対に許さないから」


「……優斗くん?」


「もし蛍原ほとはらがこのまま目を覚まさなかったら、俺も死ぬから」


 そう言って身を翻した優斗は、そのまま静かに指導室をあとにした。

 

 残された透子は唇を噛み締める。


(あんな優斗くん、初めてみたわ。気に入らないわ……あの子、どうしてあんなに目障りなのかしら)


「やっぱりあの子にはいなくなってもらわないとダメね。そうすればきっと、優斗くんは諦めてくれるはずだわ」






 ***






 ————翌日。


 天久あまひさ透子とうこ蛍原ほとはらあおいが入院する病院に赴いた。 


「あの子の病室は確か、805号室よね……」


 蒼の病室を探すうち、透子はふと、よく知る背中を見つける。


 病院の長い廊下の先には、仲間なかま優斗ゆうとの姿があり、誰かの後ろをついて歩いているようだった。


「あら、優斗くんがいるわ。一緒にいるのは……蛍原くんの父親ね。どこに行くのかしら?」


 気になった透子は、見つからないように優斗の跡をつけた。


 そして長い廊下を歩き、階段をのぼった優斗たちが向かった先は、屋上だった。


 大量のベッドシーツが干してある屋上には、優斗と蒼の父親以外に人はおらず。透子は声が聞こえる場所まで、シーツに隠れながら移動する。


 すると、優斗と蒼の父親が向かいあって話し会う様子が見えた。




仲間なかま優斗ゆうとくん。突然呼びだしてすまない」


「いいえ。初めまして、蛍原——くんのお父さん」


「キミを呼んだのは、蒼の件でだけど……キミにお願いがあるんだ」


「……なんでしょうか?」


 優斗が訊ねると、栄一はひと呼吸おいて告げる。


「蒼から離れてくれないだろうか?」


「え?」


「全ての元凶はキミとあの教師だろう? だから、キミさえ離れてくれれば、先生もこれ以上、蒼に手を出さないはずだ」


「……」


「キミには酷なことだと思う。けど、これはキミのためでもあるんだ。キミも、蒼が何かされたらイヤだろう?」


「……はい」


「だから頼むよ」


 優斗は曇りがちな顔で俯くと、何かを覚悟したように顔を上げる。


「……わかりました。もう二度と、蒼くんには近づきません」


「本当かい? 理解が早くて助かるよ」


「はい……俺は、もう二度と……彼には……近づきません」


 そう告げた優斗は、辛そうに顔を伏せて屋上をあとにした。

 





 ***





 

 蒼の父親——蛍原ほとはら栄一えいいちに蒼から離れるよう言い渡された優斗は、その足で蒼の病室に向かった。


 二階から落ちた蒼は、なぜかまだ意識が戻らず、個室で眠っていた。その顔は安らかに見えるが、優斗は辛そうな顔をしていた。


「蛍原……ごめんね。散々迷惑かけて。俺、蛍原たちといて本当に幸せだった。けど、俺のせいでこんな目に遭うなら、やっぱり一緒にはいられないよね。今までありがとう。そしてさようなら……」


 そう言って身を翻した優斗だったが。


 その時、偶然ドアを開けた少女と視線がぶつかった。


 芽衣だった。


「優斗くん?」


「山路?」


「今の……どういうこと?」


「ごめん、俺、用があるから帰るよ」


「優斗くん!」


 廊下を走り去る優斗の足音が響く中、廊下でずっと様子をうかがっていた天久透子が笑みを浮かべる。


「まあ、なんて理解ある父親かしら。おかげで優斗くんはまた一人になるのね。私がたくさん、慰めてあげなくちゃ! ……でも、いつまでもあの子のことを考える優斗くんも可哀相ね。そうだわ! やっぱりあの子を殺さなくちゃ。そうしたらきっと、優斗くんも忘れられるわよね?」


 透子は心底嬉しそうに破顔したあと、スタッフステーションに向かった。









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