第26話 ほどける心(優斗・蒼)


 帰宅途中、自宅マンションの前で天久あまひさ透子とうこに遭遇した仲間なかま優斗ゆうとは、あとからやってきた山路やまじ芽衣めいに助けられ、優斗の部屋へと避難したわけだが——その場に居合わせた香川かがわれんも連れ帰ったのだった。




「——あんたも脅されていたのか?」


 十二畳ほどのリビングに立っていた香川かがわれんは、おそるおそる優斗ゆうとに訊ねた。


 優斗のことを噂でしか知らないのなら、事実を知れば驚くだろう。


 優斗が天久透子との関係を言うべきか悩んでいると、蓮はため息混じりに付け加えた。


「大丈夫、言いたくないなら、無理に言う必要はないよ」


 言いたくないから、という単純なものではなかった。


 自分以外が天久透子に目をつけられることを恐れた優斗は、やんわりと告げる。


「言えば、きっと巻き込むことになるから」


 すると、蓮は感情の見えない複雑な表情で笑った。


「……わかるよ」


「え?」


「俺もずっと、言えなかったから」


「……」


「あんな奴に好かれて……大変じゃないわけないよな。俺は何か勘違いしていたのかも……あんたも被害者だって考えないようにしていたんだな」


「……俺は」


「けどやっぱり、俺は蛍原ほとはらさんに手を貸すことはできない。俺はさくら総馬そうまさんみたいになるのが怖いから」


「総馬みたいに? どういうこと?」


さくら総馬そうまさんはきっと、あの女に殺されたんだ」


「え? だって、目撃証言では自殺だって」


「違う。それは訂正されたあとの情報だ。本当は俺の弟が……さくら総馬そうまさんが突き飛ばされたところを見たんだ」


「そんな……まさか……」


「だけど、天久あまひさ先生に脅されて、証言を変えるしかなかった」


「……総馬は……あいつに殺されたの?」


 呟きながら、優斗は目眩を感じた。


 天久透子の魔の手がさくら総馬そうまにまで及んでいるとは知らず。それどころか、総馬に突き放されたのは、嫉妬のためだと思っていた。


 だがその信じられない事実を聞いて、黒い感情が溢れそうになった。


 全ては天久透子の所為だと知って、嫌悪以上のものが胸の奥を渦巻き、吐き気が止まらなくなる。


「優斗くん!」


「おい!」


 優斗は今にも倒れそうな様子で、ふらふらと体を揺らしていたが——そのうち芽衣や蓮の声を遠くに聞きながら、意識を失った。




 優斗がふと目を覚ました時、傍には芽衣や香川かがわれんの姿があった。おそらく、ベッドに寝かされているのだろう。

 

 横になったまま動けない中、優斗が目を覚ましたことを知らない芽衣が、香川蓮に声をかけた。


「ごめんなさい。優斗くんは天久先生の話になると調子が悪くなるんだ」


「そうか……ごめん。不用意にあんなことを言って」


 その悪気のない言葉に、何か言おうとするもの、優斗の口はなかなか動かず。続けて芽衣が告げる。


「ううん、あなたは悪くないよ」


「それに、関係のないあんたにまで……」


「ううん。蒼は何も言ってくれないから、気になってたんだ」


蛍原ほとはらさんは……あんたを巻き込まないようにしてたんだな」


「そうだね。でも天久先生には、すでに嫌われてるから……遅いと思うけどね」


「……あんたは……蛍原さんの恋人なのか?」


「違うよ。ただの幼馴染だよ」


「……そうか」


 蓮は不思議そうな顔をしていた。


 だが結局、優斗は何かを告げる前に、再び眠りに落ちたのだった。






 ***






 次に目を覚ました時には、九時を回っていた。ベッド脇を見れば、まだ芽衣がいて、優斗は慌てて身を起こす。


山路やまじ


「あ、優斗くん。目が覚めた?」


「さっきの……」


「香川くんのこと? もう帰ったよ」


「……そう」


「連絡先とかは……いや、やっぱりいいや」


「電話番号は蒼に聞いてって言ってた」


「え?」


「もし聞きたいことがあるなら、今度ゆっくり話そうって」


「そう……か」


「大丈夫? 優斗くん……って、大丈夫じゃないよね」


「あはは……なんで俺ってこんなに弱いんだろ」


「優斗くんが弱いんじゃないよ。優斗くんが弱るくらいのことがあったんでしょ?」


「山路にも蛍原にも、カッコ悪いところばかり見られてるね」


「カッコ悪いところなんて、誰にだってあるからね。蒼なんて、甘えん坊なの隠さないし」


「それでも蛍原は……カッコいいと思うよ」


「え? ほんとに? 私からすれば、カッコイイところなんて……ないよ」


「山路も蛍原と同じくらい意地っ張りだね」






 ***






 自室のベッドに寝転がっていた蒼は、時計が表示されたスマートフォンを睨みつける。


 芽衣と通話を切ったばかりだが、声よりも本人に会いたいと思った。


 だが芽衣や優斗を守るためにも不用意な行動には出られず、蒼はスマートフォン相手にため息ばかり吐いていた。


 そんな風に電話相手に葛藤する蒼だったが——ふと、スマートフォンに着信が入る。


 香川蓮からだった。


『あの……蛍原さん』


「今度はどうしたんだよ」


『……晴翔はるとが』


「晴翔がどうかしたのか?」


 権田ごんだ晴翔はるとの容態を知らない蒼は、蓮の言葉を聞いて固唾を飲み込む。


 祈るような気持ちで続きの言葉を待っていると、ふいに噴き出すような声が聞こえた。


『蛍原さんって……』


「なんだよ」


『意外と悪い人じゃないかもしれない』


「どういう意味だよ。それより晴翔はどうした?」


『晴翔は目を覚ましたよ。それであんたに会いたいって言ってる』


「……」


『だから、あいつのいる病院に行ってやってほしいんだ』


「え? なんで?」


『気が変わったんだよ。あの女が怖いのは、俺だけじゃないってわかったから』


「……もしかして、優斗に会ったからか? 天久先生が現れたことも、芽衣から聞いた」


『うん。仲間なかま優斗ゆうとさんが苦しんでるのを見たら、自分と重なって見えたんだ』


「そうか」


『このまま天久先生を放っておけば、俺みたいなやつが増えるんだよね。なら、俺も協力する』


「そうか」


 協力者が増えた、その瞬間——蒼は自分でも知らないうちに、不敵な笑みを浮かべていた。






 ***





 ————翌日の正午。


 権田ごんだ晴翔はるとの入院する病院にやってきた蒼だが、個室はもぬけの殻だった。


 すでに退院しているのだろうか、などと考えていると、そのうちドアが開いて、晴翔が姿を表す。どうやら、病室の外にいたらしい。


 帰ってきた晴翔を見て、蒼は慌てて駆け寄った。


「晴翔!」


 すると、晴翔はふわりと優しい笑みを浮かべる。


「ああ、蒼」


「大丈夫か?」


「ああ、大丈夫だ。それより、なんだよその格好」


「……これか? 目立つだろ?」


 蒼は自分の姿を堂々とした様子で見せつける。


 だが黒の上下に金色のサングラスは、どう見ても怪しい人物にしか見えず、晴翔は呆れた顔をする。


「普通は、目立たないようにしてこないか?」


「俺に何かあった時、誰にも気づかれなかったら嫌だろ。逆に目立つくらいのほうがいいんだよ」


「……面白いやつだな」


「で、聞きたいことがあるんだけど」


「俺の遺書のことか?」


「よくわかったな」


「俺も最初聞いた時、ゾッとしたからな」


「いつ遺書なんて書いたんだ?」


「書いてない」


「は?」


「遺書なんて書いてないんだ」


「じゃあ、なんで遺書なんて……」


「考えられるのは、反省文だ」


「反省文?」


「俺、喫煙で反省文を書かされただろ? それを使われたのかもしれない」


「反省文……を転写したってことか?」





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