第24話 見えない傷(優斗・蒼)



「俺のことを嫌いにならないで」


 マンションの外廊下で、優斗ゆうとは泣きそうな顔で告げた。


 芽衣めいに自分のことを知られたくない——そんな気持ちばかりが先走って、自分でも何を言っているのかわからなかった。


「俺は、俺は汚いから」


「優斗くん?」


 芽衣が心配そうに見守る中、優斗は訴え続けた。


山路やまじ蛍原ほとはらと一緒にいられなくなるのは嫌だ!」


「優斗くん!」


 芽衣には理解できないことばかり叫ぶ優斗だったが——そのうち苦しそうに胸を押さえた優斗は、静かに倒れたのだった。







 ***







 目を覚ました優斗の視界には、真っ白な天井があった。ゆっくりと周囲を見回せば、ピンクのカーテンや、ぬいぐるみが飾られた勉強机が目に入る。


 女の子の部屋だ——そう優斗が気づいた時、すぐ傍で声が聞こえた。


「目が覚めたか?」 


 声に導かれるようにして右側を向くと、椅子に座る蒼の姿があった。


 優斗は慌てて上半身を起こす。


蛍原ほとはら?」


「大丈夫か? 優斗」


「……うん。俺はどうしてここに?」


「お前、マンションの廊下で倒れたんだよ。優斗の部屋に勝手に入っていいかわからないから、とりあえず芽衣の部屋に運んだんだ」


「……そうだったんだ」


「俺はすぐに帰るけど、あとで芽衣が来るから……部屋まで送ってもらえよ」


「蛍原は?」


「ん?」


「蛍原は一緒にいてくれないの?」


「ああ。俺は用事があるから、学校に行かないと」


「俺の……過去を調べて、どうするつもりなの?」


「……芽衣のことをよろしくな」


「答えになってないよ」


「優斗だから、芽衣を任せられるんだ」


「俺が手を出さないってわかってるから?」


「そうじゃない。優斗は芽衣を大切にしてくれるからだ」


「俺の過去が知りたいなら、俺に直接聞けばいいのに」


「無理するな」


「……もう知ってるかもしれないけど、俺は天久先生とつきあってたんだよ。毎日のように触れあって色んなことをしたし、決して可愛い付き合いじゃなかった」


「……」


「それから俺と天久先生が付き合ってることが友達のさくら総馬そうまにバレて、喧嘩になったあげく、総馬は自殺したんだ。あいつもきっと天久先生のことが好きだったんだ。だから、縁を切られたんだ。天久先生なんかより、大事な友達だったのに——」


「やめろ、優斗。もういいから……」


「だって、知りたいんだろ? 俺のこと? 知ってどうするの? 蛍原ほとはらも俺と縁を切るの?」


「そんなことしない」


「俺のこと気持ち悪い奴だと思ってるだろ? あんな女と繰り返し……うっ」


「優斗、気持ち悪いだなんて思ってないから」


「俺は、俺自身が気持ち悪いんだ……」


「大丈夫だから、優斗……落ち着け」


 蒼は優斗を強く抱き締める。


 すると優斗はすがりつくように蒼を抱えて、涙をこぼした。


「俺は嫌だと何回も、何十回も言ったんだ。でも、あいつはそれすら喜ぶんだ。俺は……俺は……」


「大丈夫だ、優斗。お前が幸せに恋愛ができるよう、俺がなんとかしてやるから」


「恋愛なんていらない。芽衣と蒼がいてくれたら、それでいいんだ」


「そんな寂しいことを言うな。俺に芽衣がいるように、お前にもきっと大切な人ができるから」


「俺は……大切な人なんていらない」


「……優斗、大丈夫だから……」






 ***






 優斗の闇は、蒼が思っていたよりもずっと、深かった。


 天久透子が優斗の人生を無茶苦茶にしたのかと思うと、考えるだけで気分が悪くなった。


 おそらく優斗はあの傷を抱えて生きていくしかないのだろう。


 蒼と芽衣が癒したところで、優斗の傷が塞がるとは思えなかった。


「大丈夫か? 蒼」


 遅れて登校した蒼は、階段の踊り場で再び待ち合わせた権田ごんだ晴翔はるとに、顔を覗き込まれる。


 蒼はため息混じりに頭を横に振った。


「ああ、大丈夫じゃない」


「……何かあったのか?」


「あの女がとんでもないやつだということはわかった」


「中学の時、天久先生は生徒に人気だったんだ」


 その言葉に蒼が眉間を寄せていると、晴翔は苦笑しながら続きを告げた。


「ルックスが良かったし、授業も面白くて人当たりもいい。校長にも気に入られてて、欠点という欠点がなかった。仲間と付き合っている噂が流れても、みんな何も言わなかったし、不自然なほど苦情もなかった」


「そうか」


香川かがわれんから聞いた話とは、別人のようだな)


 三年前に優斗の中学で起きた自殺事件——その目撃者の兄、香川かがわれん天久あまひさ透子とうこに脅された上、推薦をなかったことにされた話を思い出していると、晴翔が何気なく訊ねてくる。


「それで、れんには話を聞けたのか?」


「まあな」


「あいつ、成績がいいくせに喫煙なんかで評価を落として……もったいないやつだ」


「そうだな」


(天久先生に脅されてたことを、晴翔は知らないみたいだな)


 おそらく、晴翔のことを巻き込みたくなかったのだろう。香川蓮の様子からして、晴翔には秘密にしていることが容易に想像できた。


 だが晴翔はというと、そんな香川蓮の気持ちも知らず、正義感に満ちた目で告げる。


「とにかく、天久先生のことで知りたいことがあれば、いつでも聞いてくれ」


「……わかった」






 ***






「明日は給料日だな……そろそろ目標額にいくか?」


 夜の八時を回った頃、権田ごんだ晴翔はるとはバイト帰りに、人気の少ない郊外の道を歩いていた。


 いつもならバスを使うところだが、節約がしたいこともあって、二十分ほどかかる駅までの道でも徒歩を選んだのだった。


 翌日はバイトも休みということで、楽しい足取りで家路を急ぐ晴翔はるとだったが——そんな中、ふいに激しいエンジン音が近づいてくる。


 だが晴翔はマイペースにも給料のことばかり考えており、車の音など気にもしていなかった。


「一人暮らしってどのくらいかかるんだ?」



 ————が、その時。



「蓮にでも聞いてみるか——ん?」


 間近に接近して、ようやくその存在に気づいた晴翔だが、目にした時にはすでに遅く。


 クラクションが鳴ると同時に、晴翔がいる道の真ん中へと乗用車が突っ込んだのだった。






 ***






「ああ、芽衣に会いたい」


 夜の十一時を過ぎた頃。


 パジャマに着替えた蒼は、私室の窓から欠けた月を眺めていた。


(まだ一週間と経ってないのに、このていたらく。ダサすぎやしないだろうか)


 倒れた優斗を部屋に運んだ時、久しぶりに会った芽衣は変わらず蒼の好きな芽衣だった。


 あれから三日ほど会っていないわけだが、すでに芽衣が恋しくなっていた。


「……本当に優斗に取られたらどうしよう」


 などと、芽衣のことばかり考えていたその時、ふいにスマートフォンが振動した。


 香川かがわれんからの着信だった。


『——おい』


「ああ、蓮さんか。どうしたんだ?」


『あんた……晴翔を巻き込むなと言ったのに……』


「なんのことだよ」


『とぼけないでください!』


「落ち着けって、何があったのか、教えてくれ」


『晴翔が事故にあったんだ』


「え? なんだと!?」


『車にはねられて——命に別状はないと言われてるけど、意識が戻ってない』


「それで、晴翔はどの病院にいるんだ?」


『あんたが行くと迷惑になる』


「どういうことだ?」


『あいつのカバンから、遺書が発見されたんだ』


「遺書? あいつが自分から車に飛び込んだってことか?」


『そんなわけないだろ! きっと、天久先生だよ』


「……そういうことか」


『とにかく、金輪際、晴翔はるとに近づかないでください』








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