第22話 初めての喧嘩(芽衣・蒼)



「おはよう、優斗くん」


 本格的な冬の寒さが染みる早朝。


 マンションの五階廊下——優斗の部屋の前で待ち構えていた芽衣に、優斗は目を瞬かせる。


 芽衣一人というのが珍しいのだろう。優斗は周囲を見回して、蒼の姿を探しているようだった。


「え? おはよう山路やまじ……今日はどうしたの?」


「えっと……実は蒼と喧嘩しちゃって、しばらく私たちだけで登校したいんだ」


「喧嘩!? どうして? 昨日まで普通だったのに」


「うん……大した話じゃないんだけど、気づいたら大事になってて」


「もしかして、痺れを切らした蛍原ほとはらに襲われたとか?」


「なにそれ。蒼がそんなことするわけないよ」


「じゃあ、どうして?」


「あー、うん……まあ、気にしないで」


「気にするに決まってるよ。あれだけ仲が良かった山路と蛍原が喧嘩だなんて」


「とにかく、登校しよう」


「俺……ちょっと蛍原に言ってくる」


「ええ!? 何を?」


「どうせ蛍原ほとはらがワガママ言ったんだろ? 山路やまじに謝るように言わないと」


「えっと……蒼のせいじゃないよ!」


「じゃあ、なんで喧嘩したの? もしかして俺のせい?」


「え」


「やっぱり……俺が蛍原のところに泊まったからじゃない? 山路、あんなに泊まりたいって言ってたのに、蛍原は首を縦に振らなかったから」


「えっと……大した話じゃないから」


「二人が喧嘩するなんて、大したことだよ」


「とにかく! 早く学校行こ」


 誤魔化しきれなくなった芽衣は、優斗の手を強引に引いて学校へと向かった。






 ***






(蒼のこと、どうやって誤魔化せばいいんだろ)


 学校に着いてからも、優斗はずっと蒼に対して怒っている様子だった。


 だからといって蒼が優斗のために動こうとしているとは言えず、芽衣は教室に入ってからも頭を悩ませる。


(ちゃんと言い訳を考えておけば良かった)


 だがそんな芽衣の心中を知らない優斗は、芽衣に幾度となく告げる。


山路やまじ、俺が蛍原ほとはらに言おうか?」


「え?」


「やっぱり、今の状態はよくないよ」


「そんなことないよ! 蒼がいなくて清々するよ」


「俺は二人のどちらが欠けても嫌だ」


「優斗くん……」


「俺やっぱり言ってくる」


 背中を向ける優斗の腕を、芽衣が慌てて掴む。


「待って!」


(初日でこれだから、この先嘘を吐き続けるのも良くないよね)


「あのね、優斗くん……本当は……」


 芽衣が言いかけたその時、教室のドアがガラガラと開く音がした。始業の鐘と同時にやってきた担任は、大きな声で告げる。


「チャイムが鳴りましたよ。早く席についてください」


「……」


 不服そうな顔をしながらも席に着く優斗を見て、芽衣は安堵の息を落とした。






 ***






 ———―昼休みになり、芽衣の机を囲んで食事をしていた優斗や千晶ちあきだが、いつもと違う雰囲気を察した千晶が、ふいに口を開く。


仲間なかまくん、芽衣……どうしたの? 二人とも難しい顔して」


 休憩時間のたびに蒼の教室に行こうとする優斗を、芽衣が阻んできたわけだが——おかげで優斗は始終不機嫌な顔をしていた。


「……山路やまじ蛍原ほとはらが喧嘩したらしいんだ」


「ええ!? ほんとに?」


「たまには喧嘩したっていいじゃない」


「もしかして、蒼くんに襲われたの?」


 好奇心いっぱいに顔を輝かせる千晶を見て、芽衣はため息混じりに告げる。


「だから……なんでそういうことになるの?」


「だって、芽衣と蒼くんが喧嘩するなんて、ありえないでしょ? 蒼くん、芽衣のこと溺愛してるのに」


「なによそれ」


「だってそうでしょ? 蒼くんが甘えるのは、芽衣だけなんだよ?」


「最近は優斗くんにも甘えてるけど?」


「それとも、蒼くんに……他に好きな人ができたとか?」


「そういう話じゃないよ。でも蒼に好きな人くらいはいるかもしれないね」


(あれ、なんだろう。蒼の好きな人を想像するだけで、すごくモヤモヤする)


 芽衣が形容し難い気持ちで考え込んでいると、しばらく黙っていた優斗が真剣な顔で口を開く。


「……そんなはずないよ。蛍原が山路以外を好きになるなんて……」


 優斗の言葉に、芽衣は驚きを隠せず目をみはった。


「蒼が私以外を好きになる? 蒼が私を好きってこと? そんなわけないよ」


 笑いながら否定する芽衣に、優斗は複雑そうな顔をしていた。


 そんな中、千晶が再度訊ねる。


「で、結局なんで喧嘩したの?」


 すると、優斗も芽衣をじっと見つめた。二人に凝視されて、芽衣はなんだか居心地の悪い気持ちになってしまう。


(どうしよう、やっぱり本当のことを言ったほうがいいのかな? でも千晶もいるし……)


「ごめん……時間が経てば、きっと仲直りできると思うから、今はそっとしてくれない?」


 芽衣のお願いに、千晶は「はいはい」と諦めるもの、優斗は不満そうな顔をしていた。






 ***





 

「——あ、蛍原」


 放課後。


 渡り廊下を歩く蒼に声をかけたのは優斗だった。


「……なんだよ」


「山路と喧嘩したって本当?」


「……ああ」


「なんで?」


「ちょっとな……」


「早く仲直りしなよ」


「放っておいてくれ」


「なんか蛍原……急に冷たくなったね」


「悪いけど、このあと用事があるから」


「蛍原!」


「明日もうちには来なくていいからな」


「……」


 物言いたげな優斗を残して、蒼は自分の教室へと向かった。




(……さて、これからどうするか)


 芽衣を遠ざけたことで、天久あまひさ透子とうこの標的から外れることはないが、だからといって優斗を一人にするわけにもいかなかった。


 優斗が一人になればまた、天久透子に何をされるかわからないからだ。それだけは避けたいので、芽衣には表面上、深すぎない仲でいてもらうのが一番だった。


(あとはこっちに天久先生の注意を引きつけないと)


 自分の机で考えに耽っていた蒼だが、そこにあまり面識のないクラスメイトの男子生徒がやってくる。


 男子生徒は最初、躊躇いがちに視線を泳がせていたが、そのうち蒼に向かってハッキリと声をかけた。


「……あの蛍原さん」


「なんだ?」


 蒼が身構える中、男子生徒は教室の外に指をさして告げる。


「ご、権田ごんだ晴翔はるとって人が呼んでるけど」


「晴翔が?」


 それから廊下に出た蒼は、晴翔の顔を目にするなり、非常階段の踊り場へと移動した。


 人に聞かれたくない話をするにはうってつけの場所だった。


「晴翔、停学は解けたのか?」


 蒼が真っ向から訊ねると、晴翔も当然のように答える。


「ああ、なんとか反省文で戻ることができた」


「反省文……」


「それはともかく、いったいどうなってるんだ? ありもしない喫煙で停学なんて……」


「ごめん、俺のせいだと思う」


「どういうことだ?」


「実は……」


 それから蒼は、ある仮定の話をした。

 

 優斗と恋人になったふりをしたことで、天久透子の怒りをかったこと。そして優斗の過去について調べたことで、天久透子が見せしめとして晴翔を停学にさせた——という話をすると、晴翔はなるほどと頷いた。


「ふうん……天久あまひさ先生ね」


「あいつを敵に回すと、厄介なことになるみたいだ」


「そうか……何か手伝えることがあれば、言ってくれ」


「また今回みたいなことになるかもしれないのに?」


「そう何度も停学にされてたまるか。次そんなことをすれば、俺も黙っちゃいないからな」


「ありがとう」


 礼を言う晴翔だが、そんな二人を見守る優斗の視線に、蒼は気づいてはいなかった。





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