第18話 眠れない夜(優斗)

 

 

 天久あまひさ透子とうこが家に来ると聞き、優斗は蒼の家に避難することになった。


 本当なら大人に相談して解決したいところだが、周りを懐柔する天久透子の手腕を知っているだけに、自分達でなんとかするしかないと思ったのだ。


 そんな事情で蒼のマンションにやってきた優斗は、おそるおそる蒼の私室に足を踏み入れる。


 頻繁に着替えを手伝うこともあって、見慣れている部屋だが、泊まるとなると心持ちも違っていた。

 

 そしてそんな優斗の傍ら、芽衣は慣れた様子で部屋の壁に上着をひっかける。


「お邪魔しまーす」


「芽衣は遅くなる前に帰れよ」


「なんで? 同じマンションだし、遅くなったところで怒る人もいないけど」


「だから……なんで芽衣の両親は俺をそこまで信用してるんだよ」


「信用っていうか、蒼のこと赤ちゃんだと思ってるみたいだよ」


「赤ちゃんってなんだよ」


「これ持って行くように言われたし」


「手土産がたまごボーロ!?」


「蒼が小さい時、好きだったでしょ?」


「俺は高校生だっつーの」


「あと、また男子に襲われないよう、防犯ブザー持ちなさいって言ってたよ」


「お前……俺が襲われたこと、親に言ったのか?」


「うん」


「ダメだ……カッコ悪すぎる」


 蒼が項垂れる中、優斗は苦笑して告げる。


「はは、それで……俺は今日どこで寝ればいいの?」


「そんなの、一緒に寝るに決まってるだろ」


「え」


 当然のように告げる蒼に、優斗が目を瞬かせていると——芽衣が仁王立ちで指摘する。


「ダメだよ、蒼。いくら優斗くんだからって……同じベッドで寝るのは」


「なんでダメなんだよ」


「万が一にも間違いがあるかもしれないじゃない?」


「んなわけあるかっ! 俺をなんだと思ってるんだ」


「男の子に人気の可愛い赤ちゃん?」


「……俺、なんか自信がなくなってきた」


「はは」


 優斗は思わず苦笑する。


 芽衣に対してあからさまな態度をとっているにも関わらず、蒼の気持ちは全く伝わっていないようだった。見ている優斗は面白いもの、少し気の毒にも思う。


山路やまじ、もうその辺にしてあげなよ」


「えー、でも面白いのに」


「お前……もしかして俺をからかってるのか?」


「私を仲間外れにするからでしょ」


「そんなに泊まりたかったのか? 泊まるなら、柏木かしわぎの家にしろよ」


千晶ちあきの家には泊まったことあるし」


「だからってここに泊まるのはダメだからな」


「なによ、ケチ」


「お前はホントに……頭の中はまだ小学生なのか?」


「甘えん坊の蒼に言われたくない」


 すかさず言い返す芽衣に、蒼が黙り込むと——ふいに優斗がぽつりと告げる。


「……やっぱりいいな」


「何がだよ」


「蒼や芽衣といると、天久先生のこと忘れられるんだ」


「忘れろ忘れろ」


「そうだよ! 天久先生なんて最初からいないと思わなきゃ!」


「そうだね……そうだよね」


「今日は蒼にいっぱい甘えなよ」


「俺は蛍原ほとはらみたいに甘えたりしないよ」


「でも、この間私には甘えてたじゃん」


「そういえば、そうだったね」


 芽衣を抱きしめた時のことを、優斗は思い出す。


 とても柔らかくて甘い香りがした芽衣。あの時は天久透子が恐ろしいあまり、芽衣にすがってしまったが、彼女でもない女子を抱きしめるのは、やはりよくないことだろう。


 そんな風に思っていると、まるで優斗の気持ちを見透かしたように蒼が告げる。


「まあ……お前だから、芽衣に甘えたこと許してやるよ」


「なんで蒼の許しがいるのよ」


「ごめん。あの時は、天久先生が怖くて……」


「大丈夫だよ、優斗くん。怖かったら、いつでも抱きしめてあげる」


 芽衣の言葉に、蒼は大きく瞠目する。


「な、な、な、なんだと!?」


「何よ」


「お前は……もうちょっと慎みを持てよ」


「仕方ないじゃない。優斗くんには落ち着ける場所が必要なんだから」


「だったら、俺が優斗を癒してやるから、お前はやめろ」


 血相を変える蒼を見て、優斗は思わず吹き出す。


 だが、あまりにも蒼が可哀相なので、優斗は芽衣の申し出を断ることにした。


「気持ちはうれしいけど……芽衣、やっぱり付き合ってもいないのに抱きあうのはよくないから……もうやめておくよ」


「優斗くん……そっか」


「それより今からみんなでイカのゲームでもする?」


「ごめん、私今から買ったばかりの乙女ゲーム攻略しなきゃいけないから、二人で遊んで」


「お前、うちに何しに来たんだよ」






 ***






蛍原ほとはら


 夜になり、蒼のベッドの脇に立っていた優斗が、何気なく声をかける。


 それまで背中を向けてベッドに寝転がっていた蒼が、優斗の方を向いた。


「なんだよ」


「ごめんね、気を遣わせて」


「別に……友達だったら助け合うのは当然のことだろ」


「でもこんなに迷惑をかけることになるなんて……」


「迷惑をかけられてるのはお前にじゃない。あの女にだよ」


「そうだけど……俺に関われば、これから先も大変なことになるかもしれない」


「だからなんだよ、友達をやめるってか?」


「……」


「お前が転校してきて、最初は気に食わなかったけど……お前、面白いやつだし。ちょっと変態に絡まれたくらいで大事な友達を見捨てるつもりはないからな」


「蛍原は……優しいね」


「もう、寝るぞ」


「うん。でも本当にいいの? 一緒のベッドに寝ても」


「当たり前だろ? なに気を遣ってんだよ」


 蒼の布団にもぐりこむと、爽やかなシャンプーの香りがした。


 すると、優斗は妙にそわそわして、落ち着かなくなる。


「やっぱり俺、床で寝ようかな」


「何言ってんだよ、今さら」


 しばらくすると、蒼の寝息が聞こえた。とても安心しきっている寝顔だ。


 だが優斗の方はというと、気味の悪い感情に流されて、不安になる。


 着替えを手伝う時はどうとも思わなかったはずだが、今は無性にその肌を確かめたくなった。


 優斗は蒼の顔の輪郭を人差し指でなぞると、そのまま喉元まで線を引いた。


 だが喉仏のどぼとけが動いたのを見て、慌てて手を引っ込める。


「俺、何やってるんだろう」


 優斗は情けなさいっぱいにため息を落とす。無防備な蒼を見ているのが苦痛だった。触れたいのに触れたくない——こんな感覚は初めてで、戸惑うしかなかった。

 


 ————そして結局、優斗はその日、まともに眠れなかった。



「おはよう、着替えさせてくれ」


 早朝に目を覚ました蒼が、同じベッドにいる優斗に声をかける。優斗はまだ眠い目をこすりながらも、しぶしぶ起き上がった。


「……おはよう」


「疲れてるように見えるけど、そんなにイビキがすごかったか?」


「はは……イビキかいてくれたら、もっと落ち着いて寝れたかも」


「どういう意味だよ」


 隣で眠る蒼が可愛かったなどと言えば、きっと不快に思うだろう。


 少しずつ芽生え始めている何かに、優斗は気づかないふりをする。


「やっぱり、他人と一緒に寝るのは落ち着かないみたいだ」


「それなら早く言えよ。俺のベッドはお前に譲って、親のベッドで寝るのに」


「最初からそうしてほしかったよ」





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