第16話 罠(優斗・芽衣)



 好きか嫌いかと言えば、二人のことは好きだと思った。


 だが、この好きの意味が優斗自身にもわからなかった。


蛍原ほとはら山路やまじ、ごめんね……いつも」


 放課後の暗くなりかけた住宅街で、優斗はとうとう、謝罪を口にする。


 どうしても謝らずにはいられなかった。


 それは先日、蒼が男子生徒に襲われた話だった。


 偶然見かけた芽衣が割り込まなければ、どうなっていただろう。


 優斗は考えただけでも恐ろしかった。

 

 だが蒼の方はというと、何もなかったように笑っていた。


「あー、そういうのはいらないから。普通にしてろ」


「蒼! なんでも言い方があるでしょ?」


 芽衣がたしなめるもの、蒼は軽い調子で告げる。


「だってこいつ、最近鬱陶しいし」


「蒼はもう……デリカシーに欠けるんだから」


「俺に芽衣基準のデリカシーを求めるなよ」


「はは、山路やまじの負けだね」


「デリカシーは勝ち負けじゃないよ!」


 二人のやりとりを見て、ホッとする反面、優斗は胸の奥が焼けつくような感じがした。


 芽衣も蒼も好きだった。だが、それ以上の気持ちがどちらかにあるのかもしれない。


 自分の気持ちがわからず曖昧な笑みを浮かべる優斗。


 そんな優斗を蒼が睨む。


「顔色が悪いな。体調悪いなら、さっさと帰るぞ」


「大丈夫だよ。山路やまじ蛍原ほとはらといると、自宅よりも安心する」


「まさかとは思うけど……自宅に突撃されたことがあるのか? あの女に」


「……うん、あるよ。一度だけ……」


「その時の話を聞いていいか?」


「うん。いいよ……つまらない話だけど」


「つまらないかどうかは、俺が決めることだ」


「本当に蒼は……優しいんだか横柄なんだか」


「優しいやつだと思われるほうが気持ち悪い」


 優斗が苦笑すると、蒼は続きを促すように優斗を見つめた。


 優斗は蒼の視線を避けるように下を向く。


「あいつがうちに来た時は……運がいいのか悪いのか、ちょうど家族がそろってる時だったんだ。うちには姉が三人いるって言っただろ? 姉さんたちが追い返してくれると思ったけど……それが、意外と気が合うみたいで、天久あまひさ先生のことを気に入ってさ。俺との結婚を許すって言ったんだよ」


「は!? 結婚!?」


 仰け反って大袈裟に驚く蒼の隣で、芽衣が冷静に訊ねる。


「ということは……あの先生、優斗くんの婚約者なの?」


 すると、優斗は考えたくもないといった様子で、苦い顔をする。


「……あいつはそう思ってるかもしれない。……けどあの時は、母さんが……天久先生がおかしいことに気づいて……家から追い出したんだ」


 優斗の言葉に、蒼は呆れた息を吐く。


「家まできて家族を懐柔するなんて、とんでもない教師だな。俺が初めて会った時は、恋に盲目的でコミュ力なさそうに見えたけど」


「あいつはそういうやつなんだ。大人を手玉にとるのが上手くて……前の学校では他の先生に助けを求めることもできなかった」


「友達は?」


「え?」


「優斗なら、友達くらいいただろう? 助けてくれなかったのか?」


「いたよ、確かに。友達と呼べるやつが……でも、クラスメイトの間に変な噂が広まって……信じてもらえなかったんだ」


「変な噂?」


「うん……俺があの女と……」


 話すうち、優斗は気持ち悪くなり、その場で口を押さえる。


 優斗の青い顔を見て、ただごとではないと思ったのだろう。蒼は優斗の背中をさすりながら声をかけた。


「おい、大丈夫か?」


「お、俺は、あいつと……」


「もういい、それ以上言わなくていい」


「けど……」


「お前は幸せなことだけ考えてろ」

 

 蒼が眉間を寄せて告げると、芽衣もそんな蒼に同調する。


「そうだよ。過去のことはもういいよ」


「ありがとう、蛍原ほとはら山路やまじ


「これはなかなか深刻そうだな」


 今にも倒れそうな優斗を見て、蒼は何かを決意するように鋭い眼差しで遠くを見つめていた。






 ***






「おはよう、千晶」


 翌朝。


 いつもよりも早くに登校した蒼と芽衣だったが——芽衣が廊下で声をかけるなり、千晶は瞠目する。


「芽衣! 蒼くん! 大丈夫?」


「何が?」


「掲示板見てないの?」


「掲示板?」


 慌てた様子の千晶に、芽衣と蒼は顔を見合わせる。

 

 まだ授業まで時間があるため、二人は掲示板を見に行くことにした。


 ――が。


「なに……これ」


 掲示板には見覚えのない写真が数枚、無造作に貼られていた。


 蒼が複数の男子生徒と揉み合っている写真で——それは先日、蒼が襲われかけた時の写真のようだった。が、どうやって撮ったのかは不明だが、まるで蒼が誘っているようにも見える。


 芽衣は嫌な予感がした。他者の目に触れないよう、写真を隠したい気持ちに駆られるもの、そんなわけにもいかず。黙って写真を見つめていると、そのうち一番見られて欲しくない人間が現れる。


「——これはどういうことですか?」


 突然現れた教頭に、芽衣は声を震わせて弁解した。


「ち、違います! ……これはコラージュ画像です!」


「恋愛を禁止しているわけではありませんが、こういう行為を神聖な学内でされるのは困りますね」


 嘲笑の笑みを浮かべる教頭に芽衣がゾッとしていると、今度は被写体の本人が瞠目しながら掲示板に近づいてくる。


「なんだよ、これ」


 蒼は掲示板を見るなり、きつく眉間を寄せていた。


「蒼!」


「おや、蛍原ほとはらくんじゃないですか。これはいったい、どういうことでしょうか?」


「なるほど、目的は写真だったのか。ふーん」


「蛍原くんには生徒指導室に来てもらいましょうか。それに、ご両親にも連絡させていただきます」


「やってみろよ」


「……なんですって?」


「うちの両親の逆鱗に触れるなんて、バカなやつだな」


「口を慎みなさい」


「あんたのほうこそ、脳みそに慎み持ったほうがいいんじゃないか? これを性的な目で見るなんて……汚れた大人の発想だろ?」


「どうやら、厳しい指導が必要そうですね」


「蒼!」


「お前は下がってろ。……悪いけど、売られた喧嘩を買ってやるよ」


 蒼が平然と言ってのける中、優斗もその場にやってくる。


 遅れて状況を理解する優斗だったが——優斗が何か言う前に、芽衣が優斗の袖を引いた。 


「優斗くん。行こう」


「山路?」


「蒼は私たちが巻き込まれることを望んでないから」


「でも、これも全部俺のせいで……」


「大丈夫、蒼の両親、すごいんだから」


山路やまじ蛍原ほとはらもどうしてそんなに強いの……」


 優斗は去ってゆく蒼の背中を見て、泣きそうな顔をしていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る