第13話 抱擁(芽衣)



 保健医を探すうち、ふと目に入ったのは、保健室の奥の部屋だった。


 カーテンを開けると、ベッドの脇には副担任と少年が立っており——その行為を見た瞬間、芽衣は思わず口を押さえる。


(あれって、副担任の先生と……優斗くん!?)


 突然のキスシーンに驚いて踵を返した芽衣だが、おそるおそる振り返る。


「優斗くん……泣いてる?」


 芽衣がその事実に気づいた時、副担任はゆっくりと優斗から唇を離した。


「ねぇ、優斗くん。もっと触れてもいい?」


 甘えた声で訊ねる副担任に、優斗は始終無言だった。


 だがそんな優斗の反応など気にせず、副担任は威圧的に告げる。


「いいわよね? 断ったらどうなるかわかってるわよね?」


「……」


 様子のおかしい優斗を見て、状況を察した芽衣は、とっさに彼らの間に割り込んでいた。


「——優斗くん!」


 芽衣が声をかけると、優斗は怯えた目を芽衣に向けた。見られたくなかったのだろう。だが声をかけずにはいられなかった。


 しかも優斗は震えていた。その弱りきった姿を見て、芽衣の中で怒りが湧いた。


 先ほどの行為が合意の上ではないことが、安易に想像できた。


 そしてそんな中、副担任の教師は芽衣に向かって訊ねる。


「あなた、誰?」


「生徒です」


「それはわかってるわよ。あなた、優斗くんの何なの?」


「優斗くん、行こう。授業が始まるよ」


「優斗くんは用事があるから、あなた一人で帰りなさい」

 

 この状況で堂々と告げる教師に、呆れた芽衣は優斗の手を引いた。


「優斗くん、行こう」


山路やまじ……」


「ちょっとあなた、なんなの? 優斗くんを連れて行くなんて許さないわよ」


「学業が本分の私たちに、授業以外優先するものはありませんから」


「大丈夫よ。優斗くんは私がちゃんと卒業させてあげるから」


「あなたの力を借りなくても、優斗くんは自分で卒業できるだけの能力を持っています」


「頭の悪い子ね。私に逆らったらどうなるかわかってるの?」


「さあ、どうなるんでしょうね。あなたこそ、今の話を聞かれたら困るんじゃないですか?」


「え?」


「今の話、録音させていただきました」


 芽衣がスマートフォンを見せつけると、副担任は唇を噛み締める。


「……生意気な子ね。いいわ、今回だけ見逃してあげる。でも次はないと思いなさいよ」


「優斗くん、行こう」


「……でも」


「行こう、優斗くん」


「……うん」


 芽衣は優斗の手を引いて、人のいない教室を探した。


 廊下を歩く間、優斗は一言も発しなかった。優斗が気まずく思っていることを察していたが、芽衣はその手を離すことなく、黙って空き教室を探した。


 そして授業中の教室をいくつも通り過ぎた芽衣たちは、そのうち蒼のクラスから近い空き教室を見つける。


「あ、ちょうどいいかも」


 ようやく無人の部屋を見つけた芽衣は、音楽室に入るなり、その場にしゃがみこんだ。


「……はあ」


「山路?」


「な、なんとかなって良かった……」


 本当は録音などしていなかった。だが思いつきで勝負に出た自分を、芽衣は誇らしくさえ思った。


 あのまま流されていれば、優斗はもっとひどいことをされていたに違いない。そんなことを考えると、今さらながら芽衣はゾッとしてしまう。


「大丈夫? 山路」


 考え込む芽衣に、優斗が心配の声をかける。優斗が傍にいることを思い出した芽衣は、慌てて立ち上がる。


「大丈夫じゃないのは優斗くんでしょ? 変な先生に目をつけられて……どうするの?」


「うん、ごめん」


「びっくりしたよ。だって——」


「うん……ごめん」


「優斗くんのせいじゃないよ」


「山路はすごいね」


「え?」


「今まで、あんな風に助けられたこと、なかったから……」


「そりゃ、友達だし。泣いてる優斗くんをスルーなんて出来ないよ」


「ごめん」


「だから、謝らないで。……でもこれからどうしよう。あの先生、優斗くんのこと気に入っちゃったみたいだから……またあんなことするんじゃない?」


「あんなこと……」


「あ、ごめん! デリカシーなかったよね」


「ううん。山路と喋ってたら、気持ちが楽になったよ」


「……そう?」


「うん。山路、ちょっといい?」


「何が?」


 瞠目する芽衣に、優斗はゆっくり手を伸ばす。


 そして気づくと芽衣は、優斗に抱き竦められていた。


「ちょっとだけ、このままでいさせて?」


「え、え、えっと……」 


 優斗に抱きしめられても、芽衣は不思議と嫌な気持ちはしなかった。


 そして優斗は、その場で泣いた。


 教室の外に、蒼がいるとも知らずに——。 






 ***






 帰り道、優斗はすっかりいつも通りだった。


 夕焼けに照らされた横顔は、まるで何もなかったような顔をしており、芽衣は少しだけ安心する。


 そしてそんな芽衣の内心をわかっているのだろう、優斗は住宅街を歩きながら、努めて明るい口調で告げる。


「山路は歴史苦手だよね」


「だって、覚えること多すぎじゃない? 蒼も歴史は苦手なんだよね? ――って、蒼?」


 優斗とは違い、いつになく暗い顔で俯いてる蒼に、芽衣は何度も声をかける。


「ねぇ、蒼、聞いてる? あ、お、い!」


 すると、蒼は不貞腐れた顔を芽衣に向けた。


「なんだよ」


「もう、なんでそんなに機嫌悪いの?」


「……別に」


「今日はこの後どうする?」


「……お前たち二人でどうとでもしろよ」


「なによ。何拗ねてるの?」


「お前たちが……」


「なによ」


「お前たちが付き合ったら、俺はどうなるんだよ」


「は? なんのこと? どうして私が優斗くんと付き合うの?」


「誤魔化しても無駄だからな。俺は見たんだ。お前たちが抱き合ってるところ」


「……は?」


 一瞬、蒼が言った意味がわからず、芽衣は目を瞬かせていたが。


「あー!」


 優斗との出来事を思い出して、芽衣は声をあげた。


 おそらく、副担任と言い合った後、音楽室で優斗を慰めていたところを蒼が見たのだろう。芽衣は今さらながら恥ずかしい気持ちになり、慌てて否定する。


「蒼、それは違うよ」 


「違う? 何がだよ?」


「……えっと、どうしよう」


 優斗が副担任にされたことを言うわけにはいかず、芽衣が狼狽えていると、優斗が説明した。


「またあの女に捕まったところを、芽衣が助けてくれたんだよ」


「あの女?」


 蒼が訊き返すと、優斗は苦笑して告げる。


「この間、蒼が撃退してくれた女の人」


「そういえば、校内であの女を見た」


「うちのクラスの新しい副担任だって」


「マジかよ。で、それと芽衣とのこと、なんの繋がりがあるんだ?」


「恥ずかしい話だけど、あの女にビビッてた俺を落ち着かせてくれたんだ」


「ふうん」


「そうだよ。優斗くんとは、付き合ってないよ」


「だから、蛍原ほとはらが心配することなんて何もないよ」


「……そうなのか?」


 優斗の言葉に、蒼は顔を輝かせる。まるで花が開いたように嬉しそうな笑みをこぼす蒼を見て、芽衣は首を傾げた。


「そもそも、蒼は何を心配してるの?」


「芽衣は知らなくていいんだよ」


「何よそれ」

 

 笑顔になった蒼の傍ら、優斗は真顔で街並みを見つめていた。








 

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