第12話 副担任(優斗・芽衣)



『こんな時間にごめんね、電話して』


 スマートフォンから聞こえたのは、芽衣の声だった。


 自室で電話を受けた優斗は、頭を掻きながらしどろもどろ告げる。


「大丈夫だけど……でもどうしたの?」


『メッセージでも良かったけど、気になったから電話にしたの。優斗くん、大丈夫だった? 帰り道で倒れたりしなかった?』


 授業直前に倒れた優斗のことを心配してわざわざ電話をくれた芽衣だった。


 ずっと心配してくれていたのだろう。申し訳ないと思うもの、その優しさが優斗は嬉しかった。


「うん。あれからとくに何もなかったし、明日は普通に学校行けると思う」


『……そっか。それなら良かった。あおいに聞いても何も言わないんだから……』


「蒼……そっか」


 優斗は帰り道の住宅街で、蒼に言われたことを思い出す。



 ————今日のことは俺たちの秘密な?



 中学時代の知り合いに遭遇した時、咄嗟に機転をきかせて恋人のふりをしてくれた蒼には、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 その時のことを芽衣が知ったらどんな風に思うだろう。なにより、これ以上余計な心配もかけたくない——そう思うと、余計なことは言えず。


 だから優斗は、蒼が言うように秘密にしておくことに決めた。


『——どうしたの? 優斗くん』


「え?」


『急に黙っちゃって』


「ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた。それより、明日だけど……」


『蒼のところは無理に行かなくても大丈夫だよ?』


「いや、行くよ。フレンチトースト作る約束してるし」


『あはは、優斗くんは律儀だね』


「良かったら、芽衣も食べてよ」


『え? いいの?』


「ああ。どうせなら、たくさん作るから」


『それは楽しみ! でもまた調子悪くなりそうだったら言ってね?』


「うん。ありがとう」


『じゃあ、またね』 


「うん、また明日」


(……山路の声を聞くとほっとする)






 ***






「で? 今度はパン買うの忘れたって?」


 翌朝。


 いつものように蒼のマンションを訪れた優斗だったが、フレンチトーストを作ろうにも材料が足りず、平謝りしていた。


 しっかり者だと思われることが多い優斗だが、実のところは忘れっぽい性格だった。


「ごめん、牛乳と卵は買ってあるから、明日こそ作るよ」


 優斗が手を合わせて告げると、ベッドに座る蒼は呆れたように息を吐く。


「もう何回、それ聞いたっけ」


「だからごめんって」


「でもま、無理はするなよ」


「え?」


「また元カノの襲撃があったら、俺を呼べよ」


「……ありがとう」


「まあ、深くは聞かないけどな。どうせ、上手く別れられなかったんだろ」


「……そうだね。上手く別れられたら良かったんだけど」


「モテる男は辛いよな。お前の気持ちは、俺にもよくわかる——女とは付き合ったことないけど」


「え」


「なんだよ」


「いや、だって蛍原ほとはらなら……捨てた女の一人や二人いそうな雰囲気だから」


「人聞きの悪いことを言うな。俺は芽衣ひと筋なんだよ」


「じゃあ、もしかして蛍原って……」


「なんだよ」


「やっぱいい。ほら、着替え終わったよ」


 それから優斗と蒼は、芽衣のいるリビングへと移動する。


「芽衣、食べさせて」


 テーブルにつくなり、口を開けて待機する蒼を見て、芽衣は煩わしそうな顔をしていた。


「……そんなに食べさせてほしいでちゅか?」


「なんだよ、その言い方」


「蒼ちゃんは赤ちゃんでちゅね。はい、あーん」


「……やめろよ。なんだよ」


「赤ちゃん扱いがイヤなら、自分で食べてよ」


「芽衣はそんなに俺のことが嫌いなのか?」


「そういうわけじゃないよ。でも本当に、そろそろこういうのやめようよ」


「わかった。じゃあ、優斗にしてもらうから」


「え?」


「ほら、食べさせろ……」


 不貞腐れた蒼が、優斗の前で口を開ける。


 ヤケになった蒼を見て、芽衣は呆れているようだったが、優斗はいつもの笑顔で蒼の口にスプーンを放り込んだ。


「うーん」


「何よ」


「やっぱり芽衣がいい」


「優斗くんに食べさせてもらっておいて、それはないでしょ」






 ***






「おはよ、芽衣。今日も疲れてるわね」


「もう、聞いてよ千晶」

 

 朝から千晶に愚痴をこぼしたい芽衣だったが、始業ギリギリに滑りこんだこともあって、担任が来るのも早かった。


「チャイム鳴ったわよ。早く席に着きなさい」


「芽衣、またあとでね」


「うん」


 芽衣が着席して前を向くなり、担任の女性教師は朝のホームルームを始めた。


「今日から副担任が産休に入るので、新しい先生に来てもらいました。天久あまひさ透子とうこ先生です。先生、自己紹介をお願いします」


 担任が紹介したのは、新しい副担任だった。


 教壇の横に立つ眼鏡の女性はにこやかに挨拶をする。


「おはようございます、皆さん。今日からこのクラスの副担任を務めることになりました、天久あまひさ透子とうこです。皆さんの楽しい学生生活を手助けさせてくださいね」


「……あれ、あの先生ってどこかで見たような……」


 芽衣が呟く傍ら、ナナメ前の席にいた優斗が持っていたシャーペンを落とした。






***






「おい、芽衣」


 休み時間になり、芽衣の教室は穏やかな喧騒に包まれていた。


 そんな中、血相を変えてやってきた蒼に、芽衣は首を傾げる。 


「どうしたの?  蒼」


「優斗はどうした?」


「あれ? さっきまで教室にいたのに」


「優斗くんなら、新しい副担任の先生に呼ばれて出ていったよ」

 

 千晶が説明すると、蒼は考えるそぶりを見せる。


「……」


「蒼、どうしたの? 怖い顔して」


「優斗のやつ、どこに行ったかわかるか?」


 蒼はただごとならぬ雰囲気でそう訊ねるが、千晶はかぶりを振った。


「そこまでは知らないけど。何? 急ぎの用事?」


「いや、知らないならいい」


 それから蒼は焦った様子で、教室を出ていった。


 そんな時、芽衣は思い出したように目を瞬かせる。


「あ、そうだ! 私、保健室にプリント持って行かなきゃ」


「もうそんなに時間ないよ?」


「早く提出しなきゃいけない調査票なんだ。ちょっと行ってくる」


 千晶のやれやれという呟きを聞き流しながら、芽衣は保健室に向かった。


 芽衣のクラスの真下にある教室が保健室だった。


 芽衣は慌てて保健室に駆け込むもの、担当の先生はおらず。


 帰ろうとした瞬間、声が聞こえて振り返る。


「先生、奥にいるのかな?」


 視界を遮る白いカーテンをそっと開いて、芽衣はベッドのある奥の部屋へと進んだ。


 するとそこには、新しい副担任の教師と口づけを交わす優斗の姿があった。







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