第11話 会ってはいけない人(優斗)



「とうとう、あいつに見つかった」


 絶対に、会えない場所まで逃げたはずなのに。


「あいつ……俺を見つけやがった」


 地元を離れれば、もう会うこともないと思っていた。


 だが、天久あまひさ透子とうこは追いかけてきた。


 ショッピングモールで会った彼女を思い出すと、鳥肌が立った。


 甘ったるい声に、とろりとした視線。全てが気持ち悪く、優斗は吐きそうになる。


 それよりも、自分の過去が芽衣や蒼に知れたらと思うと、気が気でなかった。




 芽衣が保健室を去った後、優斗は白いベッドに座って項垂れる。


 このあと授業に出るつもりだったが、気持ちは沈んだままだった。


 優斗が倒れた理由は、おそらく担任が彼女と同じピンク色のジャージを着ていたからだ。


 ピンク色のジャージは、天久あまひさ透子とうこが好んで着ていた。


 優斗が憂鬱な息を吐く中、保健室のドアがガラガラと音を立てて開く。


「——おい」


 咄嗟に優斗が視線を上げると、入口には蒼の姿があった。

  

蛍原ほとはら?」


「大丈夫か?」


「どうしてここに?」


「芽衣から聞いた。お前、倒れたんだって?」


「うん。ちょっと気分が悪くなって」


「そうか。なら、しっかり休め。もし帰るなら、俺が送ってく」


「ありがとう。蛍原は優しいね」


「当然だろ」


「友達は……いいよね」


「?」






 ***






「山路を置いてきて良かったの?」


 陽が落ちかけた住宅街。


 珍しく蒼と二人きりで帰っていた優斗は、何気なく訊ねた。


「芽衣は日直があるんだと」


「じゃあ、待ったほうが良かったかな?」


「体調が悪い時にまで、気を回す必要ないだろ?」


「蛍原は意外と冷静なんだね」


「別に、普通だろ」


「蛍原は山路が好きなんだよね?」


「悪いかよ」


「どうして好きなの?」


「は?」


「一人の女の子とべったりなんて、面倒じゃない?」


「お前は芽衣と一緒にいるのが面倒なのか?」


「ううん。そうでもない」


「何が言いたいんだよ」


「恋愛なんて、する必要がわからないよ。……どうして友達じゃダメなの?」


「へぇ……意外とガキなんだな」


「恋愛なんてしたくないから、ガキでいい」


「そうか。それを聞いて安心した」


「何が?」


「芽衣を好きになるのは俺一人でじゅうぶんだから。邪魔すんなよ」


「邪魔はしないって言っただろ」


「でも恋なんて、どこで落ちるかわからないしな。約束破ったら絶交だからな」


「蛍原こそ、子供みたいだ」


「俺はお前より大人だ」


「あーあ、こんな時間がずっと続けばいいのに」


「安心しろ、芽衣と付き合うようになったとしても、お前を除け者にするつもりはないから」


「蛍原はやっぱり優しいな……でも、俺のことを知っても、優しくしてくれるかな」


「?」


 優斗の意味深な言葉に、蒼は立ち止まる。


 そんな時だった。


「——見つけた! 優斗くん」


 ひと回りほど年上に見える女性が目の前に現れたかと思えば、優斗の名を呼んだ。


 途端に、その場で固まる優斗。


 そんな優斗と女性を見比べて、蒼は眉間を寄せた。


「あいつは、この間ショッピングモールにいたやつだな」


 蒼の言葉に、優斗はゆっくりと頷いた。


 今日は大きな丸い眼鏡をかけていた。彼女のトレードマークだ。だが蒼にはすぐわかったらしい。


 優斗が立ち竦んでいると、彼女は距離を詰めて言った。


「優斗くん、この辺に住んでるんでしょ?」


「……どうして」


 優斗にとって、この世で最も見たくない顔だった。 


 震えが止まらなくなった優斗は、どうしてと繰り返し呟く。


 そしてそんな優斗を、蒼がじっと見ていた。


 なんでもない風を装いたくても、体が動かなかった。


 蒼の視線から逃げる中、思い出したくもないことが、優斗の脳裏をよぎった。




『——皆には内緒ね……わかってるわよね?』


 今よりも少し若い彼女が、念を押してくる。


 彼女の言うことを聞くしかなかった時代。


 優斗は、懇願するように告げる。


『うん……でも、あいつのこと……』


『ええ、あなたがこうやって私の元に来てくれるなら、あの子がちゃんと卒業できるようにしてあげる』


『……』


 カーテンを閉め切った密室。彼女は授業中などおかまいなしに優斗を呼びつけては、そっと触れてきた。


『やっぱりあなたはキレイね。ずっと私の物でいなさい』




 ずっと頭の奥底に沈めていた記憶に、優斗は吐き気が止まらなくなる。


(せめて蛍原がいない時なら良かったのに)


 蒼も今の状況をおかしいと思っているに違いない。


 こんな醜態、見せたくはなかった。


 しかも身勝手な彼女は、優斗の内心を知ってか知らずか、マイペースに告げる。


「ねぇ、住んでる部屋に連れて行ってよ。また仲良くしましょう」


 もう限界だった。


 今にも気を失いそうな優斗は、蒼がいる手前、意識を保つのが精一杯だった。


 だがそんな時、ふいに蒼が口を開く。


「——おい、あんた」


「何よ」


「悪いけど、優斗から離れてくれない?」


「なんなのよ、あなた。私と優斗くんのこと邪魔しないでくれる?」


「あんたのほうこそ邪魔なんだよ」


「……蛍原」


 本当は、彼女に蒼を会わせたくはなかった。

 

 だが声が出なかった。動くことも出来ない。前と同じことを繰り返すのだけはイヤだと思いながらも、何もできず。


 ただ蒼と彼女のやりとりを見ているしかなかった。


 しかも彼女は少し苛立っている様子だ。何をするかわからない彼女をこのまま蒼と関わらせたくなかったが、彼女を止めることもできなかった。


「ただの友達のくせに、優斗くんを独り占めできると思ってるの? 優斗くんのこと何も知らないくせに」


「は? 何言ってるんだ? この女。頭おかしいな——あんたこそ、今のこいつのこと何も知らないでしょ? 俺なら全部知ってるよ。だって、優斗は俺の恋人だから」


「……は?」


「な、優斗。俺たち、すっごいラブラブだもんな」


 何かを察した蒼が、彼女に宣戦布告をした。


 そして蒼は『俺に合わせろよ』とだけ、優斗に囁く。


 蒼の言葉を聞いた彼女が、ショックを受けているのは明らかだった。


「う、嘘……だって、優斗くんは私と……」


「あんた、過去の女だろ? 悪いけど、今は俺のだから、邪魔しないでくれる?」


「……とりあえず、今日は帰るわ。でも、また来るから」


 すっかり動揺した彼女は、そのまま足早に去っていった。


「大丈夫か? 優斗」


「……う、ああ」


「さっきのやつ、お前の元カノか? すごい趣味の悪さだな」


「はは、だろ? 俺もそう思う」

 

 優斗が必死で振り絞った言葉がそれだった。


 だが、いつもと違う優斗の様子に気づいているのだろう。


 蒼は怪訝な顔をする。


「無理すんなよ」


「……ああ、もちろん」


「今日のことは俺たちの秘密な?」


 蒼が小さな声で耳打ちした。


 その瞬間、優斗の胸の奥が微かに疼いた。 







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