第10話 意識、無意識(芽衣)



「早く起きなよ、あおい


 芽衣は寝ている蒼の肩を揺さぶる。


 すると、蒼は眠い目をこすりながら、ゆっくりとパジャマの身を起こした。


「眠い……優斗は?」


「今日は調子が悪いから、あとから来るって。それより早くしないと遅刻するよ」


 蒼と二人きりの朝。


 優斗が転校してくるまでは、当たり前の生活だったが、今日は妙に落ち着かなかった。


 二人きりというのが、久しぶりだからだろう。


 この後、蒼が出す指示もわかっていたが、芽衣は早々に立ち去ろうとする。蒼の言うことばかり聞いてはいけない気がしたからだ。


 だが、芽衣が身を翻した瞬間——。


「芽衣、着替えさせて」


 案の定、蒼は言った。


 変わらないはずの日常。だが確かに、芽衣の何かが変わり始めていた。


「……今日は無理だよ」


「なんで?」


「なんでって……もう時間ないし。さっさと自分で着替えなよ」


「芽衣、なんで俺を見ないの?」


「……ちょっと考え事してただけ」


「……もしかして」


「え?」


「俺のこと、イヤになった?」


「そ、そんなこと……」


「芽衣は優斗が好きだもんな」


「違うよ、蒼のこと嫌いになったわけじゃない」


「なら、どうしてそんな顔してるの?」


「そんな顔って……どんな顔?」


「あ、こっち見た」


 目が合うなり、嬉しそうに笑う蒼に、芽衣は苦笑する。


「着替え、お願い」


「……わかったよ」


 とうとう折れた芽衣は、蒼に慎重に触れた。


 芽衣よりも大きい肩、腕、背中……いつの間に蒼と芽衣は違うものになってしまったのだろう。ついこの間までは、ほとんど何も変わらなかったはずだった。


「ほら、終わったよ」


 少しだけ早くなった鼓動を落ち着かせながら、芽衣はなんでもない風を装う。


 すると、蒼は自分の制服をチェックしながら、ぽつりと告げる。


「やっぱり、優斗がいいかもな」


「蒼は優斗くんのこと好きだよね」 


「そうじゃない」


「でも実際、そうでしょ?」


「芽衣に触れられると、ドキドキするから……なんて言えないだろ」


「今、なんて言ったの?」


「何も言ってない」


「うそ、何か言ったよね? 優斗くんのほうが、良かったと思ったんじゃない?」


「違うよ」


「もうわかったから、早く学校行くよ」


「何もわかってないだろ。芽衣はそうやってすぐ自己完結する」


「もう、何が不服なの?」


「俺ばっかり好きで、困ってるんだよ」


「ほら、やっぱり優斗くんのこと好きなんじゃない」


「だからなんでそこで優斗が出てくるんだよ」


「あ、ヤバい! ほんとに遅刻するから行くよ!」






 ***






「なんとか間に合った……」


 芽衣のクラスはまだ担任が来ていないようだった。

 

 蒼と話し込んでいたせいで遅くはなったもの、なんとか始業前に滑り込むことができて、芽衣は大きく息を吐く。


「ギリ間に合ったね、芽衣」


 千晶の言葉に芽衣は微笑むが、傍に立つ優斗を見て、目を丸くする。


「おはよう、山路」


「あれ? 優斗くん、遅れるって言ってなかった?」


「うん、具合悪いの治ったから、慌てて登校したんだ」


「え? 本当に大丈夫なの? 調子悪くなったら、いつでも言いなよ?」


 芽衣が念を押すと、優斗は苦笑する。


 その傍ら、千晶が芽衣に訊ねる。


「じゃあ、今日は芽衣が蒼くんを連れてきたの?」


「そうだよ。着替えさせるの久しぶりだったから、なんか違和感あったよ」


「へぇ……違和感?」


「そうだよ。蒼も、やっぱり私じゃイヤだったみたいだし」


「そんなわけないでしょ。蒼くん、いつも芽衣にべったりじゃん」


「それはもう、昔の話だよ。最近は優斗くんにべったりなんだから」


「あー、でも蒼くんの気持ちわかるかも」


「へ?」


「だって、好きな人のこと意識するでしょ、やっぱり——」


 千晶が言いかけた時、教室のドアが開いた。


 教壇にやってきたのは、ピンクのジャージを着た担任の女性教師だった。


「こら、席に着きなさい。もうチャイムは鳴ったんだからね」


「あ、担任が来た」


 慌てて退散する千晶を見て、苦笑する芽衣だが。


 女性教師を目にするなり、優斗の顔色が変わった。


「優斗くん?」


 芽衣が心配して優斗の顔を覗き込む中、担任は急かすように告げる。


「ほら、仲間くんも早く席に着いて」


「あ……あ……」


「優斗くん?」


 優斗の異変に気づいた芽衣は首を傾げるが——そのうち体を揺らし始めた優斗の腕を芽衣が掴んだ。


「優斗くん大丈夫?」


「……だい……じょう……ぶ」


「優斗くん!」


 そしてとうとう、優斗は倒れたのだった。

 





 *** 






 千晶の手を借りて、倒れた優斗を保健室に運んだ芽衣は、そのまま授業には参加せず、優斗を傍で見守った。


 しかも担任の話によると、優斗の家族に連絡がつかないと言う。


 芽衣が優斗をどうするか悩んでいると、それから優斗は一時間ほどで目を覚ました。


「大丈夫? 優斗くん」


「ここは?」


「保健室だよ。優斗くん、いきなり倒れたんだから……」


「……ごめん」


「何を謝るの? それより、今日はもう帰ったほうが良くない? 調子悪いんでしょ?」


「ううん……ちょっと嫌なことを思い出しただけだから。授業には出るよ」


「無理しないほうがいいよ」


「ありがとう」


「本当に早退しなくて大丈夫?」


「うん。芽衣は心配症だな。こんなとこ、蒼が見たら怒るかも」


「今の優斗くんを見たら、誰だって心配するよ! それに蒼だってきっと心配するし」


「今日は着替え手伝えなくてごめん」


「謝る必要なんてないよ。蒼のワガママを聞いてたらキリがないし。そろそろ自分で着替えるようにしてもらおうよ」


「……そう、だね」


「――なんて、私が蒼のワガママを助長してるようなものだけどね。結局、手伝っちゃったし。でも蒼は、優斗くんが良かったみたいだよ」


「え? ほんとに?」


「うん……私が着替え手伝うの久しぶりだったから、なんだか変な空気になっちゃった」


「……それって、意識してるってことだよね」


「意識?」


「うん。芽衣が蒼を男だと認識し始めたんだよ、きっと」


「蒼が男の子だって、わかってるよ」


「……恋愛なんて、しなくていいのに」


「え? 何か言った?」


「恋愛なんて、気持ち悪いだけなのに」


「優斗くん?」










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る