第9話 言ってはいけない言葉(蒼・芽衣)



優斗ゆうとくんのことを助けるなんて、いいとこあるね」


 ショッピングモールに現れた、ひと回りは年上であろう女性。

 

 彼女はしきりに優斗に話しかけていたが、優斗の方は青い顔をしていた。


 そんな優斗の異変を察知した蒼が、助け船を出したことで、女性からは逃げられたのだが——。


「口に出して言うなよ」


 あえて女性について触れないでいた蒼だが、何も考えていない芽衣に、視線で合図を送る。


 だが芽衣はよくわかっていない様子で目を瞬かせており、蒼は頭を抱えた。


 すると、蒼の気遣いに気づいたのだろう。優斗がやや暗い顔で告げる。


「ごめん……山路やまじ蛍原ほとはら


「謝ることなんて何もないだろ。俺はむしょうに映画が見たくなったんだよ」


「じゃあ、せっかくだから映画でも見る? ……優斗くんは見たい映画とかある?」


 切り替えの早い芽衣のおかげで暗い空気が霧散する。こういう時は、鈍感も良いものだと蒼は思う。


「そうだな。ゾンビものが流行ってるって聞いたけど」


「え」


 ゾンビと聞いて、みるみる青ざめる蒼に、芽衣は苦笑する。


「あー、ごめんね、優斗くん。蒼はホラーが苦手なんだ」


「え? そうなの?」


「べ、別にゾンビくらいどうってことないし」


「じゃあ、あっちのアニメにする?」


 虚勢を張る蒼を見て、気を遣う芽衣だったが、それが余計だった。


「平気だって言ってるだろ」


「本当に?」


「ああ、今日はゾンビが見たい気分なんだ」


「どんな気分だよ」


 今まで陰気な顔をしていた優斗がとうとう破顔した。


 ようやく緊張感が解けた様子を見て、蒼が安堵する傍ら、優斗は嬉しそうに告げる。


「じゃあ、蒼もこう言ってることだし、ゾンビにしよう」


「……知らないよ?」


「だから、大丈夫だ!」


 そしてショッピングモール内の映画館フロアに移動した三人は、さっそくゾンビ映画のチケットを購入する。

 

 平日の館内は人がまばらで、三人は蒼を真ん中にして座った。




『ツクツクボーシ』


 画面いっぱいに現れた土色の人間。それらは、奇妙な言葉を口走りながら、巻き髪の女性に襲いかかった。


『いや、来ないで!』


『ツクツクボーシ』


 土色の人間から逃げ惑う女性の手を、スーツの男性が掴んだ。


 女性は一瞬、肩を震わせるが、相手がゾンビじゃないとわかって安堵した顔をする。


『マリアンヌ様、こちらです』


『あなたはセバスチャン?』


『マリアンヌ様、もう怖いものなどありませんよ——ぐはっ』

 

 逃げ出す前に、ゾンビに噛まれるセバスチャン。


 ゾンビを振り払って逃げる二人だったが、途中でセバスチャンは足を止めた。

 

『セバスチャン!?』


『お逃げください。私がゾンビになる前に』


『でも、セバスチャンを置いていくなんてできないわ』


『マリアンヌ様、いけません!』


 セバスチャンの必死の懇願によって、マリアンヌは考えを改める。


 逃げるなら今しかなかった。


『セバスチャン……わかったわ。あとから必ず追いついてよ』


『ええ、私が帰った暁には、結婚しましょう』


『イヤよ』


『え』


『だってあなた——きゃああああ!』


『マリアンヌ様ぁあああああ』


 お喋りが長すぎたのだろう。追いついたゾンビたちがマリアンヌたちに群がった。


 そんな身も凍るシーンで思わず顔をそむける芽衣。


 蒼は最初から目すら開けていなかった。


「蒼……見ないの?」


「見てる」


「目、開いてないけど」


「今ちょっと閉じてるだけだ」


「今じゃないでしょ? ずっとでしょ?」


「蛍原、山路、静かに。他にも映画見てる人いるし」


「ごめんなさい」


 それから映画館を出た三人は、ショッピングモール内のレストランに入った。フランチャイズのファミリーレストランだけあって、中は騒がしかったが、ゾンビ映画の後ということで、その騒がしさが落ち着いた。


「あー、面白かった」


 蒼の隣に座った芽衣は、なんだかんだ映画を楽しめた様子だった。


 向かいに座る優斗も伸びをしながら、清々しい顔で告げる。


「面白かったね。とくにマリアンヌがマシンガンでゾンビを破壊した時は、スカッとしたよ」


「最初からマリアンヌ様が覚醒してたら、あんな被害もなかったのにね」


「お前たち、なんの話してるんだよ」


「さっきの映画の話だけど?」


「蒼は少しも見なかったの?」


「……ちょっと見たかもしれない」


「かもしれないって何よ。本当はちょっとも見てないでしょ?」


「……」


「まあまあ、山路。人間だから苦手なものくらいあるだろうし……」


「仕方ないな。次ホラーを見る時は手を握ってあげるよ」


 芽衣がそんなことを告げると、蒼は珍しく素直に頷いた。


「うん」


 少しだけ嬉しそうな顔をする蒼を見て、芽衣は目を泳がせる。まさか本気にするとは思っていなかったのだろう。


「……冗談なんだけど」


「なんだよ、それ」


「むしろイヤじゃない? 女の子に手を握ってもらいながらホラーを見るなんて」


「イヤじゃない。嬉しい」


「じゃあ、俺も手を繋いでやるよ」


「お前はいい」






 ***






「久しぶりの二人きりだね」


 ショッピングモールで食事をしたあと、優斗は「もう遅いから」と芽衣たちに先に帰るよう促した。


 優斗はスニーカーをじっくり選びたいらしく、芽衣たちも遠慮して先に帰ることにしたのだった。


 街並みはすっかり暗く、芽衣は街灯に照らされた足元を見つめながら歩いた。


 すると、ふと蒼が口を開く。


「……芽衣は」


「ん?」


「芽衣は、優斗のことが好きなのか?」


「好きだよ」


「やっぱり」


「だって、優斗くんは私や蒼のこと守ってくれるし」


「俺が……頼りなくてごめん」


「頼りないなんて、そんなこと思ってないよ? 私は蒼のことも——」


 ————好きだよ、と言うつもりが、なぜか言葉が出なかった。


 以前なら芽衣が普通に言っていたことだが、なぜか今は言ってはいけない言葉のような怖さを感じて、言葉が出なかった。


 すると、そんな芽衣の反応をどう捉えたのか、蒼は暗い顔をして告げる。


「……俺は邪魔か?」


「いきなりどうしたの?」


「きっと優斗も芽衣のこと好きだから」


「ずっと一緒にいるってことは、嫌いじゃないとは思うよ」


「そうじゃなくて……」


「どうしたの蒼? なんか変だよ」


「俺は芽衣のことが好きなんだ」


「うん、わかってるよ」


「わかってない。俺の言う好きは——」


 と、蒼が言いかけた時。


「蛍原! 山路!」


「あ、優斗くん」


 芽衣たちの後ろから、優斗がやってきた。


「まだ帰ってなかったんだ?」


 慌てて駆け寄ってきた優斗に、芽衣は安堵の笑みを浮かべる。


「うん、ちょっとお喋りしてて」


「そっか……どうかしたのか? 蒼」


「別に」


 いつにも増して不満そうな顔をする蒼に、芽衣と優斗は顔を見合わせた。





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