第8話 見知らぬ女性(芽衣)




 優斗ゆうとと一緒にいるようになり、最初は拒絶ばかりだった幼馴染のあおいが少しずつ笑うようになった。


 蒼はまるで固い雪が溶けるように、目に見えて優斗に優しくなっていった。


 そんな風に変わってゆく蒼が、芽衣は嬉しい反面、少しだけ寂しい気もした。


 ずっと蒼に甘えられることが当たり前になっていたせいだろう。今では優斗が蒼の着替えを手伝うことが日常と化していた。

 



「優斗」


 いつの間にか、優斗のことを名前で呼ぶようになった蒼は、当たり前のようにパジャマの右手を差し出す。


 すると、優斗は優しい笑みを浮かべて、その手からパジャマの袖を引いた。


「わかった。着替えだな」


「さっさとしろよ」


「はいはい、王様。すぐにお手伝いしますよ」


「お前、よくやるよな」


「なんだよ、今さら」


「いや、だって俺だったら友達の着替え手伝うとかないわ」


「でも、今まで山路もやってきただろ? 俺がしても変わらないだろ」


「芽衣は特別なんだよ」


「わかってるよ。俺は邪魔しないから」


「わかればいい……ていうか、なんで芽衣が見てるんだよ」


 ドアの隙間から一部始終を見ていた芽衣は、蒼に見つかるなり苦笑する。そして蒼の元へと足を進めた。


「だって、仲良くて微笑ましいから」


「どうせこっちに来るなら、芽衣が着替えさせてよ」


「あー、俺に手伝わせといて、そんなこと言うんだ?」


「はいはい、ありがとうございます」


「蒼はすっかり素直になったよね」


「何がだよ」


「優斗くんにずっと冷たかったのに」


「今も優斗に優しいつもりはないけど」


「えー、クラスメイトに対する態度より、百倍優しいじゃん」


「言ってろ。それより、ご飯は?」


「王様のために、素晴らしい朝食をご用意いたしました」


 うやうやしく頭を下げる芽衣を見て、蒼はムッとした顔をする。


「なんだよ、その言い方」


 すると、優斗も小さく笑いながら指摘する。


「蒼は猫の王様みたいだよね」


「はあ? なんで猫なんだよ」


「気まぐれだし、甘えん坊だから」


「……」


「じゃあ、食べよっか」


 それからリビングに移動した芽衣たちは、それぞれ向かいあってテーブルに座った。


「ねぇ、ご飯食べさせて芽衣」


 優斗の存在も気にせず甘えに走る蒼に、芽衣がうんざりしていると、優斗が口を挟む。


「俺が食べさせてやるよ。あーん」


「だからお前じゃないんだよ」


「着替えは許しても、食事は許さないんだ?」


「……芽衣が食べさせてくれないなら、自分で食べる」


「最初からそうするべきだな」


 優斗が呆れたように言うと、気恥ずかしくなったのだろう。蒼は無言で食事をかきこんだのだった。






 ***






「テスト終わったね」


 学校帰り。


 赤焼けに包まれた住宅街を一緒に歩く優斗に、芽衣が話しかける。


 すると、優斗はやや疲れた様子で答える。


「なんとか埋められたけど、半分くらい自信ないよ」


「えー、嘘。優斗くん、この間の小テストで満点取ってたじゃん」


「まぐれだよ」


「そういうこと言うよね」


 芽衣が苦笑していると、隣で黙っていた蒼が口を開く。


「小テスト満点だと? 生意気な」


「蒼は何点だったの?」


「96点」


「すごいね」


「満点取ったやつが言うかよ」


「でも一問落としただけだろ?」


「次は負けないからな」


 ギラギラした目で睨む蒼に対して、優斗はおかしそうな顔をする。


「芽衣にいいところ見せたいと思ってるだろ?」


「なんだよお前、人の考えてること読みやがって……気持ち悪い」


「顔を見ればわかるから」


「……」


「——それより、今日はこれからどうする?」


 芽衣が誰となく訊ねると、優斗は考えるそぶりを見せる。


「そうだな。新しい靴が欲しいけど、いい店知ってる?」


「それなら、ショッピングモールにしよう。隣の駅に大きいとこあるから」


「じゃあ、着替えてから集合しよう」


「うん」


「……」




 それから私服に着替えてマンションのエントランスに集合した芽衣たち三人は、電車に揺られて隣駅のショッピングモールに向かった。


 地域最大級というだけあって、クリニックからゲームセンターまで入っているショッピングモールは、平日だからか、それほど人で混雑している様子もなく、芽衣たちは二階の店舗をゆったりと見て回った。


「へぇ……けっこう広いね」


 もの珍しい顔で告げる優斗に、芽衣は微笑みながら訊ねる。


「先に食事にする? それともスニーカー?」


「うーん……スニーカー選ぶの時間かかるし、別行動しない?」


 優斗が提案すると、芽衣は素直に頷いた。


「それでもいいよ」


 だが芽衣たちの会話などおかまいなしに蒼は呟く。


「……腹減った」


「蒼がそう言うなら、先ご飯にしよっか。何食べる?」


 蒼の我儘にも慣れている芽衣は、店舗が連なる道の途中で、ショッピングマップを広げた。



 ————が、その時だった。



「優斗くん?」


 名前を呼ばれて、優斗が振り返る。同時に芽衣や蒼も振り返ると、そこにはひと回りほど年上に見える女性の姿があった。


「優斗くんだよね?」

 

 何度も名前を呼ばれるもの、優斗は目を泳がせる。


 さっきまでとは違い、今の優斗からは明らかな動揺の色がうかがえた。


(優斗くんがこんなに動揺するなんて……)


「久しぶりだよね。元気にしてた? その子たちは友達?」 


 矢継ぎ早に質問攻めをする女性に、優斗は何も答えなかった。


 それどころか、いつになく厳しい顔をしていた。


 その微妙な空気に芽衣が狼狽えていると、蒼が沈黙を破った。


「おい、優斗。映画の時間があるから、さっさと行くぞ」


「蒼?」


「あ、うん。そうだね……」


 言葉を濁す優斗は、なぜか汗をかいていた。


 だが声をかけてきた女性は優斗の反応にも構わず会話を続けた。


「ごめんね、お邪魔しちゃった? じゃあさ、メアド教えてよ。話したいことがたくさんあるから」


「ごめん、俺スマホ持ってないから」


 優斗が苦しそうに告げると、女性はどこか冷たい顔をして優斗を見つめる。


「……なんか優斗くん、変わったわね」


「おい優斗、さっさと行くぞ」


 蒼は女性の存在を無視すると、強引に優斗の手を引いて歩きだす。


「あ、蒼?」


 芽衣も慌てて追いかけるが、ふと振り返った時、優斗に声をかけた女性が悔しそうに顔を歪めているのが見えた。 








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