第7話 心地よい場所(優斗)

 中学生の頃だった。


 仲間なかま優斗ゆうとには、仲の良い友達がいた。


 転校を重ねて友人なんてまともにいたためしがなかった優斗に、初めて出来た親友はさくら総馬そうまという少年だった。

 

 だがさくら総馬そうまにはサボり癖があったため、優斗も一緒にサボタージュしていたわけだが——そんな優斗や総馬を見かける度に、叱る人がいた。


 天久あまひさ透子とうこという女性教師だった。


「——あなたたち、またサボってるの?」


 体育館でぼんやりと喋っていた優斗と総馬のところにやってきたのは、相変わらずバカがつくほど教育熱心な天久あまひさ透子とうこだった。


「いやだな、サボってないですよ。うちのクラス、自習なんで」 


 優斗が当然の権利とばかりに告げるもの、総馬は慌てて指摘する。


「おい、言うなよ。サボってるのがバレバレだろ」


「別にいいだろ、この先生はチクったりしないし」


「わからないだろ。一応先生なんだから」


「一応って何よ! 私はこれでもちゃんとした先生なんだからね」


 透子が胸を張って告げると、総馬はわずらわしそうに手で振り払う仕草をする。


「ちゃんとした先生なら、なんでここにいんだよ。早く自分の生徒のところに行けよ」


「あなたたちこそ、自習は教室でしなさいよ!」


「俺たちのことは放っておけよ。ババアには関係ないだろ?」


「先生に向かって『ババア』とは何!? あんたたちの担任に報告するわよ」


「おい、なんでそうなるんだよ」


 唇を噛む総馬に、優斗はやれやれと口を挟む。


「相手は仮にも先生なんだから、今の言い方はないだろ」


「なんだよ。優斗は俺の味方じゃないのかよ」


「ほら先生に謝れ、チクられたら面倒だぞ」


「……ごめん、調子に乗りすぎた」


「見逃すのは今回だけだからね」


 そんな風に楽しい学校生活が一変したのは、とある秋の日のこと。


 いつの間にか喋りかけてこなくなった総馬に、久しぶりに呼び出されたと思えば、恐ろしい顔をして迫られた。


「——おい、なんでお前なんだよ……」


「……総馬?」


「お前のせいで俺は——」


「どうしたの、総馬?」



 ——————二度とそのツラ見せんな!






***






「またあの夢か……」


 中学生の頃、仲が良かったさくら総馬そうま


 はみ出しものだった彼は、いつも教室が居心地悪そうだった。


 だからずっと一緒にサボタージュしていた。


 優斗にとっては特別な友達だった。


 それがまさか、あんな風に死別するとは誰が思っただろうか。


「あー! もう、過去は過去だろ!」 


 自室でしばらく呆然としていた優斗は、気合いを入れ直すように身支度をする。


「そろそろ蒼を起こしに行かないと」


 そして着替え終えてすぐ、マンションのエレベーターに乗り込む。行き先は、上の階——蒼の部屋だ。


 芽衣が蒼の世話を焼きたがる気持ちはよくわかった。


 懐かない猫のように優斗を警戒するので、余計になんとかして懐かせたくなった。いつも芽衣ばかり追いかけていた蒼が、少しずつ変わりつつあることもわかっていた。




「——おはよう、蒼」


 ノックしたところで返事もないので、そのまま蒼の部屋に入ると、ベッドには眠そうな顔で座る蒼の姿があった。


「またお前かよ」


「今日はもう着替えたんだな」


「お前に着替えさせられるのが嫌なんだよ」


「だったら最初からそうすればいいのに」


 優斗が笑顔で嫌味を言うと、蒼はあからさまに不機嫌そうな顔をする。


 そんな中、隣の部屋から芽衣めいの声が聞こえた。


あおい仲間なかまくん、ご飯だよ」


「フレンチトーストはどうしたんだ?」


 あくびをしながら言う蒼に、優斗は苦笑する。


「今日も牛乳買うのを忘れたんだよ」


「そればっかりだな」


「そんなに食べたかった? 俺のフレンチトースト」


「食べたいわけないだろ」


「わかった。明日こそ作るからな」


「いらないって言ってるだろ」


「蒼は素直じゃないんだから」


 いつの間にか部屋にいる芽衣にまでからかわれて、蒼は少しだけショックを受けた顔をする。


「芽衣まで……」


 だが蒼の反応に気づかない芽衣は、話題を変えた。


「それより、来週テストだよね。仲間なかまくん、大丈夫?」


「それが、わからないところがあって……蛍原ほとはら、教えてよ」


「なんで俺なんだよ」


「数学が得意なんだろ?」


「芽衣、余計なこと言っただろ?」


「本当のことでしょ? ——そうだ! 学校午前中で終わるから、放課後ここに集まる?」


「いいの?」


 優斗が訊ねると、蒼の代わりに芽衣が笑顔で答える。


「うん、いいよ」


「俺はOKしてない」


「いいじゃん、勉強くらい」


 口を膨らませる芽衣を見て、蒼はため息を落としていた。




「——ていうかさ、蒼って食べるの遅いよな」


 リビングに移動した優斗は、芽衣の朝食を頬張る蒼を見て、何気なしに告げる。


 だが蒼は不機嫌を顔に貼り付けて、無言で咀嚼そしゃくしていた。


「……」


「食べさせてやろうか?」


 優斗が申し出ると、蒼は慌ててあさり飯をかきこんだ。


 その忙しない姿を見て、芽衣は小さく笑った。


「ちゃんと噛んで飲み込みなよ」


「蒼は面白いな」


 優斗と芽衣が笑い合うと、蒼は眉間にしわを寄せた。


 芽衣を独り占めできないのが悔しいのだろう。だが、優斗はこの二人と一緒にいるのが楽しかった。


「なんだか中学に戻ったみたいだ」


「中学? 仲間くんって、中学時代もモテそうだよね」


「うん。けっこうモテたよ」


「自分で言うのかよ」


「だって本当のことだから」


「蒼だってモテてるじゃない。最近とくに男の子に……」


「言うなよ。俺は芽衣以外――」


「?」


「なんでもない」


 不貞腐れた顔をする蒼の前に、芽衣は冷凍ミカンを置いた。

 

 すると、蒼は少しだけ顔を輝かせる。


「あ、ミカン」


「蒼はミカンが好きなのか?」


 優斗が訊ねると、蒼はそっぽを向いてミカンを頬張った。

 

 芽衣は微笑ましそうな顔をして告げる。


「蒼は小さい頃からずっとミカンが好きなんだよ」


「そっか。だったら、俺のもやるよ」


 優斗が自分のミカンを蒼の目の前に置くと、蒼は何も言わずにそれを食べた。


「ちょっと、お礼くらい言いなよ」


「……ありがと」


 芽衣に言われて、蒼は嫌々ながらも告げる。


 だが、初めて聞いた言葉に、優斗は少しだけ気分が上がった。


「蛍原って可愛いな。男子にモテるのがわかる」


「お前、ラブレターのこといじるなら、絶交だからな」


「絶交ってことは……俺のこと友達と認めてくれてるってことだよな?」


「芽衣を助けてくれたからな……特別だ」


「そっか」


「仲間くん、良かったね」 


「ああ」


「何がそんなに嬉しいんだよ」 


「それは、蛍原ほとはらが友達って認めてくれたからだろ」


 さりげない言葉だったが、大きな前進だった。本当は飛び上がるほど嬉しいことを、芽衣や蒼は知らないだろう。


 優斗が控えめに喜んで見せると、それでも蒼は恥ずかしかった様子で、照れ臭さを誤魔化すように顔を背けた。


「ふん、だからって、芽衣はやらないからな」


「私は蒼のものでもないよ」


 ハッキリと告げる芽衣に、優斗はさすがに苦笑する。相変わらず可哀想な蒼に、同情せずにはいられなかった。


「残念だったな、蛍原」


「うるさい」


 言いながらも、蒼の横顔は泣きそうだった。







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