第4話 引き戸の中の母子

 たぶん三歳くらいの時の話です。

 私は母と一緒に寝ていました。

 その家では和室にお布団を敷いていて、枕側に地袋と言うのでしょうか、引き戸のちょっとした収納がありました。

 多分枕元に床の間があって、その一部だったんだと思います。

(この家はその後直ぐ祖父が売り払ってしまって、詳細は覚えていないのです)

 夜寝る前、母に抱かれて布団に入っていると、引き戸から声がしました。

「ねえ、にげよう」

「はやくにげないと」

「くうしゅうが」

「こわいよう」

 流石に詳細な会話は覚えていないのですが、大体こんな感じでした。

 声色からして、母親と小さな女の子の会話に聞こえました。

 私はうとうとしていた母に言いました。

「ママ、ここからこえがするよ、にげようって」

 母は私を抱いて、

「声?ママには聞こえないなあ……」

 と言うような事をむにゃむにゃ言っておりました。

 でもまだ何か聞こえています。

「ママ、くうしゅうだっていってるよ」

 母は、

「そうねぇ……」

 と言いながら寝てしまい、私もその後直ぐ寝てしまったと思います。


 その後、成人してから、ふと気になって、母に聞いてみました。

「何か三丁目に住んでた頃に、引き戸?枕元の収納?から空襲から逃げようって会話が聞こえてさ、お母さんにも言ったんだけど覚えてる?」

 母はへらっと笑って言いました。

「覚えてないけど、多分怖くて寝たフリしたんだと思うわ」


 ちなみにその辺一帯は空襲で焼けたりはしていないので、どういう経緯でその声が聴こえたのかは分かりません。


 ただ、戦後間もなく生まれた父は、喋り始めた頃に、

「ぼくはむかしぜろせんでね」

 と流暢に話していたらしいし、たいして多くない兄弟従兄弟に八月九日生まれが三人。

 母は焼夷弾の地面に刺さる音と、爆薬の匂いすら感じるリアルな空襲の夢を見たと言っていました。

 何となく薄い繋がりを感じるような気もします。

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