青年と神

「もう、何もかもやめてしまおう。」


運悪く喜雨の残像を踏み抜き、真新しいスニーカーが濡れた日。

専門学校へ通う真面目な青年に、魔が差した。


真面目という者は、ふざけることができない。

年相応に馬鹿なことをやろうとしたって、いつだって自制心が引き止める。

学校をサボるだなんてもってのほかで、授業中に眠ることすらできない。

…青年は、生きづらかった。


『おい。何をしている。』

そんな日頃のストレスが積み重なり、いつの間にか幻聴に侵されるほどになっていた。


あの日、パソコンルームで声を上げた時。

一番呆気にとられたのは、青年自身だった。

一斉に浴びた視線に、何処か快感を覚えたからだ。


「そろそろ死のうか。」

一匹の蝉の声で曖昧になった声は、誰にも届かず曇天へ消えた。


何処かで読んだ転生小説のように。

目の前を横切るトラックへ吸い寄せられるように、足を踏み込む。

これが青年の人生で最も、人に迷惑をかける経験となるのだろう。

最期の最期で、彼は真面目を貫けない。


『はは、ははは、ふはははは!!』


朦朧とする意識の中、トラックのブレーキ音よりも大きな高笑いが、心の中に響き渡った。


『何故、明日起こる奇跡は信じないのに、来世の幸せは信じるのだ?』


「…え」


間一髪、トラックは青年から5cmの場所で止まる。

その圧倒的な言葉に取り憑かれたかのように、青年は道路の真ん中でただ、立ち尽くす。


『俺は愛してやまないこの世界に存在している。』


慌ててドアを開けた運転手の声が届かないぐらい、心の中の男は、青年を掴んでいた。


『探せ。俺を探せ。』


「…お前は、誰だ。」

震える手で心に手を当て、青年は問う。


『強いて言うなら、神だ!日頃神を拝んでもいないお前が、死んで楽になれるとでも思ったか!』


男の高笑いが、心を貫く。

それは恐怖に限りなく近い、生きた心地であった。


「……すみません。信号が見えませんでした。」

青年は運転手に頭を下げ、まだ覚束ない足取りで、道路脇へと歩く。


『神を拝め。そうすれば君は幸福に包まれる!』

「…相棒。」

『…ほう?』

「相棒と、呼ばせてくれ。」


一匹の蝉では掻き消せない心を宿した声色で、青年はそう言った。

心の中の男は、興味深げに笑っているようだった。


『神に向かって、面白いことを言う。…いいだろう。その変わり、少しの間、俺と代われ。』



___そこから先のことは、覚えていない。

気がついたら青年は…俺は、専門学校を辞めて、バイトに明け暮れていた。


カーテンの隙間から朝日が漏れる。

スマホのアラームが鳴る約一分前。

久しぶりに、昔の夢を見た。


『さぁ二口にぐち虎太郎こたろう。今日も俺という存在を探せ!』


「朝っぱらからうるせぇな…」


相変わらず相棒は、俺の心の中で走り回っている。

…こんな奇妙な日常が、俺は楽しくて仕方がない。



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