彼と彼女

@volefanol

彼と彼女



「ねえ聞いたー? あの先輩付き合ったんだって!」

「ホント? 相手はだれ?」

「なんか大学の人って聞いたけど」

「マジ!? ちょーやばいじゃーん」

 入学してから3年間、ずっと憧れている先輩が付き合っているという噂は、私にとって週明け最初にして最悪のニュースだった。先輩とは中学の入学式で、すごくカッコいい先輩がいる、という情報により耳だけ先に会ったことに遡る。それから3日後の対面式、斜め45度の入射角から見えた先輩の顔は私の目も心も奪ってしまった。凛として整った輪郭、キリリとして鋭く光る目つき、白糸のように滑らかな黒い髪の毛、それでいて周りの人より一頭身分低い身長。一瞬で虜になってしまった。それから先輩を追って同じ部活に入ったり、打ち上げでは隣の席に座ったりしたのに…。

「冴島おはよう」

「…おはよ」

「おいおい暗いなー、寝不足か?」

「ちゃうよー…」

 今話しかけてきたのは入学式からの友達である時田と安達だ。彼らとは1年も2年も同じクラスで色々付き合いがある仲である。時田は本来ある自分の席ではなく、私の前に机の上に座って聞いた。

「落ち込んじゃってどうしたの」

「ゔぅ…」

 私は自分の机に突っ伏したまま、呻き声をか細く挙げた。

「どうせこいつが好きなあのかっこいい先輩の話でしょ、また告白されたっつう話じゃない?」

「クラスでも話題になっているもんね、ほらあそこの女の子とか」

「もう付き合ってるっていう話じゃなかった?」

 安達は頬杖しながら適当に返す。荷物とか置けばいいのに肩に背負ったまま、二人で話をしている。現実を受け止めきれずに顔が上がらない。

「君に聞いているんだよ、冴島」

「…何」

「その先輩が付き合ったつうのは本当か?」

「その話聞きたくなーい」

 伏せたまま安達の質問に答える。

「こいつめちゃダメージ負ってるじゃん」

「これ以上私に現実を突きつけないで! ほっといてよ、慰めてよ!」

「どっちだよ」

「壊れちゃったかな」時田が私の肩に両方の手をのせて優しく握る。「でも、それってさ噂じゃない?」

「噂だよ〜」

「噂は噂じゃないか」

「そうだけど…」

「ほら顔を上げて」

 しぶしぶ顔を上げる。安達は自分の席に荷物を置きに離れている。

「先輩さんは誰と一緒にいたんだい」

「なんでそんなこと知ってるの…」

「クラスの情報屋を舐めたらいかんぜよ」

「何その口調。大学生みたいだけど手を繋いで歩いてたって」

「姉妹かどうかとかは?」

「分かんない」

「ほらやっぱり噂じゃないか」

「でも…」

「くどいっ!!」

 背後で怒鳴られる。クラスが一瞬静かになってこっちを見るけどすぐに和やかな喧騒が戻る。

「安達、ボリュームが大きいよ」

 すぐ後ろには腕を堂々と組んだ安達が私を睨んでいた。

「好きになったんだったら当たって砕けろ、だろ。いつまでもウジウジしてないで蹴り付けてこんかい!」

「砕けちゃうんだ」

「突っ込むな! 冴島、オメーは先輩のどこを好きになったんだ」

「えぇ…と、顔がかっこ良くて、優しくて部活も強いのにノリも良くて、あと斜め後ろから見える切れ目とうなじが扇情的で」

「なんだよ、いいとこいっぱい知ってんじゃん」

「うん」

「じゃあやる事は一つだな」

「何?」

「今言ったことを先輩さんにぶちまける、だよね」

「分かってんな時田」

「無理だよ、恥ずかしいよ」

 つい席から立ち上がる。時田は座ったままだが安達は優しく私の肩に手を回してくる。

「大丈夫、イケるって」

「可愛い顔してんだから。安心して、ダメだったら一緒に飲みに行こうよ」

「先輩も誘う?」安達が時田に提案する。

「降ったのに? でもいいね」時田はグッドサインを作る。

「よくない、二人で話を進めないで!」

 この二人を放っているとトントン拍子に私が先輩に告白する流れになる。

「でも先輩に対するその恋心には決着はつけるべきだね」

「そうそう。別に嫌じゃないんだろ」

「嫌じゃないけど」

「じゃあ、頑張っといで」

「一緒に泣いてやるからさ」

「…ちょっと待って」

 二人は黙ってうなずく。

 さて、気持ちと状況を整理しよう。まず、憧れの先輩は大学生と付き合っているという噂が流れているが、真偽は不明。それで私の恋に焦らされた時田と安達が私に告白させようとしている。私もこの気持ちのままいるわけにも行かないけど、先輩に告白するのは恥ずかしいけど嫌では無い、と。確かにこの焦ったい内心を抱え込むなら安達の言う通り、先輩の胸を借りてぶつかったほうが良い気がする。…もうどうしようもない。

「…分かった」

 二人は顔を見合わせて手を繋いで女子のように喜んだ。

「今から行ってくるね!」

「「え?」」

 そう言い残した私は風を切って上の教室へ駆け出した。

「今から1限目始まるのに」

「変なとこで思い切りがいいんだから」

「まあなんとかなるでしょ」

「…だな」


 教材を抱えた先生を通り過ぎて螺旋階段を一段飛ばしで駆け上がる。トイレに駆け込む生徒とすれ違い、先輩がいる4階まで上りきる。4つの教室を横切り、目的の扉を勢いよく開ける。


「霙木ユイ先輩はいませんか!?」


   ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


「霙木、あんたすげえ噂になってんぞ」

「あはは…」

「笑い事じゃねえよ」

「僕はただ買い物していただけなんですけどね」

「学年一のイケメン様は一挙手一投足がありがたがられるからな」

「あはは…」

 どうやら先日の買い物が学校の誰かに見られて校内の随所で噂になっているようだ。

「それで本当に付き合って無いの? その、噂になっている彼女さんとは」

「彼女も何も姉と買い物していただけです」

「シスコンかよ」

「シスコンです」

 ただしこのシスコン発言は僕の姉に対するものでは決して無い。姉からの矢印の話である。2つ上の姉は僕のことを目に入れても痛くないほどに溺愛していて、件の買い物にも姉が自主的についていって発生してしまった事案である。別に僕としては、真実が歪曲されない限りどこまで噂が流布されても構わないつもりだ。

「そういえばあんた、部活はいつまで関わるつもりなの」

 隣の席で名取が1限目の数学のテキストと授業を取るためのルーズリーフを用意する。それを見てつられるように1限目の用意を始める。

「テニス部のことかい?」

「それ、今年は受験生なもんだから夏の大会で引退になるからね。ちなみに私はあんたと一緒に辞めるつもりだけど」

「そうだな、別に僕も最後まで残る予定だよ」

「別にって、あんた目的で入った後輩も大勢いるでしょうに」

「例えば?」

「ほら、少し前の打ち上げで隣に座っていたおチビとか」

「それって冴島のこと?」

「それそれ、あのおチビそんな名前なのか。てかよく覚えていたな、流石」

 中高一貫の我が校のテニス部は男女一緒の部で活動している。新年度になってから学年などの体制や部員数が変化した事もあって、顔合わせも含めて任意参加の打ち上げが2週間ほど前に行われた。僕も名取も行ったが、男女合わせて30人が打ち上げに来ていた。この人数はテニス部の3割強に相当する。

「そのチビはあんたから見てどうなのさ」

「どうって、何が?」

「どう思ってるかってことだよ。どうせ気づいてないと思うだろうけど、そのチビあんた目的で入ってきてるの」

「そうなのか」

「そう」

 名取に詰められ、少々考える。黒板側にある壁掛け時計を一瞥する。まだ予鈴は鳴らない。冴島のことは中学生の頃から知っている。彼がこの学校に入学してからすぐの対面式で、僕のことをキラキラした目で見つめる姿が鮮明だった。周りの生徒より一回りも低い身長、くりくりした澄んだ目、あどけなさが残る口元、詰まる所の童顔というやつだ。それから何度か冴島とは校内や部活動において接してきた、と同時に様々な面も見てきた。やると決めたら意地でもやり切る所。物事に真剣に取り組む一生懸命な所。先輩後輩分け隔て無く慕う所。僕は冴島のことを…

「…かわいい」

 ポロリと溢れた言の葉だったが、本心ではあった。自分が漏らした言葉を理解し、刹那名取の顔を睨む。

「へえぇ」

 名取は僕にニマニマと気色悪い微笑みを向けている。その温かい眼差しが霙木の心を意地悪く刺激するとともに、取りこぼした言質を取り繕うように即座に否定に入る。

「やっ、ちょ、今の無し!」

 しかし名取は上記の否定の文言が聞こえていないのか、さらに詰め寄る。

「私は良いと思うよ、おチビちゃんのこと。一生懸命だし、犬コロみたいに慕ってくるし、努力家だしね」

「人の心を読むなっ!」

「まあ、実際に良いと思うよ、ほんとに。マジのLOVEってわけじゃないでしょ?」

「そう、だけど」

「けど?」

「卒部したら少し心配かも…」

「ヒュー」

「下手な口笛を吹くなっ」

「ごめんごめん、ちょっと頭叩かないでよ。ま、もしチビからのアプローチがあるなら受けてもいいんじゃないかな」

「お前ら、数学始めるぞー」

 名取の頭を叩いているうちに始鈴の3分前からか、数学教師が教室に入ってきた。

「この話はまた後で、かな?」

 教師が開けっぱなしにしていた引き戸を閉めるために手を伸ばす。それと同時に誰かが校内を走り回っている音が響いてくる。その音は東の階段を駆け上がり、踊り場で旋回し長い廊下を一直線に近づいてくる。教室がざわざわとどよめく。

「誰だ、走ってるのは!」

 先生の怒鳴り声を受けてもなお、走者は一向に止まる気配がない。そうしてその音は我が教室の前で静止したかと思うと、手前の引き戸が勢いよく開かれる。声の主はどうやら自分を求めていたようだ。名取が肘で腰をつつく。


「…どうしたの、冴島ユウト君」


   ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 冴島と霙木、否、ユウトとユイは高校の正門を背に向かい合っている。ユウトは相手の目をやや苦しそうに真っ直ぐ見つめているのとは反対に、ユイは丁寧に手入れを施している自身の髪の毛を利き手で弄りつつも彼の誠実な眼差しから目を背けている。

 始鈴のチャイムが鳴ってすぐの出来事である。勢いに任せて意中の本人がいる教室へと押しかけてきたユウトであったが、このままおっ始めるのはマズい!と名取が気を利かせて2人を正門まで追い払ったのだ。

 そこから移動と沈黙合わせてチャイムから10分。呼び出した本人であるユウトは何か言おうと、告白しようとするがこんな時に限って言葉が喉に詰まって出て来ない。彼の心内は興奮と不安で塗りつぶされているからだ。いざ飛び出したのは良いものの、名取に静止され外に移動する内に興奮が収まり、振られた時の不安が一気に押し寄せて来ていた。眼前に憧れの対象がいることもあいまって動悸が止まらなくなっていた。

 見かねたユイが心配して開口する。

「冴島君、大丈夫かい」

 ユイという女々しい名前に反して彼女の口調は少々男らしくもあった。自身の親しみやすさを感じさせるために、彼女は異性と話すとき口調を相手に合わせる。彼女が人気な理由のひとつである。

「ここじゃなんだし、ちょっと日陰の方に行こっか」

 かけられた声に安心して、ユウトは俯きがちだった顔を上げる。魅惑で甘美なそのカッコいい立ち姿に惚れたのだと再認識する。

「…ありがとうございます」

 白い雲から覗いた太陽はまだ立ち上がったばかりだった。


 正門前から再び移動して、体育館の陰になっているベンチに座った。

「少しは落ち着いた?」

「はい、ちょっと元気になりました」

「よかった。それで僕に話があるんだよね」

「はい」

 声が震えている。だがその顔に覚悟を決めてあるのがわかると、ユイは黙って頷いた。

 喉が乾く。声は震える。手から汗が止まらない。でも、一度決めたら何としても精一杯やり遂げる。それは彼の誇るべきポリシーであった。

「…霙木先輩、私のーー」

 ついにきた。なんとなく言われることは分かっている。心の準備が出来ていたユイは、反対にユウトを見つめ返す。改めて見ても彼の顔は立派な童顔だ。どちらかといえば女性の顔立ちだ。きっと女ものの服を見繕うだけでも美少女が完成してしまうことだろう。

「私の、結婚相手になってください」

 違った。彼女になってください、じゃなかった。結婚相手になってください、だった。予想外の告白にユイの顔は鳩が豆鉄砲を食ったように唖然とする。

 その上ユウトの顔は結構真面目である。一般の恋愛を知らない彼は真剣な面持ちで婚姻を突きつけてきた。

 一発食らったユイは気持ちを整理しながら冗談混じりに返答する。

「えっ、と…結婚はまだ早いかなー、なんて…」

「それじゃあダメってことですか…」

「そんな訳ない! むしろ嬉しかったというか…」

「それって、OKってことですか…?」

「えっと、それも早いというか…?」

 ユイは自分でも何を言っているのか分からない。自分の発言で可愛い後輩を混乱させてしまっていることは分かっているが、やはり整理がつかないのだ。

「……」

 ついにユイはしどろもどろしながら黙り込んでしまった。どうしたら彼が傷付かないでいるのか。勉強に足りる頭は恋愛にはからっきしで。

 ユイが困っていることに気づいたユウトは言葉を漏らす。

「やっぱり迷惑でしたかね…」

「…ぇ」

 ユイから驚嘆の声が掠れて溢れる。自責に駆られたユウトには気付かれない一雫だった。

「先輩、今年受験生で忙しいし、かっこよくて人気者だし、私とは不釣り合いですよね」

 ユイは俯いたユウトを見下ろす。少年の顔は泣きそうというより告白したことを反省したような顔だった。ユイはこれ以上彼を不安にさせまいと口を開く。

「迷惑なんかじゃないよ」

 そのことばを聞いたユウトは心の中でにわかに安心する。表情には出ていないがユイは彼の心内を察知して言葉を続ける。

「ただちょっと驚いただけだから、ーーだから僕の彼氏になってくれないかな」

 逆告白。告白を待つ間に彼女なりの答えはすでに出ていたのだ。この可愛くてかっこいい、今を懸命に生きる後輩と同じ時間を歩み出したいと。彼の自分に対する一生懸命考えてくれる気持ちはユイの気持ちにトドメをさした。

 ユウトの彼女になりたいと。

 ユウトは少し驚いていた様子だったが、告白を受け止めて顔を輝かせながらすぐに答えた。

「はい! 私の彼女になってください!!」

「喜んで」

 キーーンコーーンカーーンコーーン

 キーーンコーーンカーーンコーーン

 その告白を待っていたかのように1限の終わりを告げる鐘が鳴る。ユイとユウトは顔を見合わせる。

「終礼のチャイム、なっちゃいましたね」

「1限丸々サボっちゃったけど、いいよね彼氏くん」

「ダメですよ、先輩受験生なんですから」

「あはは、君らしいや」

 体育館裏で笑い合う。口調や身なりが自身の性別と逆行しあう彼と彼女は同じ歩幅で歩き出す。


「じゃあ、行こうか」

「はい!」

 二人が去った体育館裏に生えるサクラの木は上る太陽を身に浴びて青々と天に伸びる。5月下旬、彼と彼女の春はまだ始まったばかりだ。

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