運命

 トイレは水が流れるようで安心した。


「お、え……」


 我慢できなかった。

 胃から込み上げる吐しゃ物を全部吐き出すと、また水で洗い流す。


「ねーぇ、大丈夫ー?」


 トイレの外からリオさんが声を掛けてくる。

 なぜか、鍵は掛からないので、遠慮なく扉を開けてきた。


「はい。口拭き拭きしましょうね」

「……はぁ……ふぅ……。やっぱ、……狂ってる」

「だからー、これが仕事だってば」

「分かってるけど」


 頑張ってカメラでは記録した。

 きちんと、お望み通りの死に顔が映っているだろう。


「リーダー」


 口を拭いたティッシュを便器の中に投げ入れる。

 そして、リオさんが手を握ってきた。


何も変わってないねー」


 かじかんだ手を温めるように、リオさんがオレの手に息を吐きかけた。

 吐息で温まった手を擦り、頬をくっ付けてくる。

 リオさんの顔は赤い飛沫で汚れていた。


 ジロリと上目で見つめてくるリオさんは、ゾッとするほど冷たい雰囲気が漂っている。なのに、矛盾するようで、妙な艶があった。


「何のことだよ」

「……ワタシ、獄中生活の間、ずっと考えてた」


 オレはリビングから聞こえてくる物音に顔を顰めてしまう。

 今頃、バラバラに切断されている。

 いや、正確には手慣れたリオさんが厄介な部分を切断し、他の三人は後処理ってところだ。


 カメラは起きたナギが持ち、撮影している頃だろう。


「……今度はこの人がいいな……って」

「あまり、余計なこと言うな。吐いちまう」


 すると、リオさんがにこっと笑った。


「ね、リーダー」


 薄く開いた唇から、白い歯が見えた。


「ワタシと……付き合ってよ……」

「断る」

「なんで?」

「さすがに、人を殺した奴は女として見れないって」

「リーダーだって、似たようなものじゃん」

「オレが?」


 リオさんの言葉に声が詰まった。

 一瞬、「何言ってるんだ」と混乱してしまう。

 言い返してやりたいのに、言葉が出てこない。


「あの時さぁ。リーダーがボコボコにした男――」


 何のことを言ってるのか、オレには分からない。


「頭の骨、へこんだんだよ。脳みそから出血してたんだって。病院で動けなくなってたからさ。ワタシが止めを刺しちゃったんだよねぇ」


 リオさんがにじり寄ってきた。

 四つん這いで近づいてくるところは、何かの動物に見えた。

 少しでも刺激を与えたら、噛みついてきそうな猛獣。

 血塗れの顔を胸に擦り付け、オレを見上げてくるのだ。


「もう会えないかなぁ、ってがっくりしてたんだけど。運命ってあるんだねぇ」

「……何のこと言ってるのか、分かんねえよ」

「その内、思い出したらでいいよ。ワタシは運命を信じてるから」


 細い両腕が腹に巻き付いてきた。

 オレはリオさんの肩の裏から目を離せず、固まるだけ。


「もう離さないもん。一目見た時から、ワタシずっと気づいてたし。ここなら邪魔が入らないから。天国そのものだよ」


 ふと、リオさんの顔を見た時、オレの脳裏には駅のホームが浮かび上がった。


 今のリオさんは、頭の横で結んでいた髪が解けている。

 乱れたセミロングの髪。

 長い前髪からは、眠そうな目がオレを見つめていた。


 ――この目――見た事ある気がする。


『あーあ、やっちゃった……♪』


 駅のホームはうるさくて、声なんて聞こえやしない。

 ましてや、人を殴ってしまった直後、オレは手足の震えが止まらなかった。


 だけど、楽しげな女の声が、耳の奥にこびりついて取れなかった。

 忘れていたのだ。

 ずっと、長い間、忘れていた。

 金銭面での苦しさや度重なる生活苦のせいで、記憶は薄れていた。


 だから、思い出せなかった。


「――あ――」


 声を出すべきじゃなかった。

 頭では分かっているけど、オレは一言だけ発してしまった。

 リオさんは口角をつり上げて、笑みを浮かべた。


 ――だ。


「久しぶり」

「お前……」


 過去に駅のホームで人を殴ったことがある。

 女に絡んでいて、乱暴な仕草でどこかに連れて行こうとしていた。

 危機感を覚えたオレは、勇気を振り絞って男に掴みかかったんだ。

 絡まれていた女を助けるために、勇気を振り絞ったんだ。


「ね。運命でしょ?」


 駅のホームで助けた女が、今目の前にいた。

 全ては、オレが勇気を振り絞ったあの日から始まっていた。

 狂った世界で、絶望の最中、オレに微笑みかけたのは気の狂った女だ。


 人の命を何とも思っていない殺人鬼。


「さ。仕事、行くよ」


 逃げ場のない世界で、リオはオレの手首を掴んだ。

 ――逃がさないように、指と指を絡めて。

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メンヘラ殺人鬼と愉快な仲間達 烏目 ヒツキ @hitsuki333

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