物
ずっと胸の辺りが気持ち悪くて仕方ない。
殺人鬼と共に暮らしていた事実を突き付けられ、何も反応ができない。
何より、心配なのは家族の事だった。
でも、家族は心配ないという。
それどころか、給料は全部家族に渡してくれると言っていた。
一番して欲しい事を保証してくれて、安心している自分がいる。
同時多発的にオレの中では喜怒哀楽の感情が爆発していた。
「ふぅ……」
通信室を出たオレは、アパートの中に入れず、外で煙草を吸っている。
どれだけ、そうしていたか。
体を熱くしたくて、日光を直に浴びている。
汗だくになっても、その場から一歩も動けなかった。
そうこうしていると、アパートからはタンクトップ姿のリョウコさんが出てきた。
シャワーを浴びたのか。
髪がしっとりと濡れていた。
(70人殺したって。……未だに信じられないな。だいたい、1人殺すのに、手間が掛かるはずなんだが……)
リョウコさんの経歴を考えていると、先ほどの会話を思い出す。
半グレで、つるんでいる奴らがいたらしい。
死体処理は仲間がやったとか。
白い煙を遠くに向かって吐き出し、オレは乾いた地面を見下ろした。
小さな石の混じった土を見ていると、そこへ影が伸びてくる。
「……初めて?」
「当たり前だろ」
リョウコさんが傍にきて、煙草を吸い出した。
「んじゃ、今日はこれで終わりだね」
「何とも、思わないのか?」
「何が?」
「人を殺した。……心が痛んだりとか、……何かあるだろ」
辛くて、苦しかったが、オレが生きていたのは、どこまでも日常だったんだと思い知らされた。
非日常じゃない。
「ないよ」
リョウコさんは即答した。
「リーダーがどういう生活をしていたのか。アタシには分からないけど。少なくともアタシが出会ってきた連中は、死んでもいい人間だった」
冷たい目がオレに向けられる。
「さっき、何か話してたんでしょ。あのオッサンと」
「……あぁ」
通信室を顎で差され、オレは素直に答えた。
どうせ、隠したって無駄だろう。
「軽くだけど。みんながどういう人か、聞かされた」
「へえ。人殺し、って?」
「ああ。70人も殺したんだろ」
「テレビでは、報道してるか分からないけどね。アタシが自白しただけ。警察が見つけたのは3人だけよ」
暗数ってやつか。
公になっていない数字だ。
「それぞれ、事情があって殺してる。でも、半分は好きで殺してる」
「……」
「人畜無害の人間を傷つけたわけじゃない。どれも、人を食い物にしたり、何人も殺したり、そういう連中がたまたまアタシと出会っただけ。リオ達だってそうでしょうよ」
「普通の人は、傷つけるつもりがない?」
「というより、出会うことがない」
優しさから、普通の人を殺さないわけではなかった。
単に出会う事がないという。
「忘れてるかもだけど。この島にいる連中は、全員死んでもいい人間だよ。死なないといけない人間でしょ」
「……そんなこと」
「あるよ。世界中、一秒だって早く死んだ方がいい人間しかいない。普通の人は、一部だけ。そういうもんでしょ」
リョウコさんは気だるげな目を向けてきた。
みんなと同じ、どこか眠そうな目だ。
「物だよ」
「え?」
「この島にいるのは、物。人間じゃない」
「……物」
「害虫でもいいよ。あったら迷惑な物。アタシらは回収業者みたいなもんでしょ」
トン。
重い拳が肩に当てられる。
リョウコさんは、触れてくる事が滅多にない。
だから、軽いパンチをしてくることが、リョウコさんなりの励まし方なのかもしれない。
「あそこのロック開けといて。アタシとババとナギで、散歩するから」
「……また殺すのか?」
「地理の把握。戻ったら、大声で呼ぶから。その時開けて」
それだけ言うと、リョウコさんはアパートの二階に上がっていく。
角部屋の扉を開けると、中に入っていった。
「……物か」
腕を組み、考えた。
『救われている人間がいる』
やっている事は、非道徳的だけど。
事実として、救われている人間がいる。
もう一本、煙草を吸おうとしたが、やめた。
情けない事に、殺人鬼から励まされ、オレは気持ちが軽くなってしまったのだった。
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