ババとナギ
タオルに下着。シャンプーを持って、お風呂のあるテントまで来た。
(一応、妹には県外で働くって言っておいたし。実家は空ける事になるから、市役所の窓口にも一言いっておいたし。他には、……ないよな)
済ませた事を頭の中で整理しながら、テントの幕を捲った。
誰かいるだろうな、とは予想していた。
だが、よりにもよって、一番強面の男が入っているとは、運がない。
しかも、取り込み中のようだった。
「お前さ。トラップ仕掛けんなって」
「……別に。ボクの勝手だけど」
絡んでる方は、見るからにヤバそうだ。
スキンヘッドの男。
耳や口だけでなく、信じられない事に乳首にまでピアスをしていた。
目がギラギラとしており、危なっかしい雰囲気だ。
「おい。やるなら、堂々とやれよ」
デカい男に絡まれてる方は、どこかオドオドとした男だ。
金髪に染めた頭に、華奢な風貌が特徴的。
髪を掴まれたことで、長い前髪が持ち上がる。
すると、中性的な顔立ちが露わになった。
「陰でこそこそされんのがイラつくんだよ」
「……なに……あやま……ればいいの?」
反抗的な口ぶりだけど、声は震えている。
オレは、無理に強がる気持ちが分かり、放っておけなくなった。
やめておけばいいのに。
勇気を出してしまった。
「あの、……どうかしましたか?」
「オメェには関係ねえよ」
このセリフが、頭のどこかに引っ掛かる。
『てめぇには関係ねえだろ。すっこんでろ』
こめかみが痛い。
あと、頭の奥だ。
ブチブチと、何かが張り詰めては、切れそうになる。
片頭痛ってやつか。
頭を押さえて、必死に言葉を選んだ。
「まあ、何があったか知らないけど。ちょっと落ち着いてくれないか?」
心臓がバクバクと強く脈を打つ。
雰囲気に吞まれたら、こっちまで怖くて震えそうだった。
勇気を振り絞って、オレは二人の間に立った。
「あぁ?」
「落ち着いてくれ。頼むよ」
『どけよ。殺すぞ』
「何だって?」
「……いや、どけって。こいつが、変なトラップさえ仕掛けなきゃ、おれは何もしねえよ!」
『機嫌が悪いから殺すけど、……いい?』
さっきから、思い出しくもない顔が目の前をチラつく。
オレは怖くなり、手に持っていたシャンプーの蓋を開けた。
ぴゅっ。
思いっきり握ると、容器の中身が飛び出し、男の顔に掛かる。
「うぉあ! 何すんだ!」
殴られる前に、オレは男に体当たりをする。
男は派手に転んだ。
その上へ馬乗りになり、急いで首を掴んだ。
「ぐ、ぅ……お……ぇ……っ」
こういう人は、怖い。
話をしたいだけなのに、殴ってくるのだ。
だから、これは仕方ない事だった。
人を助けるために、オレは全体重を乗せて、両手に力を込める。
「落ち着いてくれよ。頼むよ。ふ……はぁ……、お願いだから」
「ぐごっ……ごっ……」
初めてじゃなかった。
喉輪を絞める時は、親指に力を入れないといけない。
起き上がらないように、前のめりになって、とにかく絞らないといけない。
男は舌を出し、白目を剥いていく。
段々と力が抜けていくのを感じたが、怖いのでずっと体重を掛けた。
「――あの、……すいません」
肩を揺さぶられ、我に返った。
「はぁ……はぁ……。え?」
「その人、死んじゃうので。もう、やめた方がいいかと」
男の首は、自分の手首くらいの太さまで絞られていた。
慌てて飛び退くと、絡まれていた男が処置を始めた。
首を伸ばし、顎を持ち上げて、口を開かせる。
「……あの。起きてくれません?」
「誰か呼んできた方がいいかな」
「お湯掛けましょう」
桶でプールの中に入ったお湯を掬う。
それから、気絶している男に向かってお湯を掛け、オレ達は様子を見た。
「……っっ……けっほっ!」
少しして、男は激しく咳き込んだ。
オレを睨んで何か言いたげにしていたが、呼吸が優先だ。
何度か、深呼吸を繰り返し、目を閉じて仰向けの体勢でジッとした。
「おい……。お前……、けほ。一般人だろ……」
「アンタもだろ」
今になって、手が震えてきた。
震える手を前で組み、オレも鼻から肺一杯に空気を取り込む。
「マジかよ。……はぁ……くそ。惚れるわ」
「何だって?」
「この人、マゾだから。……ほら」
見たくはなかったが、仰向けになった男は下半身の一部が隆起していた。
「名前。教えてくれよ」
「新田アキラ」
「新田か。ふう。いいね。おれは、ババだ。で、この根暗野郎が、ナギ」
スキンヘッドの男が、ババ。
場に似つかわしくない美少年の名が、ナギとのことだ。
ババはむくりと起き上がると、口角を釣り上げる。
殴られるかと思ったが、違った。
見た目通りの強い力で肩を握られ、端に詰められていく。
「オメェ、マジでいいじゃねえか。ぐっときたぜ」
「……あー……何て言うか……悪かった。カッとなってしまった」
「待て待て。謝らなくていい。台無しになる」
「……どういう事だ?」
照れくさそうに鼻の下を擦り、ババは笑った。
「おれが思うによ。やっぱ、人を奮い立たせるって、本気じゃねえとダメだ。ああ。プレイじゃねえ。本気で、……こう、……仕掛けてくるやつってのは、やっぱいいもんだな」
ナギの方を見ると、顔を逸らされた。
「ふうぅ。決めた。おれは、アンタがいい」
「だから、何の話だ?」
「ナギ。お前も思うだろ」
「……」
「このまま死にてえなら勝手にしろ」
死ぬとか、何の話だ。
ひたすら、自分だけが置いてけぼりの状況に戸惑うばかりだ。
「死にたくは……ないけど……」
「決まりだな。あと、部屋にトラップ仕掛けるのやめろ。やるなら、堂々とやれ。分かったな」
指を突き付けられると、ビクッと小さな肩が震えた。
「二人は知り合いなのか?」
「知り合いっていうか、同じ部屋なだけだ。でも、こいつ、根暗だからよ。誰かが面倒見ねえと、何も喋らねえんだ」
「別に……頼んでない……」
パチン。
尻を叩くと、ババが大きな声で怒鳴る。
「ハッキリ喋れよ!」
「……くそ」
不満げにナギは二の腕を抱いた。
オレは何だか疲れてしまい、桶で湯を掬い、頭から被るのだった。
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