職安

 家に届いた一通の封筒。

 封を切って、中身を取り出すと、見えるのは不採用通知。


「チッ。……またかよ」


 グシャグシャに丸めて、床に投げ捨ててやった。

 いい加減疲れてしまったオレは、ソファに座ってため息を吐く。


「これで、10社以上受けたぞ。マジか」


 スマホを手に取り、メッセージアプリを起動する。

 リストの一覧から、妹の名前をタップ。

 過去のメッセージ履歴が出てきた。


 妹はオレと違って、かなり有能だ。

 二人いて、一人は田舎町を離れて地方都市にいる。

 もう一人は、別の県にいる。


 言いたくないけど、首が回らないオレは援助を申し出た。

 すぐに返信はきた。


『また?』


 スマホを隣に投げて、頭を抱えた。

 妹に呆れられるのは、当たり前だ。

 何度もお金を借りて、返すことができていない。


 オレは元々パートで働いていた。

 本当は製造業に就職したのだけど、合わなくて辞めてしまった。


 それからは、35歳にもなって、まともな就職に就けなかった。

 おまけに、家は親の残した借金がある。

 実家で一人暮らししているオレは、妹だけが頼みの綱だった。


 リビングのソファに座り、周りを見る。

 新聞紙や市で発行した機関紙。

 市役所から届いた催促状。

 光熱費の請求書。

 床の至る所に散乱していた。


『ごめん』

『仕事まだ見つからないの?』

『探してるよ』

『人助けなんてしなければよかったのに』


 スマホの画面を見ていると、すぐにメッセージが取り消された。


『明日でいい?』

『うん』


 今度はそっとスマホを新聞紙の山の上に置いた。


「人助けか」


 派遣会社で単発のバイトを入れて、地方都市に行った時だ。

 駅のホームで男女が揉めていた。

 女の方は体ごと傾けて必死に抵抗していた。

 男は、何というか、強面で近寄りがたい雰囲気だ。


 周りは見ているだけで、誰も助けようとしなかったのだ。

 オレだって、怖かった。

 怒鳴り声を聞いてるだけで震え上がった。

 一度は、電車に乗って見て見ぬふりをしようとした。

 けれど、心臓のあたりがぞわぞわして、落ち着かなかった。


 喧嘩なんて、まともにやった事がない。

 大嫌いだからだ。

 それでも、助けようと割って入り、「嫌がってるじゃないですか」と声を振り絞った。


 相手の答えは、パンチ一発だった。

 イジメを受けた時に味わった感触。

 殴られると、感触がなくなるのだ。

 麻酔を打ったみたいに、何も感じない。

 遅れて、じわじわと熱と共に痛みが込み上げてくる。


 オレは止めようとしただけだ。

 必死に相手の腰にしがみついて、声を上げた。

 誰も助けない中、必死に止めた結果。

 相手へ馬乗りになって、拳骨が折れるほど殴ってしまった。


 警察が来たら、オレは現行犯逮捕。

 傷害罪らしい。

 助けた事は理由にならなくて、拘留された。

 もちろん、元々働いていた職場には連絡がいった。

 というか、入れさせてもらった。


 そして、クビになったオレは、妹に事情を説明して呆れられた。

 妹の態度に腹は立ったけど、憎しみはなかった。


「いつから、……人助けるのが悪い事になったんだよ」


 最低限の支払いは、失業手当を貰って払っていた。

 でも、もう手当だって切れるし、二進にっち三進さっちも行かない。


 頭を掻きむしり、時間を見る。

 まだ昼間だから、今から家を出ても職安が閉まる時間まで間に合う。


 空っぽの財布をポケットに入れて、スマホを持ち、オレはソファを立った。


 *


 両脇を仕切り板で遮られた窮屈な空間。

 ここ最近、何度もお世話になっている窓口だ。

 オレが椅子に座ると、察しがついたように担当の職員は眉を持ち上げた。


「新田さん。仕事、見つからないでしょう」

「……まあ」


 新田にったアキラ。

 それがオレの名前だ。

 カウンターの上には、オレのナンバーカードが置かれている。


 髪がボサボサに長めで、眼鏡を掛けた男。

 顎には無精ヒゲが生えていて、全体的に暗かった。

 やさぐれているというか、我ながら余裕のない顔をしている。


「昔と違って、これ」


 ナンバーカードを指で叩かれた。


「本人の履歴。全部見られるからね。前科とか、すぐに分かっちゃうんだよね」


 便利な反面。やらかすと、どこまでも絶望的なカードだ。

 国民番号が書かれているカードは、文字通り情報の塊と言いたいのだろう。


「申し訳ないけど。新田さんを取る所ないと思うよ」


 オレは何も言わずに、頭を何度も垂れる。

 ハッキリと言われたら、そりゃ頭にくる。

 でも、言ってる事はもっともだ。


 オレが黙っていると、職員の男は頬を掻いた。


「ま、そうは言っても困るよね。新田さん、前科持ちで就職に就けないなら、いっそ支援プロジェクトに参加してみたら?」

「支援、プロジェクト?」


 聞いたことがない。


「今、国で募集してるの。まだ始まって間もないプロジェクトだから、新田さん参加できると思うよ」

「あの、支援プロジェクトって何ですか?」

「更生支援プロジェクト。犯罪とか、やっちゃった人達をね。支援するっていうか。サポートするっていうか。、業種は管理……職に……なるのかな」


 管理職、なんてオレに勤まるだろうか。

 オレは難しい作業なんてやったことがない。

 恥ずかしながら、資格と呼べる技能を持っていないので不安だ。

 オレの言いたい事を察したのか、職員の男は付け足した。


「あぁ、一応、現場に行く前に、研修あるから。初めてでも大丈夫」

「給料って、どれくらいですか?」


 給料などの条件を選べる立場じゃないのは分かってる。

 でも、重要な事だ。

 金に苦しんでる身としては、厚かましくても無視できない。


 職員は前屈みになり、声のトーンを落とした。


、30万」


 耳を疑った。


「月給では、なくて?」

「日給。研修期間中は安いんだ。それでも、日給は2万。一日ごとにね。週払いか、月払いか選べるから」


 これが名前も知らない会社なら、絶対に疑ってる。

 でも、国が運営しているもので、日給が高額ときたら、疑う人間はどれくらいいるだろう。

 オレは疑えなかった。


「そ、そんなに、貰えるんですか?」

「ほら。最近、治安良くないでしょう? 収容所だって人が足りない。ぼくもねぇ。聞いた話の受け売りなんだけどぉ。国内外問わず、犯罪者の数が問題になってるみたいでね。国が取り組んでるらしいよ」


 考える素振りをしてしまうが、心はとっくに決まっていた。

 それだけ貰えるという事は、キツい仕事なんだろう。

 もう妹には迷惑を掛けたくない。

 同時に、オレは妹に楽をさせたいって気持ちもある。

 何か、兄らしく物を買ってあげたい。

 プレゼントだってしてあげたい。


「……その、プロジェクト。参加希望でお願いします」


 妹だって、金がない苦しみ味わってるんだ。

 頼むから、仕事をくれ。

 楽にしてあげたい。

 その一心で、オレは志願した。

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