第3話 毒蝮三太夫さん 江戸っ子という縄文人らしさ

  2024年6月3日放送 ラジオ深夜便 「芸の道、輝き続けて」

  ゲストは、俳優・ラジオパーソナリティ毒蝮三太夫さん 

毒蝮三太夫さんと徳田アナウンサーとの約30分の会話を、私流に解釈したものであり、蝮さんの仰ったことをそのまま書き写したのではありません。

たとえば、蝮さんの仰る「江戸っ子」を「在来種純粋日本人」に、本当の江戸っ子ではない他所からやってきた偽物の江戸っ子を「外来種偽日本人」と見なす、というのは私平栗の勝手な解釈です。

また、蝮さんの仰ったことを拡大解釈した部分もありますが、概ね蝮さんの意向からはずれていない、と思います。

以下の引用は、毒蝮三太夫さんの生まれから立川談志さんとの出会い、笑点という人気番組に出演した経緯ははしょり、それ以後、蝮さんが一躍人気を博した「街角インタビュー」というラジオ番組で、蝮さんが学んだことについての話です。

<引用開始>

   NHKの伝説的な名アナウンサーであった鈴木健二さんとの対談で、蝮さんはこう言われたそうです。

「蝮さんね、あんた街角で集まってきた沢山の民衆・聴衆に向かって『ばばあ』とか『くたばりぞこない』なんて言ってるけど、あれは続けなきゃダメだよ。」


鈴木健二さんという方は両国の亀沢町辺りで生まれた、下町中の下町っ子です。その方が仰るには;

「下町っ子というのは、この東京に2割か3割しかいない。後の人は(戦後)東京に流入してきた人で、『ばばあ』とか『くたばりぞこない』なんていう、江戸っ子感覚を知らない、よそ者なんだ。そんな外来種人たちから、汚い言葉だとか文句を言われても気にしない方がいい。本当の江戸っ子(在来種純粋日本人)じゃないんだから。

江戸っ子はちゃんと聞いてるんだから、そんな人たちの偽(にせ)江戸っ子感覚に右往左往することはない。」と言われ、大いに心強くなった。

そんな江戸っ子(在来種純粋日本人)気質で、何十年も街角で様々な人たちとインタビューを重ねて来た、毒蝮三太夫さん独自の人間観察スタイル・パーソナリティーとしてのポリシーが述べられます。

<リアリティーの発見>

○  スタジオで聞くタレントや専門家の話よりも、街角で出会った素人の方が、よほど面白い人が多いし、いいことを言う。10人の内、3人は素晴らしいことを言う人がいる。そんな作りものではない本物の人間捜し、が蝮さんの生きがいでもあった。

○ そういう人たちと話す時は、変にかしこまったり格好をつけないで、べらんめぇ調(江戸っ子言葉)で気さくに話した方が本音が引き出せて面白い。

だから、収録が始まる前に世間話をして仲良くしておいて、そのままスッと本番になった方が、いい話が聞ける。

○ マイクロフォンでルノアールやゴッホになったつもりで、いろんな絵を描いてやろうじゃないか、と考えた蝮さん。


 ○  いいことをいう人間を探すには、その人の目を(よく)見て判断する。


 ○ 蝮さんに好意的な人間とは逆である「アンチ蝮さん」にも積極的に接近し、蝮さんを嫌いな奴を好きにさせる。これが蝮さんのもう一つの楽しみ。


 ○  もちろん、中には蝮さんの開けっぴろげの応対に逆に腹を立て、怒って帰ってしまう人も沢山いた。しかし、鈴木健二さんの仰った『大多数の人はアンチだと思っていい』『人生、二割くらいしか本当のところをわかっている人はいない。あとの8割の人がなんと言おうが、そんなことに右往左往することはない』という言葉を、蝮さんは信条にしていた。


 ○ マイクの使い方(振り方)

   スタジオのマイクは固定だが、外で通行人と話す時は、普通は自分が話す時には自分にマイクを向け、相手に話してもらう時には相手に向ける。


しかし、蝮さんはそれがよくない、ということに気がついた。

相手が話す時にマイクを向けると、相手は身構えて(マイクを意識して)素直な心で話ができなくなることが多い。

そこで、蝮さんはスタッフに指向性の広いマイクを所望して、それを自分と相手の真ん中において、自分が話す時も相手が話す時もほとんど角度を変えることなく(相手がマイクの存在を意識することがないように)会話するようにした。

○ 現場に集まってきた聴衆が大人でも子供でも、彼らに「本音を語らせる」。

  ここに毒蝮三太夫さんの真骨頂がありました。自分が本音で話すことで、相手にも真実を語らせる・相手の素のままを見せてもらう。

○ ところが、それを行うのに、テレビではダメ。

  ラジオだからこそ、人間対人間の対話ができる。

  テレビという、人の顔の表情や着ている衣装・振り(ふるまい・動作・挙動)が見える媒体を通すと、逆に真実が歪められてしまう。「印象操作」という言葉がありますが、話の内容よりもその人の印象・テレビでの映り具合によって話の内容がぼやけてしまう、ということがある

また、テレビカメラを意識するから、素人は本音が出にくいし、タレントのようなカメラ慣れしている人間がそこに入り込んだ場合、そのタレントはよけい嘘をつく(格好をつける)ようになるから、ますます、「本音のトーク」が出てこない。そうなると、会話が面白くなくなってしまう。

テレビのバラエティ番組のように、はじめから筋書きがあり、すべてが、やらせ・芝居で進行する作り話であれば、それはそれなりに面白いかもしれない。しかし、街頭に出て、一般大衆の本音を拾って世の中の真実を知ろう・楽しもうという企画(番組)であれば、なんといってもラジオが一番。

映像に頼りがちなテレビと違い、言葉だけだから、パーソナリティーも集まってきた人集も言葉に工夫する、想いを込めて一生懸命話す。だから、音と映像のテレビより、音だけのラジオの方が、むしろ人の思い・意志・心が、ラジオを聞く聴衆に伝わってくる。

これは視聴者の側にも言えることで、テレビだと、ついなんとなく観ていることが多い(緊張感がない)が、ラジオの場合は集中して聴こうとする。ここにもまた、受け手にとってのテレビとラジオの伝達力の違いが出てくる。

(この辺りは、私平栗が蝮さんの真意を理解しやすくするために、かなり拡大解釈しています。)

○ しかし、その為には、ラジオの場合はアナウンサーやパーソナリティーが、人生に於いて経験豊かな人でないと、相手がプロでも素人の一般大衆にしても、彼らからうまく話を引き出せない。

○ また、どんな時でも笑顔で接する。

相手に(冗談で)悪態をついても、逆に「蝮なんか嫌いだ」と悪態をつかれても、笑顔で応対する。そういう心のゆとりを持って相手を包みこくようにしないと、(行き当たりばったりの素人さんから)いい話を聞き出すことができない。

○ スタジオと現場(蝮さん)とのガチンコ対決、という姿勢で臨むことが大切。

スタジオは遠隔操作で現場の蝮さんを使って、いい話を拾おうとする、蝮さんが拾った話をスタジオでうまく料理して・加工して、ラジオの聴衆に効果的に伝えようとする。

現場の蝮さんは、自分が独自のアプローチによって引出した面白い話・ためになる話だけで充分聴衆に受け入れられるようにしたい。

その意味では、スタジオと現場との「緊張感」がうまれるし、また、そういう緊張感のある関係でなければならない。スタジオと現場との真剣勝負という緊張感こそが、いい番組作りにおけるひとつの原動力となっていた。

テレビにおけるスタジオと現場のアナウンサー・レポーターの関係とは、往々にして馴れ合いになってしまう。テレビの場合、馴れ合いでも、映像によってごまかすことができてしまう。視聴者が勝手に映像から推測してくれるだろう、という甘えが入り込む、ともいえる。

○ 毒蝮三太夫さんの誇りは「正直に」「素のままの自分で」生きてきた、という点にある。「クソばばあなんて言っても、それは江戸っ子(在来種純粋日本人)らしい正直な愛という心情であり、ウケ狙いではなかった。だからこそ、多くの聴衆に支持されて来たのだろう。

○ 「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し。口先ばかりではらわたはなし」

相手の目を見てストレートにはっきりとものを言う。横を向いて話したり、目を逸らしたり小さな声で言うと、相手と心が通じない。「自分にはなんの嘘も謀(はかりごと)もはったりもない=はらわたがない」ということを、自分の態度で示すことで、どんな初対面の人とも「腹を割って」話すことができる。

○ 「仲間意識」で人に接する大切さ。

偉ぶったり上から目線ではなく、あんたの仲間なんだよ、という平等目線で話しをする。自分に対してネガティブな人に対しても同じ。まさに、縄文人的感性です。

 2024年6月13日

 V.2.1

 平栗雅人

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NHKラジオ(FM)で聴いた 縄文人ちょっといい話 V.2.1 @MasatoHiraguri

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