第9話 獣道

 空木、石山田、飯坂の三人が、確保した塚水とともに奥多摩署に着いたのは、雨上がりの夜七時過ぎだった。

 塚水の事情聴取は明日の朝から行われることになり、空木は取調室の隣の部屋からマジックミラー越しに、塚水の供述を聞くことが許された。

 その夜、空木の慰労と捜査協力への礼を兼ねて、岡田、石山田、飯坂の三人が食事の場を用意した。

 「空木さん、ありがとうございました。まだ解決した訳ではありませんが、塚水の確保は、解決への大きな前進です。感謝します」岡田は小さく頭を下げながら、協力費と書かれた封筒を空木に渡した。それは空木が以前にも受け取ったことのある協力費で、今回は四日分を受け取ることになった。封筒をズボンの後ろポケットに入れて座り直した空木は、

「岡田さんは、塚水が赤城殺しの犯人と見ているんですか」と単刀直入に聞いた。

 「車のトランクの血痕、コンビニの防犯カメラに映った車と、塚水と思える男の画像からは、死体遺棄に関しては有力な容疑者ですが、赤城を殺害したかどうかは、塚水と赤城との関係、動機、殺害場所、凶器などが解明されない限り断定することは出来ません。明日からの事情聴取でどの位聞き出せるか、塚水の供述にかかっています。空木さんは、塚水が赤城を殺害して遺棄したと思っているんですか」

「いえ、死体遺棄には関わっていると思いますが、殺害したのは別人だと考えています。ただ、私は赤城の殺害に至る原点は、横山さんの転落というか、横山さんのスマホにあると考えています」

「‥‥横山のスマホですか‥‥‥」

岡田にとっては初めて耳にする話だった。

 空木の隣に座って居た石山田が空木に代わって、横山忠のスマホに関しての一連の流れ、出来事について説明し、畑上の関与が疑われるという推理を話した。

「石山田、その推理は空木さんの受け売りだな」と岡田は言って空木を見た。

「空木さんは、つまり横山さんの転落には畑上が間接的に関わっていて、直接動いたのが塚水と赤城と見ている、ということなんですね。スマホの存在を一切知らされていない塚水が横山さんに薬を飲ませ、赤城がスマホを奪い取る。その赤城が何らかの理由で畑上に殺害された。その死体を運ぶために塚水は使われたということですか」

「はい、そう考えています。さらに言えば、塚水に七ツ石で偽名を使わせたのも、赤城の死体を遺棄した後、塚水に逃げるように指示したのも、畑上だと思います。横山さんの転落も、赤城の殺害、死体遺棄も全て塚水の単独犯に仕立てようとしたのだと思います」

「もしや‥‥、畑上は塚水を殺そうとしていたと、空木さんは考えていたんですか」

岡田の問いに空木は頷いた。

「畑上は、塚水をどこかに呼び出して殺そうと思っていた筈です。それが自分への捜査が予想以上に早かったために、それが出来なくなってしまったと、私は思っています」

空木はそう言った後、三人に断ってショートホープに火をつけ、燻らせた煙を目で追った。

 

 塚水の事情聴取は朝九時から始まった。聴取は岡田と石山田が、調書は飯坂が取った。

 岡田の第一声から始まった。

 「横山忠さんの転落死、赤城太さんの殺害、死体遺棄、全て塚水さんあなたがやったことですね」

「え‥‥‥‥‥」その一言で、無精髭を生やしたままの塚水の顔は、明らかに動揺し引きつった。

「そうなんですね。七ツ石での偽名、車のトランクの赤城さんの血痕、コンビニの防犯カメラの映像、そして三週間にわたる逃亡。これらの全ての状況証拠は、あなたが二人を殺害した犯人だと言っていますよ」岡田は畳みかけるように、そして追い詰めるように言った。

「違います。私は誰も殺してなんかいません。横山には、山で薬を飲ませただけ。赤城と言う男は、死体を棄てるのを手伝っただけです」塚水は叫ぶように言った。

「赤城を殺したのは誰なんだ」石山田が問い詰める。

「畑上支店長です」塚水はあっさりと、そして何の躊躇ためらいいも見せることなく話した。

 岡田は、静かに席を立ち、取調室を出て、畑上の任意同行と会社、自宅の家宅捜索を捜査本部に指示をした。

 塚水は、死体遺棄容疑で緊急逮捕され、以後の取り調べは石山田が行うこととなった。塚水の、赤城太の死体遺棄への関りはこうだった。

 五月十六日木曜日の夜七時半ごろ、畑上からの呼び出しがあり、八時半に新宿中央公園の十二社通り沿いのロードパーキングに車を停めて待っていろ、との指示を受け、その通りにした。九時前頃に携帯が鳴って、公園に来いと言われ、行ったら茂みに人が倒れていた。この人は誰で、何をしたのか聞いたら、こいつは赤城と言ってお前が横山に薬を飲ませたことを知っていた。だからお前のために殺したんだと言われ、死体を運ぶのを手伝えと言われた。トランクへ死体を押し込んでどこへ行くのか聞いたら、畑上は、横山と同じように山で転落して死んだことにするから、お前は車で行けるところを考えろと言われた。過去何回か歩いている鋸山の直下を選んだ。あそこなら大ダワまで林道を車で上がれると自分が言って、奥多摩を目指した。畑上の指示でハイキングでの転落死に見せかけるために、デイバッグは自分の車に常に置いてあったものを使い、途中のコンビニで水とおにぎりを買ってデイバッグに入れた。

 凶器は、畑上が用意した長さ六十センチぐらいのバールだったが、奥多摩駅近くの多摩川に架かる橋の上から捨てた。奥多摩から初台の畑上のマンションに着いたのは、日付が変わった金曜日の午前三時近かった。畑上からしばらく東京から離れろ、休みを取って山へ行けと言われた。連絡はこちらからすると言われたが、一度も畑上からの連絡はなかった。

 塚水は供述を終えて、「喉が渇きました」と、出されたペットボトルのお茶を飲んだ。

 「横山さんに薬を飲ませた話は後で改めて聞くが、お前さんは赤城とどこで知り合ったんだ」

石山田が、塚水がお茶を飲み終えるのを待って詰問した。

「いえ、全然知りません。だから畑上支店長が、こいつはお前が横山に、と言った時に何で知っているのかと思いました。その時は気が動転して言われるままでしたが、東京を離れて山に入った時、おかしいと思いました」

「赤城と以前に山登りの相談をした事はないのか」

石山田は以前、畑上が聞き取りの時に言った、赤城が塚水と山の相談をしていた、という畑上の話を頭に浮かべて訊いた。

「赤城という名前も知らなかったですし、さっきも言った通り、会ったことなんかありません」

 石山田は、畑上が聞き取りの際に話していたことを塚水に伝え、畑上が塚水を犯人に仕立てようとしたのだろうと、石山田の推理を話した。

 塚水は両手を握りしめてうつむいたまま、「なんて奴だ」と呟いた。

「畑上は何故、赤城を殺したと思う」

「全く分かりませんが、横山に薬を飲ませただけの私を守るために、赤城を殺したとは到底思えません」塚水の口調には怒りがこもっていた。

「次にその薬のことを聞かせてもらいたい。お前さんは、畑上に弱みを握られていたそうだな」

石山田の言葉に、塚水はハッとして「そこまで調べているんですか」と言ってまた俯いた。

 しばらく黙っていた塚水が、横山忠に薬物を飲ませた顛末を話した。

 四月の初旬に、畑上から横山と一緒に山に登って、偽名でテント泊をしてこの薬を朝飲ませろ、お前は飲ませるだけでいい、その後は横山とは別ルートで下山しろと言われ、薬を渡された。その薬は自社の睡眠導入剤のデポスミンという細粒の薬だった。デポスミンは抗不安剤と超短時間型の眠剤の合剤で新薬として、昨年から発売されているマルス製薬の期待の新薬だった。自分もMRであり、デポスミンを朝飲んだらどういう状態になるか想像はついたが、弱みを畑上に握られていて受けるしかなかった。

 そして、横山に久し振りに一緒に山に行こうと連絡したところ、四月二十日土曜日に鷹ノ巣山に日帰りで登る予定だと言った。泊りにしないと朝薬を飲ませることは出来ない。そこで自分は、雲取山の帰りに七ツ石でテントを張るから、一緒に泊まろうと誘った。横山はOKした。

 四月二十日の土曜日、自分は早朝に車で鴨沢に行き、雲取山に登り、下って七ツ石でテントを張った。横山は既に着いていた。小谷原幸男という偽名でテント泊の申し込みをした。小谷原の偽名を使ったのは、たまたま他社の人事情報を薬業新聞で見たのが、ライバル社の京浜薬品の四月一日付の所長昇格の人事だったためで、住所は京浜薬品のMRに聞いたところ国立ではないかと言っていたので、イチかバチか使った。

 翌日の四月二十一日、日曜日、七ツ石のテント場を早立ちし、鷹ノ巣山の山頂でコーヒーを淹れ、そこで横山のコーヒーにデポスミンの細粒を混入した。横山は素晴らしい眺望を見ていて気が付かなかった。飲み終わって十分ほどして石尾根を下山にかかった。二十分ほどして横山がふらついて来た。水根の分岐で、ここで別れて下山して六ツ石山の肩で落ち合おうと提案したところ、横山は黙って頷いた。この時横山は既に意識が朦朧としていたようだ。それが横山との最後になった。横山の死亡は翌日の新聞で知った。

 「横山さんのスマホについての畑上からの指示はなかったのか」

塚水は首を横に振って「何もありませんでした」と答えた。

「塚水、お前さんそのデポスミンとやらを朝飲んだらどういう状態になるかは、想像がつくと言っていたが、それを山で飲んだら転落して死ぬかも知れないと思わなかったのか」

石山田の問い掛けに、塚水は黙り込んだ。

「それを未必の故意と言うんだ。殺意があれば未必の殺意、立派な犯罪だ。自分の身を守るために人の命を奪ったんだぞ。分かっているのか」

 石山田の怒声に、塚水は机に突っ伏して嗚咽おえつを漏らして泣き、声を絞り出した。

「‥‥‥申し訳ありません。とんでもないことをしてしまいました」

 取り調べを終わった石山田は、岡田に塚水の供述内容を伝え、捜査本部は明日以降、奥多摩駅付近の多摩川で赤城を殺害した凶器を捜索することとなった。

 ちょうどその時、上高地の捜索の際に依頼していた筆跡鑑定の結果が、石山田と飯坂のもとに届けられた。山田克之という文字以外は、全て同一人の筆跡と考えられるという結果だった。

 「空木さんの意見を聞いて正解だったということですね」と飯坂が石山田に言った。石山田は頷いた。


 日本橋本町のマルス製薬の本社ビルは、東京支店は勿論のこと、本社全てが動揺、騒然としていた。

 畑上和行という現職の支店長が、死体遺棄容疑で任意同行を警察に求められるという、異常な状況に慌てるのは当然だった。マスコミに知れた時のために、プレス発表の準備、そのための情報収集という、企業としてのリスク管理が問われる場面が、目の前に迫っているのだ。

 畑上が警視庁のパトカーで奥多摩署に着いたのは、昼の十二時過ぎだった。畑上は、塚水と入れ替わるように取調室に入った。

 空木は留置室に移った塚水との面会が許された。面会室の塚水は椅子に座ってうなだれていた。

 「塚水さん、私は亡くなった横山忠さんの奥様から依頼を受けて、横山さんの転落事故を調べてきた空木と言います。少しお話しさせて下さい」

 塚水の反応はなく、うなだれたままだった。

 「あなたが名古屋の中京第一営業所に所属していた当時、経費の不正処理をした理由は、二人目のお子さんが生まれて、自分の小遣いをゼロにした事が原因で、魔が差してしまったのですね」

 塚水は空木に視線を向けた。その眼は、この男が調べたのかと言っているようだった。

 「それまで所長のパワハラとも戦ってきたあなたが、保身に転じてしまった。退職された瀬沼敬二さんをご存じですね。あなたを慕っていましたよ。何故、過ちを償う勇気を持てなかったのですか。ご家族を守りたかったのですか‥‥。もしそうだとしたら、それは全くの間違いだったと私は思います。人間は誰でも間違いを犯します。会社人生の中でも、人には言えない大きなミスをすることもあるでしょう。負けることもあるでしょう。それが人間です。家族を守るというのは、そういう過ち、失敗に立ち向かって行く勇気を持つことから始まるのではないですか。そして、また家族がその勇気を与えてくれる。家族愛というのはそうして育まれていくのではないでしょうか。あなたが勇気を持てなかったばかりに、畑上を失脚させようとしていた横山さんの命を奪い、赤城の命を奪い、そしてご家族を失意の底に置くことになってしまったのですよ」

 俯いていた、塚水が顔をあげて、

 「畑上を失脚させようとしていた。横山が‥‥‥」呟いた。

「やっぱり知らなかったのですね。横山さんは、畑上を訴えるために、セクハラの場面をスマホの動画で撮っていたのです。そして内部通報までしていました。あなたが勇気を持って立ち向かっていたら、畑上は失脚し、誰も命を落とさずに済んでいたのですよ」空木は、塚水から目を逸らさなかった。

塚水は顔を手で覆い、「‥‥馬鹿なことをしてしまった」と絶句した。

「あなたがこれから出来ることは、罪を償い、勇気を持って生きることです。奥さんも心配していますよ。ご家族と一緒に勇気を持って生きることです。ご家族を守っていくことです」

 塚水は、こぼれる涙をぬぐおうともせず空木に顔を向け、

「横山の奥さんに、本当に、本当に取り返しのつかない、とんでもないことをしてしまったと詫びていたと伝えてください」そう言って塚水は深々と頭を下げた。


 空木が塚水と面会室で面会している間に、岡田と石山田によって畑上の事情聴取が始まった。

 畑上の聴取は、すぐに死体遺棄容疑、殺人容疑の取り調べに変わった。畑上は、塚水を呼び出して、塚水の運転する車での赤城の死体遺棄は認めたが、殺人は認めず、揉み合っているうちに頭をコンクリートにぶつけて死んだ、過失致死だと主張した。

 「バールは持っていなかったのか。バールで赤城の頭を殴ったんじゃないのか」

石山田が問い詰めたが、畑上は、

「バールはスマホを壊すのに使っただけだ」と言い逃れた。

 

 始まりは、畑上が横山忠の内部通報を知った時からだった。畑上は、常務の田神から呼び出され、横山というMRがお前をセクハラで訴えた。決定的な証拠としてスマホで撮影した動画も持っているそうだと教えられた。この通報が内部統制室まで行ったらお前は終わりだ、と言われた。

 「スマホにどんな動画が映っていると思ったんだ」石山田の問いに、畑上は首をかしげて「分からない」と答えた。

「貴方は、どんな動画か分からないのに奪い取ろうとしたのか」岡田が言った。

「常務から教えてもらったら、それに答えるのは当たり前のことでしょう。教えてくれたということは、私には奪い取れという常務の指示と同じことです。上司の指示に従わない部下は、上司にとっては無用の長物です。仕事などは誰がやっても変わりません。上司の指示に如何に忠実に従うかが組織内での差になるんです。あなた方には分からないでしょうがね」

 畑上は、自慢するかのような顔で、岡田の顔を見て馬鹿にしたような笑みを浮かべた、ように岡田には感じた。

 「貴方は、自分がしたことで、人が二人も亡くなっていることをまだ判っていないようだ」岡田は強い口調で言って、畑上を睨んだ。

 そして畑上は、横山のスマホを奪い取るため、山を利用することを考えた。名古屋にいた当時から横山の山好きは知っていた。そこで、弱みを握っている塚水と、金を欲しがっている赤城を利用しようと考えた。自分の弱みになるスマホの事は塚水には言わずに、横山に薬を飲ませることだけを命じ、自社の薬剤のデポスミンを渡した。そして赤城には、意識朦朧としている横山からスマホを奪い取ることを五十万円で依頼した。横山がまさか死亡するとは思っていなかったと言った。

 「部下の弱みは握っても、自分の弱みは掴ませないということか」腕組みをしながら岡田が言うと、畑上は、「当たり前です。上に立つ者が下に弱みを握られてどうするんですか」と岡田を睨みつけるように言った。それを聞いた岡田と石山田は顔を見合わせた。

 さらに畑上が、赤城から聞いた話では、横山はフラフラしながら取られたスマホを取り返そうと追いかけてきたが、ガレた急な下りで崩れるように転落した。

 「その薬はマルス製薬の新薬で、山で朝に飲んだら、とても山道を歩けるもんじゃないぐらいは、女性に薬を飲ませたこともあるお前だけに、分かっていた筈だ」石山田が言うと、畑上は横を向いて黙った。

 ところが、赤城が奪った横山のスマホは、すぐには畑上の手には入らなかった。赤城は、デジタルフォレンジックの手法で横山のスマホの中に入り、動画を見つけたようだった。そして、五十万では安いと言って脅してきた。毎月五十万円で十回、合計五百万円を要求された。一回目は四月下旬に百万円を渡した。二回目は五月十六日の木曜日で、その際スマホを赤城から奪おうとして揉み合いになり畑上の主張する事故が起こった。赤城から奪ったスマホは、赤城のスマホ共々バールで粉々にして公園に捨てた。死体は塚水が運転して山まで運び、自分がスマホで山道を照らして先導し、塚水が死体を背負って運んだと供述した。塚水への逃亡の指示は、自分はしていないと言い、赤城と塚水が事前に山の話をしていたというのは自分の勘違いだったと言った。

 「塚水は、お前に山へ逃げろと言われたと言っているぞ。その後もお前から連絡すると言われたが、連絡は無かったとな。お前、塚水の口を封じようと、つまり殺そうとしたんじゃないのか」

 石山田は机に身を乗り出すようにして畑上を睨みつけた。

 「馬鹿なことを言わないで下さい。殺そうだなんて、何の証拠があってそんなことを言うんですか」

「確かに証拠は無いが、赤城と塚水が知り合いだったとか、山へ逃げろとか、お前が塚水に全てを押し付けようとしたことは間違いなさそうだから、言っているんだ」

 畑上は押し黙った。


 石山田は、畑上の取り調べを終えて、「最後まで自分の身の保身しか考えない男なんですね。何としても凶器のバールを見つけたいですね」と言うと、岡田は黙って頷いた。

 

 塚水との面会を終えた空木は、畑上の取り調べを終えた岡田たちを待って、奥多摩署を辞去する挨拶をした。

 「空木さんの推理通り、畑上が元凶でした。塚水は赤城の死体遺棄と横山への未必の故意としての殺人罪を問われることでしょう。問題は畑上です。赤城の殺人については、死体遺棄は認めたものの過失だと主張して殺人は否認していますし、横山の転落に至っては殺人教唆きょうさを全面否定している状況です。我々としては塚水が証言した凶器のバールを見つけて、畑上の殺人罪を問うことが残された仕事です」

「畑上は、厳しい社会的制裁を受けるでしょうが、命を懸けることになってしまった横山の思いはどうなんでしょう。畑上に真の反省を求めるためにも事実を見つけてください。岡田さん、飯坂さん、巌ちゃん頑張ってください」空木はそう言って頭を下げた。

 夕暮れの中、奥多摩駅に向かって歩いて行く空木に石山田が声をかけた。

 「健ちゃん、お疲れ。俺たちは明日から多摩川の捜索だけど、健ちゃんはどうするんだ」

「まずは小谷原さんと、横山の奥さんに報告するつもりだよ。それから、誰からも頼まれた訳ではないけど、俺にとっては許しておけない、人間の皮を被ったけだもののような人間に、俺なりの一矢を報いたいと思っている」

「そうか、じゃあ、頑張って。また一杯やりながら話しを聞かせてくれよ」

 二人は、「じゃあな」と言って手を挙げながら別れた。

 

 壊されたスマホの残骸は新宿中央公園の茂みから見つかり、凶器に使ったと思われるバールは、翌日の捜索で、多摩川にかかる昭和橋の下、多摩川右岸の河岸の草むらであっけなく発見された。塚水の証言通り、長さ六十センチの黒いバールだった。風雨に晒され指紋は検出出来なかったが、ルミノール反応は検出された。川中に落ちずに河岸の茂みに落ちたことで検出されたと思われた。この時、石山田は横山の執念がこの結果を導いたのだろうと思った。

 

 再度の取調べに畑上と向き合った岡田と石山田は、発見されたバールを畑上の前に置いた。

 「畑上、塚水の証言通り多摩川の河岸からバールが見つかった。このバールから血液反応が出た。お前は、赤城と揉み合っての事故だと言ったが、このバールから血液反応が出た以上、もうそれは通用しないぞ。お前は赤城を殺した、身勝手極まりない殺人だ」石山田が声を荒げて言った。

 無言で反応のない畑上に、岡田が静かな口調で続けた。

「畑上、我々は協力者の力も借りて、お前さんの名古屋当時から、今回の事件に至るまでの行状を知ることになり、お前さんの人間としての醜さと、お前さんに傷つけられた人間の多さに唖然とした。そして、社内での保身、見栄、虚栄のために二人の命まで奪った。その上、最後は塚水に罪を負わせようとしている。お前は人の上に立つべき人間ではなかった。我々は、いや世の中はそんなお前を絶対に許さない。必死になって、生きようとしていた人間の未来を奪ったお前には、厳しい罰と社会からの制裁を受けてもらう」

 何の反応もなく、呆けた目で中空を見つめていた畑上は、突然顔をゆがめ、両手で頭を抱えて体を折った。そして唸り声とも泣き声ともつかない声を上げた。その姿は自分の犯した罪を悔いているのか、昇進の階段が崩壊したことを嘆いているのか分からなかったが、石山田にはその声音は、暗闇の中に潜むけだものの断末魔のように聞こえた。

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