第2話 約5年来の彼女とは会話ができない
花音……もとい
もちろん中学校も一緒だったし、小学校だって同じだし、隣の家に住んでいる。
だが、あの病室で西原が口にした『もう二度と私の前に現れないで!』という言葉が言霊となっていたのだろう。
あれから約5年。この世から去ったのではないか?と勘違いしてしまうほどに、西原と出くわすことがなかった。
「…………」
「…………」
けれど、突然としてその言霊の呪いは解けてしまった。
高校に入った途端、忽然として西原が俺の前に現れてきたのだ。
入学式で全校生徒の前に立ち、新入生代表としてマイクに声を入れる西原の姿が俺の視界に入ったのだ。
短かった茶髪も背中まで伸び、小さかった身長も伸びていて、なにより立つことすらままらなかった足で階段を登っていたんだ。
最初こそ分からなかったが、どことなく面影があり、なによりスピーカーから聞こえる『西原花音さん』という言葉ですぐに分かった。
親から治ったという報告は聞いていたが、改めて目にしたときは泣きそうになったさ。
身体が弱かったはずの幼馴染が回復して、こうして歩いているのだから。
でも、その嬉しさとともに後悔も込み上がってきたんだ。
小さい頃に発言してしまったあの言葉が心を蝕み、笑みを浮かべていたはずの表情は自然と曇ってしまった。
聞こえていたはずの西原の声なんて、脳が勝手に耳をシャットダウンさせたことで聞こえなくなり、込み上げてくる黒歴史を抑え込むのに必死になった。
だからまぁ、あの時のことを思い出さない最低限のあがきとして今は西原と呼んでいる。
もちろん本人に西原という苗字で呼んだこともないし、これからも呼ぶつもりはなかった。
……のだが、教室に移動したあと、居たのだ。
同じクラスで、少し離れた席に座る彼女が。
どうやら西原も最初は俺のことに気がついていなかったらしく、自己紹介を終えて初めて目を見開いていた。
もちろんこちらなんて見ることなく、窓の外を向きながら。
同じクラスになったことには驚いた。
けど、正直どうにかなると思っていた。
これまで会わなかったのは、どちらも細心の注意を払っていたから。
でも今回は運が悪かっただけ。
だからこれまで通りに細心の注意を払ってさえいれば話すことなんてないし、顔を見合わせることなんてない、そう思っていた。
けど、来てしまったのだ。
夏休みも終わり、2学期が始まったとある日に行った席替えで、1番起こってほしくなかったことが起きてしまったのだ。
黒板に書かれた番号に机を移動させ、椅子に座って外を眺めてる時だった。
西原がやって来たのだ。俺の隣に。机を押しながら。
もちろん俺とてあがきは見せたさ。
『隣の人とプリント交換しろ』と教師に言われても、前の席の生徒とプリントを交換してたし『隣のやつと英語で話し合え』と教師に言われても、一目散に前の席の生徒の肩を叩いた。
でも、そんな光景を、空の上の誰かが気に食わなかったらしい。
正直、ここまでよく耐えれたなと思う。
同じクラスにさせられ、隣の席にさせられ。
この5年間出会わなかったことが、まるで反動として返ってくるように襲いかかるこの仕打ちは、等々チェックメイトへと差し掛かっていた。
「……ん」
生物の授業が終わり、頬杖をつく西原はそっぽを向いたままノートを差し出してくる。
「ん……」
同じように頬杖をつく俺は、喉だけで返事をし、地面に視線を向けたままノートを受け取る。
帰りのHR前というのもあってか、教室中は騒がしい。
けれど、騒音に穴が空いたかのように、教室の端の席では気まずさに包まれていた。
別に生物ぐらい教科書を見ればなんとかなる。
遺伝子組換えだとかDNAだとか。ノートを写さなくたって、教科書とワークさえ勉強しとけば点数は取れる。
だがまぁ……このノートを受け取ってるということは、断れなかったということ。
先生がニッコニコで提案し、クラス中の連中は羨む目で見てくるのだ。
そんな状況で断れるとでも?
カチカチッとシャーペンの芯を出し、先ほど貰ったノートを開く。
これまた綺麗に書かれた文字がよく目立つ。
オレンジから青まで、多色を扱う西原のノートは先生が言った通り参考になる。
まぁだからと言って、俺まで色を使い分けることはしないのだけれど。
筆箱から赤と青のボールペンを2つ取り出し、ルーズリーフに書き写していく。
なにも考えることなく、頭を空っぽにした状態で、ただひたすらに手を動かした。
だが、たかが10分で全ての文字が書き移せるわけもなく、教室に入ってきた担任が「荷物片付けろー」と命令してくる。
そんな言葉に俺だって逆らったさ。
聞こえないふりをして、とにかく手を動かした。
……案の定こちらの席までやってきた先生に肩を叩かれてしまったのだが。
「この後PTAのなんかがあるらしいからさっさと帰れよー」
教卓に手をつく先生は、曖昧な言葉を口にした。
部活に入っていない俺からすれば、帰る時間なんていつでも同じだ。
だが今日だけは、今日だけは学校に残らせてほしかった。
ジッと手元にあるノートに視線を下ろす俺は、尻目に隣を見やる。
なにひとつとして表情を変えない西原は、相変わらず頬杖をついたまま先生を見ていた。
こいつはなにも思ってないのか?
俺にノートを1日預けるんだぞ?嫌じゃないのか?
悶々とする気持ちだけが胸に渦巻く中、委員長が「起立」と号令をかけた。
ぞろぞろとカバンを肩にかけ、この後の予定を決める生徒たち。
俺とて友達がいないわけではない。が、放課後遊ぶほどの仲のやつは居ない。
遊ぼうと思えば遊べるし、誘おうと思えば誘えるんだぞ?
決して友達が居ないわけじゃ――
「明日……」
椅子に座り直した俺のもとに、隣から細い声が届く。
だが、『明日』に続く言葉なんてなく、尻目にそちらを見れば、察しろと言わんばかりに視線を動かす西原。
「え、あ……おう……」
なんて、言葉になっているのか怪しい返事をした俺も目を見ることはない。
だからだろう。一瞬にして会話が終わり、気まずい雰囲気だけが残った。
約5年ぶりに話す幼馴染。
入学式の時に聞いた、あのハキハキした口調なんてどこにもなく、昔の弱々しい西原を彷彿とさせる声。
そんな声に、俺は正直落胆した。
まぁあんな別れ方をしたのだからこうなることぐらい予想はつく。
けどもう少し、言葉があって良いと思った。
だって『明日……』だけなんだぞ?
久しぶりに話すんだから他にも言えよ。
動揺して変な言葉出たじゃねーか。
スッと視線を自分の机に戻す俺は、吊り下げからカバンを取って荷物をまとめる。
それからの隣のやつは知らん。
荷物をまとめているのかも、筆箱を片付けているのかも。
視線ひとつ向けず、慎重にノートをカバンに入れた。
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