台風が来る

上月祈 かみづきいのり

台風が来る

「ねぇ霧島くん、台風が来るんだって」

 前の席に座る天野さんは体を後ろによじり、目をキラキラ輝かせて僕に話しかけた。夏休みを終えて九月が始まったばかり。僕は鬱々とした気持ちで生返事をした。彼女は僕の気持ちを察しないので、

「あなたのおかげだね」

 と微笑んだ。声色まで含めて微笑んでいるのだ。

 クラスのいたるところでクスクスと笑う声が聞こえる。しかし僕はそれにかまうことなく返事をした。

「なんてことないよ」

 僕は霧島優斗という名の雨男。小学校の遠足では必ず雨が降り、その度にクラスメイトは僕のせいにした。

 そして彼女は天野由依ゆい。僕とは対照的に晴女。

 驚くことに彼女は一度も台風を経験したことがないそうだ。五月に転校してきた天野さんは自己紹介でこう挨拶した。

「私は晴女であることが唯一の取り柄です」

 そのあとすぐにクラスメイトが『霧島優斗は雨男だ』という情報を彼女に吹き込み、雨男という特性に興味を持った彼女は僕に話しかけてきた。あれはいわゆる取り調べだった。

 際立った晴女とドン底の雨男のいる教室はたしかに面白いかもしれない。恵みと災いに関する扱いに異議はあったが、僕は意地で隠し通した。

 でも、それがきっかけで僕たちは友達になった。

 彼女の実際は晴女以外にも顔立ちの良さや秀でた成績など長所はいろいろとあるが、彼女はそれらを鼻にかけることは一切しない。

 そんな天野さんは生まれて初めての台風直撃にとても興奮しているようだった。

「台風が来たら何する?」

 台風の襲来という事態をどう捉えているのだろうか?

 まるでこれから皆既日食を観測するかのようだ。

「寝る以外にやることない」

 投げやりに答える僕を無視して天野さんは、

「そうだ、雨の中を一緒に走ろうよ」

 と提案してきた。彼女の中では名案らしい。

 僕は「いいよ」と答えてしまった。もちろん冗談への返答としての冗談のつもりだった。彼女が僕なんかと行動しようと提案してくれたのがうれしかったからだ。

 彼女はからかっているだけだろう。だから了承したのだ。

 それが仇となったのは言うまでもない。

 台風の当日、天野さんから電話があった。

「今から学校に来てよ」

 だそうだ。

「この暴風の中を?」

 横殴りの雨が自室の窓に打ち付ける。それを見ながら怪訝な声を返した。

 彼女は思い出したように、

「あ、私服はダメだからね。制服で」

 と付け加えた。

「今日、学校に行っても出席にならないから休んでも皆勤賞を逃すことはないよ?」

 天野さんは僕の交渉には答えず「待ってる」とだけいって電話を切った。

 彼女は本当にずっと待っていると思う。

 そんな気がした上に本当にその通りだったら困る。僕はベッドから降りて言われた通りに制服に着替えた。家族を適当にあしらいつつ手ぶらで学校に向かう。傘は役に立たないと思ったので持たなかった。

 天野さんは台風を学生らしく迎えたいのだろうと僕は決めつけた。わざわざ制服をずぶ濡れにする理由が他に思いつかないからだ。

 いつも通り歩いて学校に向かう。

 こんな日に学校に行くのだから皆勤賞ではなく生活態度の評価を三割増しにできる賞が欲しい。あるいは、遅刻二日分くらい帳消しにして欲しい。

 さて、十分ほどして僕は学校に着いた。

 すぐに校門の向こう側の敷地内に天野さんを見つけた。

 やっぱりびしょ濡れの制服姿だ。彼女の足下には壊れた赤い傘がうずくまっていた。

「遅い」

 天野さんはふてくされているようだった。

「来てやったんだから文句言うな。全く、なんで制服なんだよ」

 天野さんは「学校だから」とそっぽを向いたままねている。

尖らせた口のせいで幼児の理屈のようだ。

「それで、何がしたいんだよ?」

 校門をよじ登りながら僕は聞いた。だが、彼女は頃合いを見計らっていたようだ。僕が敷地に侵入するや否や月まで弾むような声を飛ばした。

「走ろう。思いっきり叫びながら」

 天野さんは僕の手をひったくると、グラウンドを目指して駆けていった。

「ちょっ、まっ」

 僕は転びそうになるのをギリギリでこらえ、天野さんについて走った。彼女は、

「ワー!」

 と叫んでいた。

 やれやれ、もうどうにでもなれ。

 雨男も観念して台風の中を叫んでやることにした。

 グラウンドを叫びながら走り回った僕たち。律儀に一周したところで天野さんは叫び方を変えた。

 具体的にはこう叫んでいた。

「霧島くんが好きだ!」

 最初は何を言っているのか分からなかったが、連呼されてようやく僕は気付いた。僕の足は止まってしまい、その瞬間に手と手も離れた。少し先で彼女も立ち止まり、二人は立ち尽くした。

 その状態で、

「好きだよ」

 という言葉を彼女は振り返らず口にした。僕は何も言えなかった。動揺していたんだと思う。

 彼女は震える背中を僕に向けたままだ。九月とはいえ、ずぶ濡れだ。寒いから震えているのだろう。

 でも、なぜそこまでして?

 その問いに対する答えは、光が地球から月までを一往復するくらいの時間で導いた。問いに対する答えはこうだ。

『台風で臨時休校の今日ならば、学校で二人きりになれるから』

 この学校の人気者である天野さんは、こう考えたのではないか?

 僕は頭を整理し、心の中で一つ呟いた。

『両想いだったんだね。照れ隠しに素っ気なくしてごめん』

 と。

 つまり、僕がやることはもう一つしかない。僕は思いっきり叫んだ。

「僕も天野さんが好きです。付き合ってください!」

 思いっきり叫んだけれど声は裏返っていた。ちょっとみっともない告白だった。

 天野さんは震えながらも、こちらへ体をゆっくりと向けた。すかさずニッと笑い、

「私の勝ち」

 と勝利宣言。

「誰と勝負してたの?」

 最後まで言い終わる前に天野さんが抱きついてきたから僕たちはバランスを崩し、共にグラウンドに倒れ込んだ。

 僕は雨男。彼女は晴女。二人が一緒だと天気の見通しはなかなかつかない。でも、二人で過ごした方が楽しいに決まっている。

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