#6

 この集まりこそが、学園祭名物の無能会談だと知って、ボクの高揚はたちどころに地に没した。何だ、この阿呆の集まりは。ボクがこんなものにワクワクしていたのかと思うと、最早自分が情けない。地に没したまま、そこを墓穴としてしまいたい。

 何より頂けないのは、紳士諸氏の態度である。間接的にとはいえども、乙女の一糸まとわぬ姿を目の当たりにして、どうしてこうも静まり返っているのか。例年無能会談は大盛況であると聞く。今年も盛り上がってはいるけれど、紳士諸氏の獣の如き咆哮が全く聞こえぬ。まるで美術館を鑑賞する人々のように閑静としている。いや、本来はこれが正しいのだ。芸術作品の鑑賞とは斯くあるべきなのは明白であるけれど、ここは阿呆の祭典こと文化祭である。場に応じた態度というものがあろう。もっと雄叫びを上げよ、野郎共。

 列に並んでいる最中、このように悶々とした気持ちを抱えていたボクだけれど、しかし先述の通り、この静けさの原因は絵画自体の特異性にあった。

 木之実千秋の裸体には、無数の生傷が刻まれていたのである。彼女の卓越した芸術的感性と技術で描かれるその傷は、生々しくグロテスクで、心を刃物で突き刺されたような感覚に陥る。心に訴えられるということは、心を刺せるということでもある。

 暫く絵画の前に立ち尽くした。乙女に生傷。その禁忌とも言うべき組み合わせ。喩えるならば、深夜のポテチ。ボクは一抹の背徳感を禁じ得なかった。しかし、それは何かとてもいけない感情のような気がして、さっさとその雑念を追い払った。それを抱え続けたら最後、人の形を保っていられないような気がしたのである。

 変態にはなりたくない、断じて。

 ボクは去り際に、千秋に疑問をぶちまけた。誰もが恐ろしくて訊けなかったであろうことを、ボクは先陣を切って訊いた。誰も声には出さなかったけれど、「よくぞ訊いてくれた!」というボクを称えるような空気をひしひしと感じた。苦しゅうない。

 しかし千秋は白を切るばかりであった。「さぁ、私にも解りかねます」ととぼけている。そんな訳があるか。描いたのはお前であろう。そう言いたいのはやまやまだったけれど、そんな強い言葉は使えぬ。使えばどうなるか、想像するだけ恐ろしい。円陣のようにボクと千秋を取り囲むこの紳士の壁が、怒濤の勢いで迫ってくるに違いない。右手に刃物、左手にも刃物を持って、さながらなまはげのように襲ってくるに違いないなのだ! 

 結局、彼女から有益と思える情報は全く引き出せなかった。我が国では、憲法によって黙秘権が人民に対して平等に保障されている。ボクはこれの前に敗北したのである。天使であろうと、憲法を前にしてはひれ伏す他あるまい。法の下の平等、恐るべし!

 念のため執行部部長にこの件を報告した。しかし返信は「ふむ。そうか。しかしだね、いばら部員。執行部は木之実千秋の展示に一切の関与をしないこととしているのだ。理由は訊かないでくれたまえ。ほら、賢い君ならば言わずとも理解できるだろう」と、猥褻なる賄賂の存在を仄めかすものであった。それに、そもそもボクは部員になった覚えはない。 更にそれに続けて、「あれ? いばら部員。君、体育館にいるのでは無いのか」とボクの職務怠慢を指摘するようなことも言ってきた。ボクは断じて部員では無いので、そもそも労働の義務が無い。それでも働いてやっているというのに、この横柄な態度は何事であるか。

 執行部の腐敗に呆れ果て、同時に激怒したボクは、トランシーバーに対して精一杯の大声を張り上げ、部長の鼓膜の破壊を試みた。結果は知らぬ。

 後ろ髪を引かれる思いでボクはその場を後にして、不承不承ながら体育館へと向かった。

 しかし驚くことなかれ、ボクはこの道中でもう一つの阿呆なる珍事に出くわした。

 読者諸氏、お待たせした。

 これこそが三大阿呆事件、その最後の一つ「公開懺悔室」事件である。

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