#4

 三大阿呆事件、その最後の一つは後述する。

「つちのこ」事件に関して、執行部はとうに万策尽きていた。ただでさえ相次ぐ阿呆な事件の対処に追われて脳が疲弊しているのだから、暗号解読など出来るはずが無かった。当然ボクにも無理だった。「つちのこ」の目撃情報の収集とその整理に追われ、そんなものは二の次であった。執行部本部のホワイトボードには「つちのこ」事件の目撃情報が書き込まれた付箋類がたくさん付着している。

 隙間時間に好奇心で、果敢にも暗号解読へと挑戦したけれど、敢えなく敗北した。唯一判明した事実は、この暗号が並大抵の難易度では無いということであった。第二次世界大戦にて使用された、ナチスのエニグマを想起せずにはいられない。「なんだこれは」が最初の感想である。

 しかしだからといって、この暗号を解読しないという訳にもいかない。もしかすると何か途轍もない意味が隠されているかもしれない――例えば爆破予告や殺人予告だったらどうするのだというのが執行部の総意であった。

 ならばどうするか。我々は一人の強力な助っ人に協力を要請することにした。正直なところ、彼女に協力を要請するのは甚だ不本意な事態であった。何せ彼女は間違いなく、協力の対価に常軌を逸した量の砂糖菓子を要求してくるに違いないのだから。が、大量の砂糖菓子とこの暗号に対する労力を天秤に掛けたとすれば、前者の方がまだマシであろうという判断に至ったのだ。

 斯くして執行部は、図書館の妖精に協力を要請することを決定した。


 ○


 明智氷菓あけちひょうかは探偵である。頭脳明晰聡明叡智、彼女の脳味噌は常人のそれとは一線を画し、あらゆる謎を三秒で解く。が、彼女は猫のように気分屋である。機嫌の良い日は鼻唄を口ずさみながら、「構わないよ。その謎は私に任せたまえ。三秒で解決してやる」と朗らかに依頼を快諾してくれるのだが、機嫌がとことん悪いと「何だね、まさか何も無しに私に謎を解かせようと言うのか。貴様の労働という観念はどういう形をしているのだ、一昨日来やがれ三下」とボロクソに言われた挙げ句却下される。尤も、これだけ極端なのは稀で、大抵の場合は依頼を承諾してくれる代わりに、心配になる量の駄菓子を要求される。

 氷菓の籠城は図書館である。彼女はまるで小学生のように小柄で、おおよそ凹凸らしきものが見当たらないので、これと併せて「図書館の妖精」と呼ばれている。因みにこれは彼女の前で禁句である。誤って口に出せば最後、彼女に腸を差し出すことを覚悟すべきだ。

 文化祭の日にまで、彼女が図書館に籠城しているのかは不明だったが、百聞は一見に如かずと言うので、ボクは早速図書館へと赴いた。本大学の図書館は、地上二階建て地下三階建ての計五階構造である。地上階の方は閑静ながらも活気があり、多くの学生がここで講義の課題に取り組む。一方地下の方はといえば、仮面浪人の巣窟である。大学生とは世を忍ぶ仮の姿、その本性は第一志望合格を一心不乱に志す受験生。彼らはこの図書館地下で、普段鞄に隠し持っている受験用の参考書を開き、勉学に励むのである。あぁ、その姿たるや暗記を懐に忍ばせる忍者かな。その張り詰めた空気には圧倒されるものがあり、可能な限りここへは来たくない。たとえそれが、針一つが床へと落ちるような小さな音であったとしても、出せば最後彼らに溢れんばかりの殺意の籠もった眼光で睨まれる。華のキャンパスライフを溝に捨てて、浪人という険しき茨の道を突き進む彼らにとって、普通の大学生活を謳歌する者たちは漏れなく敵である。下手な猛獣よりもおっかない。奴らは怪獣である。

 しかし、図書館の妖精に会うには、この怪獣の檻を通っていく他ない。というのも彼女の所在は図書館の最深部、つまるところ地下三階なのである。地下一階と地下二階に張り巡らされた、仮面浪人生の鋭き眼光たちを回避して初めて、彼女との邂逅が叶う。彼女はダンジョンのラスボスか何かか。

 仮面浪人生にしてみれば、文化祭など塵である。当然外がお祭り騒ぎだろうが、お構いなしに参考書を広げる。「羨ましくなどない」と彼らは嘯く。彼らに残された時間は僅かである。祭典に燥ぐ人々を見ながら、彼らは来年こそはと決意を新たにして、シャープペンシルを強く握るのである。極力音を殺しつつも、しかし彼らの双眸に宿る猛き炎に感心しながら、ボクはさっさと地下三階へと降りた。

 地下三階は上階の様子から一転して混沌としている。お察しの通り、お姫様の仕業である。本来図書館地下三階は一般に公開されているものではなく、いわば隠し部屋のような場所であるが、明智氷菓の植民地と化しているのが現状であり、その存在も公のものとなっている。

 あちこちに散乱した本は堆く積み上がっていて、最早本の迷宮の様相を呈している。四次元空間のような迷路を、インクの匂いと古紙特有のカビっぽい匂いに噎せ返りながらも地道に進んでいく。すると、本で出来た玉座に行き当たった。

 明智氷菓はそこに座っていた。どうやらお昼寝の最中だったようで、可愛らしくすーすーと寝息を立てている。眠り姫の如き美しさに、天使であるボクでさえ思わず見蕩れてしまった。ボクの物音に気が付いたのか、彼女は暫くしてうっすらと瞼を開いた。

 ぼーっと寝惚け眼でボクを凝視した後、彼女は一言「見世物じゃぁないんだよ」とぼやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る