2話 流布

「栄養補給施設の早急な事実確認を求める! 無許可の人肉精製は違憲! 真実を隠すな!」

 駅までつくと、路上で何かを主張している人たちがいた。一人がマイクで喋っており、周りも派手な看板を掲げている。私は改札に入ろうとしたが、1人の活動家によって止められた。

 その人に紙を手渡され、受け取る。赤や黄色が多く使われた派手なチラシで、目に悪い。受け取ったらすぐに改札に行って、電車に乗る。

 座席に点々と座っている乗客は、私が施設に行く前と変わらない様子である。当然だった。たとえ人肉加工の件が真実だと知っても、生活に関係ないから、そう大きく混乱しないだろう。たとえ関係のある者にとっても、生活は大きく変わらない。そういうものだ、と、思った。

 栄養補給施設が利用者の一部を人肉加工をしているという疑惑が起こったのは、あるSNSの投稿からだった。それはまたたくまに拡散され、様々なメディアに取り上げられた。そこでの施設の人肉加工を認める記者会見である。このような反対運動が起こっているのなら、記者会見を済ませれば、施設はすぐに潰れる、つまり、我々の当初の計画通りになるかもしれない。だが、そう最善のことを考えても仕方なかった。私は記者会見で、世間に施設が悪いものだと周知させなければいけない。一般には、人肉加工をするのは悪いことなのだから、そう知らしめるべきだろう。

 私は家に帰った。家といっても、両親のいる家ではない。国が斡旋した借家である。その借家に帰って、我々にとって都合の良い文章についてを考えた。懸念点としては、記者会見という状況が私の精神的に劣勢である、ということである。だが、ともかく、私はこの状況が有利になるように振る舞わなければいけない。


 記者会見のホールまで行くため、私は駅へと歩いていた。普段通りの道のりで歩こうとしたが、その道は工事中で、通れなかった。私は仕方なく別の道に進んだ。そういえば、私と同じ診断を受けた者は、このようなちょっとした変化があった場合パニックになるらしい。典型的な症状としてよく紹介されるようだ。私はこのくらいなら大丈夫だが、それが重なった場合、どうなるかわからない。一つの症状について思いを馳せると、他の症状についても様々に流れてくる。その全ての症状は記者会見に不利だった。私は緊張を落ち着かせるために、早足で歩いたが、無駄だった。

 症状の情報だけでなく、過去の体験も思い出す。あの日も通勤するときにトラブルがあった。それが重なって、施設に行く理由になった。あの日、施設に行くきっかけとなった日もそうだったし、小学校のときもそうだった。私は通勤中、半分くらいまたそれを思い出した。現在のことはさっぱり抜け、過去を生きた。そのとき、私が思い描いていたはずの文章が、全くなくなってしまった。だが、幸い元の文章は覚えている……それは最低限覚えなければいけないものだから。それを覚えているのだから、会見に欠席するよりはいいと思って、一応行くことにした。


 私はいくつもマイクが伸びる壇上に立ち、記者たちを見た。フラッシュと、彼らの目がいくつもきらめく。見れば見るほど、頭がクラクラしてくる。私は目を細め、手を庇のようにして、眩しさを防ぐ。そうやって光を避けようとすると、さらにフラッシュが多くなる。人々が私に注目する。普段より、音も光もうるさく感じる。予想していたよりも人が多くて眩しかった。天井に張り付く蛍光灯も、妙に目に痛い。

 黒崎と、私だけが、壇上側に座っている。一方、他の者、つまり記者や、カメラや、職員たちは、全て我々に対面している。

「大丈夫だよ、たいようくん。困ったときは私が支援してあげるからね」

 所長はマイクが拾えるほどの声で私を励まし、肩に触れる。私は何かを言って拒絶したかったが、頭の中ではずっと記者会見の本来のシナリオが動いていて、他人の声を、行動の意味を承知しなかった。

「そろそろ会見を始めましょうか。さて、たいようくん?」黒崎が肩から手を離し、私に伝えた。私は記憶したことを全て話さなければいけない。

 私は深呼吸をして、手を机に置き、できるだけフラッシュを見ないよう、俯いて机を眺めた。

「さあ、ゆっくりでいいから、言ってみて?」黒崎が急かす。私も早く終わらせたかった。だから、さして言葉の意味を考えず、ただ暗記したことだけを呟く。

「『栄養補給施設内で一部のヒトを人肉にしていることは、事実です。さらに、それは栄養補給施設、介護施設、刑務所などで利用されていることも事実です。』」

 私が『施設』『人肉』という音を発するたび、フラッシュが激しくなる。うるさい。黙ってほしい。

「『施設のヒトを食用にするのは、施設の当事者として、賛成です。』」

「『私はたまたま、施設にいる身でありながら、このように物を考えられ、喋れますが、施設の平均未満のヒトは、そのような人間の本分である知能さえ、ありません。しかも、特異な才能もないとしたら、生きる意味はありません。私はそのような例を何度も見てきました。』」

「『重犯罪者の臓器移植、ならびに人体実験を行っているのは、周知の事実です。今回の件は、その範囲を少し広げた、ということではありませんか。』」

 それから、私はしばらく暗記した音を発した。何を言っているのかは知らない。彼らが様々な眼差しで私を見るから、段々と、ここに私がいて、喋っている、という現実感をなくしていった。ただ、言わなければ、すべきことをしなければ、ナツミやツバサが殺されるという脅迫観念が、私を突き動かした。人は、死ぬよりかは、生きているほうがいいという。だから言うべきである。

 暗記した文章を全て言いきると、黒崎は会見の進行をする。

「発表は以上です。さて、何か質問はありますか? 私か、たいようくんがお答えしましょう」

 即座に何人もが手を上げた。「では、奥のかた」黒崎が指を指すと、見覚えのある記者が立ち上がった。黒崎が事前に紹介していた記者だ。

「栄養補給施設で、利用者を人肉にしているという事実についてですが、人肉にする際、当人から許可は得ていますか? また、人道的な方法で彼らを人肉加工しているのですか?」

「『はい。栄養補給施設では、承諾を得た当事者に献血、臨床実験、人体実験、食用加工などに利用しています。彼らはみんな、希死念慮を持っていると同時に、社会貢献をしたいという欲求でいるので、望み通りに社会貢献をしています』」私は、あらかじめ指定された回答をそのまま答えた。

「なるほど。ありがとうございます」

 質問は、しばらく穏当に、予定通りに進んだ。はやく帰りたい。こんなに過去のことを思い出して不快な日は、家で眠るのがいちばんだ。

「では、次のかた」黒崎は記者を指名した。立ち上がる。見覚えのない記者だった。記者会見だから、当然想定外のことも発生する。それは君の苦手分野だが、どうか目的達成のために頑張ってほしい。黒崎の言葉を思い出す。

 記者は半笑いを浮かべ、私をにらんだ。

「たいようくんはどうしてそんなに冷静でいられるのですか? あなたの声色には感情が感じられません。人命が関わる問題に対してもっと感情を示すべきではないですか? 我々一般市民にとって、あなたがこの問題に誠実に向き合っているとは思えないです」

 私はこの種類の、つまり情緒的問題に関しての質問は、全く想定していなかった。いくつか返答の候補を出し、吟味するために黙っていると、記者は言葉を急かすように大きな声を出した。

「はやく何かおっしゃってくださいよ、たいようくん?」

 私は何か言わなければいけない。だから、一番最初に思い浮かんだ言葉を言った。

「感情を示さないのは私の先天的な症状のためです」

「症状のせいにするつもりですか?」

 この記者が何を意図してそう言っているのか、分からない。ただ、あまり良い印象を与えなかったように思う。だから黙った。記者はさらに続ける。

「感情は人間にとって重要な機能です。あなたはそれが欠落しているんですね。それが症状だからって? 舐めてるでしょ。当たり前に持ってるものがないなんて。あなたは人間なんですか?」

 彼の質問を皮切りに、他の記者たちも、私の情緒的な問題に目をつけた。

「たいようくん、さっきから人の目を見てないですね。もっとちゃんと見てくださいよ。人の目を見るのは普通のことですよ? 社会の常識も知らない人が、記者会見に出ていいというのですか?」

「あなたは過去に他人の痛みや苦しみを理解したことがあるのですか? 共感が出来ないのなら、それは人格に問題があるということですよね。今臓器移植を待っている、犯罪者どものように!」

「ちゃんと我々の目を見てくださいよ。症状とやらのせいで見れないなんて、甘えた話はないでしょう?」

 しばらく似たような非難を繰り返され、乱雑に返答をする。しばらく返答していると、最初に私の問題について指摘した記者が、私の過去に関する質問をした。

「――あなたは以前、傷害事件を起こし、逮捕されましたよね。その際、被害者に対してどう思いましたか? また、何を思ってそんなに人に迷惑をかけたのですか? 罪悪感はないのですか?」

 彼が逮捕についてを言うと、周りの記者はざわざわとした。

「今のような状況で……」私は何かを言いかけたが、言葉に詰まって、喋られなくなった。あのときもそうなっていた。

「何を言ってるんですかあなたは? ちゃんと文章で話してください。どう思っているのですか?」

「『どう』?」言葉を聞き返していた。昔から、どう思うかを聞かれるのは苦手だった。どうしてそう思ったのか、なぜそう思ったのか――それは全て無意味なことだった。

「何かマトモな言葉を喋ってくださいよ、たいようくん? まさか発表文以外は喋れないってことはないでしょう? 知的に問題はないって聞きましたよ? ああ、でも頭にショーガイを持たれた方でいらっしゃるから、無理なんですかね? それか、逃げですか? 自分が犯罪者ってことへの。迷惑をかけ続けたことへの!」

「『何かマトモな言葉を』……」出すべき言葉が思いつかないから、彼の音を唱える。

「あ?」記者は呆れたような声を出す。「オウム返しなんて普通は3歳で止めるものですよ? ねえ? ……いや、もういいです」私が何も返さないでいると、記者は座った。その次に隣の記者が当てられた。

「黒崎さんに質問です。たいようくんの傍若無人な態度は、とても人間のものと思えません。この子が普通の人と同じように『物を考えられ、喋れ』るようには思えません。たいようくんは本当に施設の中で最もエリートで、最も考えることができるヒトなのですか?」

「……ええ、もちろんです。様々なテストをして、最も成績が良かった子ですよ」黒崎は沈鬱そうな顔で言った。彼の顔が本当なのか嘘なのか、私には分からない。

「わかりました。質問は以上です」

 記者は黒崎の言葉を聞くと、ため息をついて、椅子に座った。

「おやおや? たいようくんはフリーズして喋れなくなっちゃったみたいなので、次からの質問は私が返しますね」黒崎は私を横目で見る。

 どこかに逃げなければいけないと思ったころには、私の身体は制御を失っていた。視界がぼやける。手のひらをつねってみたが、痛みを感じられない。代わりに、声と光が痛い。換気扇のモーター音がずっと部屋に響いていて、うるさい。現実感がなく、ふわふわする。嫌な浮遊感が、全身を支配する。

「おや? どうしたのかな? たいようくん……そんなに耳をふさいじゃって」

 所長はポンポンと背中を軽く叩き、ゆっくりさすった。刺すような痛みが走る。「お~、よしよし、たいようくん、落ち着いて」

 記者のフラッシュが眩しい。「ああ、たいようくんはこんなに……」黙ってほしい。誰かと誰がが話している。私について話している。クソが。死ねよ。全ての人に、悪い言葉を言おうとした。

「あ……う……」だが、言葉にならない。何もまとまらない。イライラする。死ねよ、死ね! みんな死ね! 立ち上がる。皆が見ている。目が沢山あってきもちわるい。きえてくれないか? 前みたいにすればみんな静かになるのか? 死ね! こっちをみるな! 死ね! 落ち着け。私は机を見るように俯いた。「どうしたんですか、たいようくん。大丈夫ですか?」記者は言う。こいつらのせいなのに……たいようくんのせい、だとでも言いたげだ。死ねよ。くたばれ! クズが! このなま暖かい肉塊どもが……。全てをこちらのせいにするのか? 意味がわからない。バカ共の言い分は聞いてられない。死ね! 殺すぞ!

 手当たり次第にものを投げようと、マイクを見ようとする。すると、視界の端に映る胸ポケットに、何かがあるのに気づいた。思わず手に取る。施設で、『かぞく』4人が映っている写真だった。3人は笑顔だったが、私は笑顔を作るのが下手だから、普段の顔だ。――パニックになりそうなとき、見て。そう言われたのを思い出す。私は写真を裏返した。

『刺激のない個室に行くこと。例えばトイレとか。話しかけられそうになったら、トイレの方を指さして、緊急であることを示す。個室に行ったら、そこで何度も深呼吸して、身体が落ち着くまで待つ。』

 ナツミが書いた文章を読んで、我に返った。ここで暴れたらおしまいになる。私は落ち着かなければならない。少しの理性を取り戻し、次に私のすべきことを読む。『刺激のない個室に行くこと。』

 私は黒崎の軽い静止を振り払い、扉の方を向き、俯いて、ホールから出る。「コウちゃんはもう大丈夫ですから、あとは私が質疑応答に応えますね」黒崎の弁明が聞こえたから、もう戻る必要はない。

 会見室から出たら驚くほど静かになった。道中、所長の関係者らしき人から声をかけられたが、私がしきりにトイレのほうを指さすと、すんなり通してもらえた。

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