12話 脱出
その日になった。私たちは普段通りベッドを敷き、普段通りに眠っている。職員らにはそう見える。実際のところ、我々は眠っていない。私は時間になると……つまり、一番警備が手薄なころになると、私は起き上がる。すると、ナツミとツバサも起き上がった。私たちは扉を開けて、外に出て、きちんと閉じる。彼らはたいようポイントが高い我々のことはちゃんと監視しないだろうから、朝までバレないだろう。部屋の外に出て、裏口から階段を駆け下りる。ツバサはニヤッと笑って二人と反対方向へダッシュした。三人の中で最も身軽なツバサが、鍵を取りに行ってくれるはずだ。私たちは出口の方へと駆ける。監視カメラが起動していたら、職員たちが来るのだろうか。でも、今は脱出だけを考えればいい。車でさっさと正常な世界に下りればいい。
我々は出口に出た。何も音がしない。しばらくすると、ツバサが来た。ニコッと笑って、鍵を見せる。
車のところに行き、車のキーを回す。開いた音がすると、ナツミとツバサが向き合って笑顔で頷く。あとは車に乗って、街に下りるだけだ。家に帰って、誰かに全てを説明して、事の顛末がどうなるか観測しなければならない。
私が乗り込もうとすると、突然背後から高い音がして、肩に鋭い痛みが走った。全身の力が抜け、思わずしゃがみこむ。
「コウ! 大丈夫?」ナツミが叫ぶ。
「後ろ」
「え?」
ナツミとツバサは私の後ろを見た。完全に力がなくなったわけではないから、私もゆっくり後ろを向くと、たくさんの人影がいるのを見つける。
真ん中で一歩前に出ているのは、所長だ。彼の後ろには、何人もの職員がいる。後方の職員は暗くて、表情が見えない。所長は銃型のものをポケットにしまった。
「たいようの子たち。いったい、なにをしようとしていたのかな?」
「これは、その……」ツバサが言いよどむ。
「三人で共謀し、脱出を図ろうとしていたんだろ? 施設の一部の子たちを人肉にしていることに、気づいて」
「そんなわけ!」ナツミは語気を荒げた。
「私たちは、もう全部知っているよ。君たちの低廉な計画の全てを」
施設のライトが光った。所長の姿と職員らの姿が、はっきり見える。所長は、最初会ったときと変わらない笑顔をしていた。
「君たちは、我々が漏らした情報のために、ここから脱出しようと考えた。その後、マメちゃんを『ニクオチ』にしたことも分かり、我々への憎悪感情が高ぶり、早急に脱出計画を実行した。外に出て、我々の罪悪を公表して、正義の名の下に、我々を潰してやろうと」
所長は高笑いをした。「三人がそれぞれの長所を生かして協力する姿は見物だったよ。一種の王道ストーリーみたいでさ。本当に王道の話だったら、悪の組織の我々を打ち倒せたのだろうが。そんな甘い話はないし、そもそも私たちは悪ではない――ともかく、君たちは全て失敗したんだ。いや、最初から、失敗していた。我々は最初から全て知っていて、あえて泳がせていたんだ」
「……なんで……なんで?」ナツミは完全に圧倒され、同じ言葉をずっと繰り返していた。何かの意味がある言葉だとは感じられないが、所長は答える。
「なんでバレたかって? たいようの子らの様子は全て監視しているんだ。もちろん、風呂場、トイレ、おうちも含めた全てでね。君たちがどういう行動をしているか、丸分かりだったよ」
「利用者を人肉にするという文章や、プライベートな空間を監視するという文章は、招集票のどこにも書かれていませんでした」
私は招集票の全文を思い出し、参照したが、そのどこにも書かれていない。規約違反の行動は、倫理的な観点からしてふさわしくない。
「書いてない? 当たり前じゃないか! 常識的に考えて、そんなこと書いてられないだろ。……ふむ、コウちゃんは常識がないから言っても無駄か」
「お前、お前ら……!」ツバサは憤慨して、彼らをにらんだ。
「プライバシー侵害とは言わないでくれよ。たいようの子らの安全を守るためだ。たいようのようなトリでも、たまに見境なく暴れるヒトがいるから……でもツバサくんには申し訳なかったね。『ハナ』だったから。でも、我々の真実を知ってしまったのなら、君の未来の可能性は小さくなるだろう」
「『ハナ』って……どういう意味だよ、それ? ワケの分からねえスラング使うなよ!」
「おっとすまなかった。……ふむ、つまり……きみは健常な人間だ。君にはちっとも、欠けたところがない。育児に疲弊した親が、愚かにも相対的に一番手がかかって可愛くない子を、ここにやっただけ。真実を知ってか知らずか、ね。本当はさっさと返して、一人暮らしの借家も与えようかと思ったが。ああ、かわいそうに。このような真実を知ってしまったら、もう君は普通の人じゃいられなくなる」
彼が哀れむような声を出すと、ツバサは何も言えずに固まった。口を開けて、呆然としている。なのに、所長はまだ似たような話を続ける。
「しかもお前、この施設を漫画か何かだと思ってただろ? 薄々、脱出ゲームだと思ってただろ? なあ? お前が! お前らが! 食ったんだ! お前らが脱出なんか計画したせいでマメは――!」
所長が何かを話し終わる前に、私は彼のところへ走り、胸ぐらをつかんで、むりやり黙らせた。所長は一瞬驚いたような顔をした。即座に職員らが来て、彼から引き剥がされ、取り押さえられる。私は抵抗しなかった。力がうまくでないから、抵抗もできないが、抵抗する気もない。
「反抗は止めた方がいい。場合によっては、即刻、殺す」
所長はネクタイを締め直して、笑った。やっぱり未成年用のは効きづらいな――そう呟く。
私が動きを止めているのが分かると、職員らは私を離した。だが、次は許さないという風に、腰を低く据え、警戒している。ナツミとツバサは職員らに完全に萎縮しきって、とても話せない状態だった。私が話を進めるしかないだろう。
「ここまで泳がしていたのなら、相応の理由があると思われます」気づいたら事を大きくする前にさっさと処分するだろう。なぜそうしなかったのか。
「コウちゃん、話は分かるみたいだね。私たちは、少なくとも君を殺す気はない。君はとても素晴らしい才能を持っているから」
「才能?」
所長は私が描いた地図を胸ポケットから取り出して、開く。
「精巧無比な地図……あのバスの限られた視界の中で、自分の感覚だけで完璧な地図を作ってきてしまうとは。記憶力だけじゃなく、空間把握も得意なのかな」
「はい、言語と比べ、相対的に得意だと考えられます」
「あとさ、さっきのコウちゃんのセリフを聞いての質問だけど。あの渡された招集票――100ページはあったと思うけど、覚えてる?」
「私に関連することなので、届いたその日には全て覚えました」
「コウ……! そんなに言っちゃ……!」ナツミが私を諫めるように言って、やっとこれが言ってはいけないことだと気づいた。敵には、情報を不用意に教えてはいけない。だが、私は自分を自分が思っているほど誇大に表現したり、矮小に表現する方法を知らない。
「はは。すごいじゃないか! コウちゃんは私が思った以上の才能があるんだね。びっくりだよ。たいようの所長になって色々な子を見てきたけど……これほどまでの『ギフ』は初めて見た。どうして両親は気づかなかったのだろう。無能なのかな」
所長はあからさまに気分がよくなって、身体を揺らす。「まぁいいや。とにかく、取引をしようじゃないか」
所長は満面の笑みを浮かべて言う。
「コウちゃん、私の下で働いてみないか? もちろん、施設の『しごと』のような猿真似なんかじゃない。本当の『仕事』を斡旋してあげよう」
「施設の職員になれということですか?」
「そんなしょうもないのじゃないよ。外に出て、たいようの代表として様々な場所で講演を開くんだ。勿論、君がコミュニケーションが苦手だというのは承知しているから、私はきちんとコウちゃんの長所を考えて仕事を与えるよ。前の仕事よりマシだろう?」
所長は私の過去について取りあげる。「コウちゃんは親に全く向いていない接客業をさせられて、当然のように上手くいかなくて、ストレスを貯めちゃって、それが爆発しちゃったんだよね? で、散々人様に迷惑かけて……施設に行くのにふさわしい人間だ。これだけならただのバード野郎だが……君には、素晴らしい才能がある。だから、社会に出ても良い者だ。君には生きる意味がある」
「……」
「だから私が最適な仕事をあげるというのだよ。また施設に戻らせはしないさ……しかも、特典はそれだけじゃない! 私の下で働いてくれたら、君のかぞくの二人は社会へと帰してあげよう。さらに、他のたいようの子たちも、殺さないでやろう」
「私が、施設から……?」ナツミは所長へと顔を向けた。
「ああ、特にナツミちゃんにとっては願ったり叶ったりのことだよな?」
「……違う」ナツミは勢いよく首を振った。
「違う? 自分の意見を押さえ込めるのはもうやめなさい。ここから出たいから、今まで頑張ってきたんだよね? 無理に仮面を作って、他の人のお手伝いにいったんだよね? そうして、不出来な子を見下したんだよね?」
ナツミは俯いて、黙った。
「本題に戻ろうか。今、コウちゃんがこっちに来てくれたら、ここで終わりじゃなくなる。どうだ、来るか? 来たいなら、私のところに歩いて」
所長は笑っている。純粋な目をしている。私は所長のところに歩きかけた。しかし、それをナツミが止めた。
「待ってコウ。これは罠だから。行っても利用されるだけ。利用されて、殺される」
ナツミは服の裾を掴んで放さない。だが、振り払えはしそうだ。
「しかし、私が行かなければ、みんな殺されます」
「どうせ同じでしょ。行っても行かなくても。あんな離ればなれの場所で死ぬか、一緒の場所で死ぬか……」 ナツミは少し考えてから言った。「……きっとまた、会えるよね?」
ナツミは手を離した。私は何も言わず、ナツミの目を見る。人が不安になっている時は、安心させるべきだから、笑って、彼女を安心させようと思った。だが、私は自然的な笑い以外の笑い方を知らなかった。だから私は、ただ彼女を見た。だがナツミは笑った。「三人で一緒に頑張れて、私……楽しかった。施設に来て――生まれて初めて、楽しいって思った」
私は所長のところへ歩いた。彼は、私が隣に来ると、朗らかな笑顔で手を伸ばし、私の頭を撫でた。
「君が犠牲になるだけで、たくさんの命を救える。これからは、人様に迷惑をかけたことへの
「私は……」何かを言いだす前に、言葉が出てくる前に、物事は進んでいた。ナツミとツバサは、職員たちに丁寧に連れられた。何かの感情が氾濫しかかっているが、私には種類の判別がつかない。私は職員らが様々な動きをしているのを、見ることしかできなかった。
「二人は部屋に戻して、出所の手続きをしてあげて。さぁ、コウちゃん。荷物は全部持ってあげるから、一緒に行こう。これから、たいようの代表として……『たいようくん』として活動していくんだよ」
たいようの所長――黒崎 敬一郎は、手を差しだした。月に照らされ、彼の歪んだ笑顔がはっきり見えた。手を握る。その手は冷えていた。
「たいようくん。これから一緒に、がんばろうね」
第一部 了
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