10話 屠殺

 マメがいなくなった。突然だった。単に時間が合わなかっただけだろうと思いしばらく日を置いても、やはりマメは現れなかった。それに、結構な人事異動をしたようで、人が結構変わっていた。私がマメはどうなったか、外部からの職員……つまりソトの職員に聞くと、マメは普通に卒業したと言われた。当然、ツバサとナツミは困惑した。マメが何も報告せずに卒業するだろうか? さらに、マメは自ら望んで職員になったのに、すぐに辞めるのは不自然である。

「マメ……なんで突然いなくなっちゃったんだろう」

 ツバサは腕を組んで黙りこんだ。珍しく、広縁に座っていない。居間の座布団に座っている。

「卒業した、とソトの職員から聞きました」

 ナツミは、私の話を聞くなり、俯いて微笑んだ。

「うん。そうなんだよ! マメはすごく優秀だったから、きっと……すぐに卒業できたんだね!」

 突然行っちゃったのは、何か突然の予定ができたからなんだ! だから寂しいけど……仕方ないよ。ナツミは何度も、大げさに頷く。ツバサはそれをちらと見たあと、少し間を置いて微笑んだ。

「……ああ、そうだよな! 俺たちも早く卒業して、マメに会おうぜ!」

「これは非常に不自然で――」

「コウ」

 私は何かを言いかけたが、ツバサが遮って喋りだす。

「後で一緒にトイレに行こう」

「部屋のトイレは一人用です」

「……運動場のトイレは共同のはずだから」意図は分からないが、これほどトイレに一緒に行きたがっているのだから、承諾するべきだろう。私は了承して頷いた。

「――さて! たいようポイントのために今日も遊ぶか! 運動場行こ!」ツバサは勢いよく部屋から出た。

「コウも、早く行こう! マメの分までいっぱい楽しまなきゃね!」


「……よし、やっぱり俺が思ってた通りだ」

 そのトイレはほとんど使われていなかった。運動場の隅に配置された、一昔前の学校にありそうなトイレだ。地面には砂が入り込んで滑りやすく、洗面台の蛇口も水が出るかはわからない。一応、紙はあるようだが、それも何年前のものかは知らない。外の古いトイレ特有の妙な臭いもする。掃除のしごとも、恐らく誰にも割り振られていないと思う。

 ツバサはニヤッと笑って大げさに鼻をつまんだ。「運動場にあるトイレは臭い! だから誰も来ない!」

「何か、特殊な意図のためにここに来たと考えられます」

「話があるんだ。それも、誰にも聞かれたくない話」

 ツバサは鼻から手を離し、話しはじめた。

「ここはヤバイ。変、どころじゃない。本当にヤバイ場所だ」

 前、性衝動についてのおはなしあったろ? 俺が思うに、アレは俺たちが同じ部屋に住んでる異性や同性に、性衝動をぶつけないようにするため、あと、実際にそうしたらどうなるかを、教え込もうとしてたんだと思う。あの日、突然一気に卒業した隣のかぞく、いただろ? ちょっと噂になってるよ。それか、……逆に性衝動を起こさせようとしたのかもしれない。現に俺は――いや、その話はコウには関係ないよな。結局やらなかったし。ともかく、年頃の男女を一つの部屋に押し込むのはヤバイって話だ。

「ああ、そうだ」ツバサは思い出したように言った。

「コウって、今年でいくつだっけ?」

「24です」

「ほら!」

「どうしました?」

「言葉遣いのことだよ。24歳っていえば、もうちゃんとした大人じゃん。でも、マメ以外の職員たちはコウにも幼稚園児みたいな扱いをする。いくら施設に行くような理由があるとしても、そんなのオカシイだろ?」

「私の症状についてを話した人から、ほとんど似たような言葉遣いを受けてきたので、それが変であることに気づきませんでした」

「えーっ?」

「しかし、成人済の人間に、あのように接するのは一般的ではありません」

「そうだろ。……で、何を言いたいかっていうと、ここはなんか臭うってことだ。――もちろんトイレのことじゃないぞ。つまりは、何か隠してるんじゃないかって思うんだ」

「隠してるものとは?」

「わからん。だが、俺には何か大きなインボウを感じるぞ?」前の漫画でそういうインボウについての話があって――ツバサは漫画の内容についてを話した。その施設の陰謀について知りたいという好奇心を感じとった。

「どのようにして陰謀についてつかみますか?」

「潜入捜査!」ツバサは目を輝かせた。

「捜査って?」後ろから声が聞こえ、振り向くと、そこにはナツミがいた。

「ナ、ナツミ!」

「私も参加したいな。いい?」

「もちろん! 考えようぜ!」


 だが、事実を知るのに、能動的な潜入捜査は必要がなかった。

 ある日の昼、自由時間にかぞくみんなで部屋で過ごしていると、インターフォンが鳴った。私が扉を開くと、職員がいた。魚肉ソーセージのようなものが、ポリ袋の中にいくつか入っている。

「施設にだけ入荷している、特別な肉で……今日はちょっとたくさん、入荷してしまって……もしよければ、このかぞくで食べてね。そのままで食べるのがいいって所長さんが言ってたよ。あ、お菓子も配るね。このかぞくはいつもよく頑張ってくれてるから……」

「わかりました」私は肉と、菓子を受け取って、ナツミとツバサの元に戻った。

「加工肉と菓子が届いたので、食べましょう」

「おっけー」

 私たちは肉を食べた。普通の味だ。どこにでも売っているような魚肉ソーセージの味がする。調味料がよくかかっていて、スパイシーな感じだ。


「ん? なんだろ、これ……」ナツミはポリ袋からレコードのようなものを取り出した。机において、みんなに見えやすいようにする。

「これは?」

「差し入れの奥に入ってた。なんだろう?」

「レコーダーに差してみてください」

「うん……」

 ナツミはテレビに付属するレコーダーにそれを差した。再生ボタンを押すと、音声データが流れた。それは、マメと所長との会話音だった。

『で……話とは?』所長は言った。普段我々の聞く所長の声とはうって変わって、数段声が低い。

『この施設の真実についてです』

「マメ……?」

「……」私は部屋の入り口を見て、音を下げた。このくらいなら、万が一でも部屋の外から聞かれないだろう。

『へえ、真実? そんなものがあるとは!』

『利用者のみなさんを使って、作ってるのでしょう? 肉を』

「肉……?」ナツミは怪訝な顔をした。

『どこからその情報を?』

『ソトの者が……話していました』

『そうか……』所長はしばらく黙って、ため息をついた。『ナカの奴にはバレないようにと、あんなにも言っておいたのに。こりゃあ漏らした奴ごと処理する必要があるかね』

『処理って何なんですか、その言い草は』

『邪魔なモノは処理しないと。廃棄だよ。そのままの意味さ。さて、その者の名を言ってみなさい。そしたら君は殺さないでやる』

 マメは何も言わなかった。

『どうしたんだ? お前にとっては最早ソトの者は一緒に働く仲間じゃない。たいようの子を使って人肉を作る敵じゃないか。敵を売れないっていうのか?』

『誰にも死んでほしくないんです。その方の名を言ったら、彼は殺されるってことでしょう……? 敵だとしても、嫌です』

『愚かな子だ。私にみすみす話して、どうしようというのか? 死にたいのか?』

『……策はありますよ』

『へえ。それは、こういうことかな?』手を叩く音がすると、足音がなだれた。

『みんな……? なんで……?』

『職員になったら施設への忠誠心が下がると思ったら大間違いだ。君は例外だが。ナカの職員たちは、みんな仲間になったフリをしていただけさ』

『……』

『さあ、マメ? 最期に言い残したいことはあるか?』

『……』

 マメが何か息を吸った音で、音声が終了した。

「……どういうことだ? これは、マメは、どうなったんだ、なあ、コウ?」ツバサは私の肩に飛びついて、何かを懇願するように口を開けた。ナツミは真顔で黙っている。

 私はこの会話で発生した事を推察した。

「この音声が真実なら、マメさんは死にました」

「!?」ナツミは顔面蒼白になって私を見た。

「さらに、マメさんは以前一部の利用者にされていたことと同じ処理……つまり、人肉加工をされました」

「……なんで」

「不要だからです」そして恐らく、今届いて、食べた肉はマメのものだ。だが、私はそれを言わないことにした。聞かれたら答えるかもしれないが、積極的に言うべきことではない。さらに、彼らも薄々分かっているとしたら、なおさら言う必要はないだろう。……この国では一般に、人肉を食べるのは非倫理的とされているから。

「しかも、施設では人肉加工が常態化しているようです」

 私が言うと、ナツミとツバサは食べ終わった肉の包装を見つめて、黙りこんだ。肉と同封してレコードを送りつけたのは挑発的である。

「しかし、まだ確証は持てません。確実な証拠を見る必要があります」

「どうやって?」

「立ち入り禁止の場所に秘密裏で入ることです」



「まー、2043は『ニクオチ』かなあ」

「『オクレ』が酷いですからねー」後輩らしき職員はパソコンに何かを打ちながら答える。2043は、ケイの番号だ。彼は卒業したはずだった。

 我々三人は、扉の隙間から、職員らしき人の声を、静かに聞く。あらかじめ身体の小さなツバサが隠れる場所を発見してくれたから、もし彼らが突然部屋から出てきても大事にはならないだろう。

「てか、なんでわざと『オクレ』を入れるんですか? たいようなんてほとんど『トリサゲ』できそうなヒトばかりなのに……」

「ああ、たいようの子たちはなまじ嫉妬心やらがあるせいで、ストレスを貯めやすいんだ。だからああいう風に『オクレ』を入れて、ストレスのはけ口にしてやるんだよ。で、ヤバくなりそうだったらニクオチな」

「へえ! すごい良い考えですねぇ!」

「ははは! トリが始まって以来の伝統だよ!」

「あー、僕、『シメ』の現場見たことないんですけど」

「ああ、時期になったら所長さんがつれてってくれるよ。丁度2043もそこでシメられるんじゃないかな」

「へえ、ちょっとドキドキしますね……なんか、罪悪感っていうか」

「いただきますって言わないと、って感じるよな」

「ですねえ。たいようの子たちにも、もっと気持ちを込めてほしいものですけどね」

 聞いたことのない用語が、スラングのような言葉が、飛び交う。……『シメ』は、一般には締め切りなどの略称として使われるが、文脈からして、何かを屠殺しそうだ。そうして何かというのは……人だ。

 ナツミとツバサは、口を開けたまま、黙っている。どれだけ状況を理解しているか聞きたいが、ここで何かを話すのはまずい。私は二人の肩にそっと触れ、おうちに帰るべきだと促した。


「コウ……」部屋に戻ってからも、ナツミはずっと茫然自失の様子だった。ツバサも、顔を俯かせている。

「コウ、これって、さ……どういう、ことだ? 本当に……改めて教えてほしい」

「常習的に加工が行われているようです」ほとんど確信に近かった。

「加工? 加工って何だよ?」

 私は直接的に言って良いのか考えあぐねたが、ぼやかし方を知らない。だから、直接、

「人肉加工」

 と言った。

「は?」

 ナツミもツバサも、二人とも顔をうつ伏せた。

「人が、人を……食べるって?」それも、普通の人間が? ツバサは半笑いになって狼狽した。

「そんなの、おかしいよ……だって、ほら、違うだろ? 普通、食べないだろ、そんなの、なあ?」ツバサは途切れ途切れに言葉を言う。

「この国では人肉を食する文化はありませんが、一部の文化では食人の文化はあります。なので、人肉を食すること自体は全てにおいてタブーとは言えないでしょう」

「……!」ツバサは顔をしかめた。

「……ごめん、ちょっと」ナツミは口を押さえて部屋を出た。

「ナツミさん……?」

「そっとしておこう。うん……ともかく、ああ……どうすれば……俺も、気分悪くなってきた」ツバサも口を押さえ、外に出て行った。

 ツバサとナツミが戻ってくるまで、私は待った。戻ってくると、ツバサは開口一番に言った。

「でも、はあ、ともかく、……大人に! 職員に……報告しないと」

「それは止めたほうがいいです」

「なんで」

「この施設内の大人は、信用に値しない可能性が高いです。この事実が特定の職員に知られているとすれば、影響力が大きいことは確か。だから、言うべきではないです」

「じゃあ、どうすればいいっていうんだ」

「最も最適な行動は、ここから脱出することだと思います」

「脱出……?」

「はい。脱出です」

「……そう、だよな、はは……脱出か……」ツバサは苦笑いをした。

「さらに我々だけで、ここから脱出するしかありません」

「他の人たちはどうするんだ? 他のかぞくも、ずっと、……殺されてきたんだろ? 俺たちが脱出しても、それは止まらないのなら……」

「脱出後は、この件を世間に公開します。そうして、人肉精製を止めさせます」

「ああ……」ツバサは腕を組んだ。

「不満ですか?」

「今も、みんなが殺されてるんだろ? たいようのみんなが! なら……みんなで脱出しないと!」

「……この」

「ああ、そうだな……だって俺より下の年齢もちょっとはいるからな……」彼らにも知られたら、当然普通ではいられなくなって、暴動が起こるだろう。そうして、変な犠牲が産まれるかもしれない。そう言って、ツバサは私の意見に同意した。

「……じゃあ、作戦を考える必要があるよな?」

「はい、その通りです」

「……違う」ナツミは久しぶりに口を開けた。

「違うって?」ツバサは言った。

「たいようはそんな場所じゃない」

 ナツミは我々以上にたいようにいる。初日もそうだったが、たいように対して保守的な態度を取っている。

「レコードのやりとり聞いたろ? あの話も聞いたじゃん!」

「職員さんたちはみんないい人だからそんなことするはずがない。それに、施設を疑ってたら、罰を受けちゃうよ」ナツミは罰に関してを強調した。

「でも……」ツバサは言いよどむ。

「普通に、卒業して、それからでいいんじゃない?」ナツミは硬い笑いを浮かべた。何かを押さえつけているような、そんな気がした。

「……いいよ、俺たちだけで脱出するから」ツバサはナツミをにらんだ。

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